樋口由紀子
人の住む窓を出てゆく蝶一つ
田中五呂八 (たなか・ごろはち) 1895~1937
部屋に入ってきた蝶がぐるりと一周して、また窓から出ていった。たった、それだけのことである。たまにある、ほんわかした春の一コマが、なにやら寂しさや悲しみの扉を開けてしまったように感じる。
作者は蝶を見て、何を思ったのか。視線は瞬時だが、内実は深いところを突いている。「窓」は単なる部屋の一部ではない。向こう側を否応なく意識させる。自分は蝶が入ってくる前からも出て行った後もずっとその窓の内側で住み続ける。蝶はあっさりと見切りをつけて出ていくことができるが、自分はここに居て、この場で生きていかなければならない。深い諦念なのか。それとも蝶のようにここを出て、新しい世界で何かを始める存在だと確認したのだろうか。そうだったら、嬉しい。
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