2016年4月27日水曜日
●水曜日の一句〔加田由美〕関悦史
関悦史
落椿蛸這ひ上る崖といふ 加田由美
落ちる椿と這い上がる蛸。下降と上昇の相反する動きが一句に同居していて、こうした句はともすると一般論的な平板さに至ってしまうのだが、この句の場合、二つの動きが円環運動をかたちづくる趣きこそあれ、その中に妙なずれと諧謔が感じられる。落ちていった椿が蛸となって這い上がってくるという、奇怪なメタモルフォーゼのイメージが一句に仕込まれているからである。
この下降と上昇の円環を、くり返される生と死の生成運動の寓意などと取ってすませるには、椿と蛸という組み合わせが少々突拍子もなくて、さながら木の実から鳥が生まれる中世ヨーロッパの博物誌的図像につうじる味わいがあるのだが、それと同時に、実際にそうした場に作者その人が足を運んだのであろうという物質界の手応えをも、このメタモルフォーゼが宿らせることとなっている。
頭でこしらえるには組み合わせが意外過ぎるからということももちろん理由ではあるのだが、措辞の上でもそうした手応えをもたらしている箇所があるのだ。それが、ただの伝聞であることを明らかにしてしまうために、一見間接性が手応えを鈍らせてしまうかに見える、結びの「といふ」なのである。
いかなる必要に迫られてかは知らないが、ご苦労にも崖を這い上がってくる蛸は、さしあたり句中の語り手の前にも現前してはいない。そういう、おそらくは語り手にとっても思いがけない不意打ち的なものであろう情報が与えられた「崖」があるだけである。
この不在が、本当に蛸は上ってくるだろうかという興趣と期待の感覚を切り開く。そしてこの期待感に裏打ちされた想像は、「崖」にもわれわれ読者にも、蛸の足にまさぐられるのを待ち受けるような、それだけでくすぐったくなる実在感をもたらしてしまうのだ。
いわばこの句においては「崖」を中心とする風景全体が不在の這い上がる「蛸」によって異化されているのである。
句集『桃太郎』(2016.4 ふらんす堂)所収。
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