
湊圭伍
遠い国のあかい血を見たうたにした 本間美千子
戦争や非業の死をメディアで見て、強い感情を喚起されるのはありふれたことだ。詩的技巧に習熟した人間であれば、情報と感情からたちまち「うた」が成るかもしれない。ただし、出来事を「うた」にしてしまうことについてのためらいを持たない表現は危うくもある。
掲句は、上五での字余りにある溜めから、「遠い」「あかい」「血」「見た」「した」の i 音の連鎖、「見たうたにした」の3連の「た」による締めまで、あまりに見事すぎるリズムで整えられている。「遠い国」とぼやかした設定、「あかい」と「うた」のひらがな、「見た」「した」の過去形も合わさって、くりかえし読むうちに「あかい血」の印象は、まずはメルヘンチックな領域へと回収されていく。しかし、さらに読んでいくと、「うた」へと回収された出来事が、「うた」ってしまった人間にとって取り消しがたい認識、くり返し訪れる疼痛として浮き上がってくる。
ためらいながらであっても、出来事を「うた」にしてしまうことを、分かりやすく称揚することはできない。同時に、ためらいを乗り越えてゆくリズムによって、受け入れがたい事実と共にあることを自らと読者へと突きつける、これこそが詩という体験だろうという気もする。『本間美千子川柳集』(私家版、2005年)所収。
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