テーマ 山田露結
父が手術室に入っている間、休憩室のソファーに座って週刊誌を読んでいると、同じ部屋いた初老の男性とその男性の息子らしき人が話をしていた。
話をしていたといっても男性は手術で声帯を切除してしまっていたらしく、筆談で受け答えをしていた。
どうやら、癌の転移が見つかったので再手術の必要があるという内容の話のようである。
何となく、その場所にいてはいけないような気がして別の休憩室へ移動すると今度は30代くらいの女性とその女性の母親が話をしていた。
「○○ちゃん。海の見える景色のいい場所にマンションを買ったから。あとはあなたの好きなように使っていいのよ。」
「お母さん、どうしてそんなことをするの?私はそんなことをして欲しかったんじゃないの。」
「じゃあ、どうすればいいの?私に何が出来るの?」
二人とも泣いていた。
おそらく、彼女は余命を宣告され、今後の過ごし方について母親と話し合っていたのだろう。
ここにいる人たちは皆、癌患者とその家族や関係者である。
癌を治して退院する人もいれば、もちろん、治らない人もいる。
病院の中はとても清潔で、静かで、時間の経過さえあまり感じられないほどであった。
病院というよりは、まるで美術館の中にいるようでもある。
私がコーヒーを買いに1階の売店へ行くと、点滴の袋のぶら下がった器具を引っ張っている女性と一緒に小学生くらいの女の子がお菓子を選んでいた。
「お母さん、早く元気になってね。」と女の子が言う。
頭髪の抜けてしまった頭にニット帽をかぶった女性は女の子の言葉を聞きながら静かに笑っている。
ここでは、ごく日常的な光景だ。
しかし、どこか現実のものではないような不思議な光景でもある。
もしかしたら、本当にここは病院ではなく「病院」という名の美術館なのではないか。
父と私を含め、ここにいる人たちはみな「死を待つ」というテーマの作品なのではないか。
私は父の手術が無事に終わることを願いながらも、ふとそんなことを考えていた。
冬日影人の生死にかかはらず 飯田蛇笏
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