和七賢仲間あそびの豊也 打越
銅樋の軒わらひ捨て 前句
神鳴や世の費なる落所 付句(通算41句目)
銅樋の軒わらひ捨て 前句
神鳴や世の費なる落所 付句(通算41句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
費(つひえ)=損失 落所(おちどころ)=落雷発生地点
【句意】雷や、(よりにもよって)世の損害となる落下場所である。
【付け・転じ】打越・前句=和賢人の目線(無常観)から上層階級の贅沢(銅樋)を冷笑する付け。前句・付句=銅樋への冷笑から、そこに落ちた神鳴への嘲笑・迷惑感情へと転じた。
【自註】神のまゝにも仏のまゝにも成がたき物は、神鳴の落所ぞかし。人にかまはぬ広野(ひろの)大海(だいかい)もあるに、住家に落て軒端を崩し、植込の大木を引割き、国土の費なる物なり。人、皆、其の落ける跡を見物して、「太鼓わすれてあらぬか」、「竜の駒の爪はないか」と大笑ひせし。目に見えずして、是はおそろしき物、桑原(くはばら)/\。*
*桑原=雷除けの呪文。神鳴―桑原(類船集)。
【意訳】神の心のままにも、仏の心のままにもならないのは、落雷の発生地点である。人間と無関係な広い野原や大きな海もあるのに、人の住家に落ちて軒端を壊し、植込みの大木を引裂き、世の損害となるものだ。人はみな落雷の跡を見物して、「太鼓を置き忘れてないか」「神鳴龍の駒の爪痕はないか」と大笑いしたりするが、目に見えないから、じつは怖ろしいもの、くわばら、くわばら。
【三工程】
(前句)銅樋の軒わらひ捨て
神鳴や太鼓わすれてござらぬか 〔見込〕
↓
神鳴や目に見えずしておそろしき 〔趣向〕
【付句】二ノ折、裏五句目。雑(当時、神鳴は雑。『最新俳句歳時記』では「俳句の季題」に分類)。
や=軽い間投助詞(ウラハイ = 裏「週刊俳句」: 西鶴ざんまい 番外編9 浅沼璞)。費(つひえ)=損失 落所(おちどころ)=落雷発生地点
【句意】雷や、(よりにもよって)世の損害となる落下場所である。
【付け・転じ】打越・前句=和賢人の目線(無常観)から上層階級の贅沢(銅樋)を冷笑する付け。前句・付句=銅樋への冷笑から、そこに落ちた神鳴への嘲笑・迷惑感情へと転じた。
【自註】神のまゝにも仏のまゝにも成がたき物は、神鳴の落所ぞかし。人にかまはぬ広野(ひろの)大海(だいかい)もあるに、住家に落て軒端を崩し、植込の大木を引割き、国土の費なる物なり。人、皆、其の落ける跡を見物して、「太鼓わすれてあらぬか」、「竜の駒の爪はないか」と大笑ひせし。目に見えずして、是はおそろしき物、桑原(くはばら)/\。*
*桑原=雷除けの呪文。神鳴―桑原(類船集)。
【意訳】神の心のままにも、仏の心のままにもならないのは、落雷の発生地点である。人間と無関係な広い野原や大きな海もあるのに、人の住家に落ちて軒端を壊し、植込みの大木を引裂き、世の損害となるものだ。人はみな落雷の跡を見物して、「太鼓を置き忘れてないか」「神鳴龍の駒の爪痕はないか」と大笑いしたりするが、目に見えないから、じつは怖ろしいもの、くわばら、くわばら。
【三工程】
(前句)銅樋の軒わらひ捨て
神鳴や太鼓わすれてござらぬか 〔見込〕
↓
神鳴や目に見えずしておそろしき 〔趣向〕
↓
神鳴や世の費なる落所 〔句作〕
笑いの対象を軒へ落ちた神鳴へと転じ〔見込〕、世間において神鳴はどんな存在かと問いながら、人々の本音(迷惑感情や恐怖心)へと目を向け〔趣向〕、社会インフラの損失を詠んだ〔句作〕。
神鳴や世の費なる落所 〔句作〕
笑いの対象を軒へ落ちた神鳴へと転じ〔見込〕、世間において神鳴はどんな存在かと問いながら、人々の本音(迷惑感情や恐怖心)へと目を向け〔趣向〕、社会インフラの損失を詠んだ〔句作〕。
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そういえば『日本永代蔵』にも年末決算のころ、家でたった一つの釜に冬雷が落ち、それを買い替えた分だけ赤字になったっていう笑えない話がありましたね。
「そや、迷惑な話やろ」
『西鶴諸国ばなし』では旱魃がらみで神鳴様が出てきましたね。
「あれは夜這い星に戯れた神鳴様が精液を出しきって日照りになってな、困った村人が牛蒡の供物で神鳴様の精力を回復するいう話やで、おもろいやろ」
でも、けっきょく神鳴様は性病ぎみでオシッコが出にくくなってしまったというオチで。
「そや、尿が出にくいいうことは、降っても小雨いうことやで、おもろいやろ」●
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