【裏・真説温泉あんま芸者】
「翻案」という遊び
西原天気
太田うさぎ氏が6~7年前に、
ヒヤシンス眠りゐるとき手はどこに うさぎ
という句をつくり(いい句だなあ)、中嶋憲武氏が「尼僧の自慰みたいで、いい」と評したそうです。その読みは、たしかに色濃く、ある。そのうえで、おもしろい句と思うわけですが、この句、Cakeというバンドの「When You Sleep」という曲の歌詞の一節、
When you sleep where where do your fingers go.
が下敷きになっていることを、作者自身が「そっからインスパイアされたというかパクッたのだ」と明かし、当時、句友に意見を求めたそうです。
つまり、こうした外国語の歌詞などを下敷きにして句をつくるのが、問題となるのか。不適切なのか。さらにいえば「剽窃」「盗作」なのか、ということ。
掲句は、〔歌詞の一部のほぼ翻訳+季語〕という作り。これを問題にする人は、おそらくいると思います。〔外国語→翻訳→日本語の文芸作品〕という手順は、おそらく小説なら確実に問題になる〔註1〕。ところが、俳句だと、どうなのか。
黒か白か。アウトかセーフか。人それぞれに見解があるでしょう。
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ところで、実は、私、偶然にも、うさぎさんの掲句のことを知った、その前日の句会で、こんな句をつくりました。
冬雲にサテンの裏地かがやける 天気
この句は、英語の諺(「世の中、悪いことばかりじゃないよ。絶望のなかにも希望があるよ」という意味の諺)、
Every cloud has a silver lining.
を俳句にしたもの。
あ、出来映えには目をつむってくださいね。うさぎさんの佳句とは比べようのない句だってことはわかったうえで、例として出したんですから。
で、です。ここに挙げた2句は、歌詞と諺という違いはありますが、一種の「翻案」です。これを「剽窃だ、盗作だ」という人に向かって、「いや、そうじゃない」と強弁するつもりもないし、(私の句は)するほどの句でもないのですが、「こういうのってアリでしょ?」と感じです。俳句という遊びは、それくらいの感じでいいと思っている。
パロディ、もじり、本歌取り、アンサーソング……分野はいろいろ、呼び方はいくつもあるが、俳句が先行テクストを「踏まえて」つくられること、あるテクストを下敷きに俳句がつくられることについて、全般に、肯定派です。
むしろ、避けるべきは、先行テクストについての無知、類想への鈍感。これをまっとうするのはなかなかたいへんですが。
先行テクスト(俳句を含む)や他テクスト(同)との関係性に意を払うことなしには、俳句はつくれません。作句とは、先行/他テクストの存在を強く意識し、大いに認め、尊重することです(それは「お手本」として「勉強」するなどいう「上達法」の類のことを言うのではけっしてありません。念のため)。
そうした先行/他テクスト尊重のひとつの現れが「踏まえる」という俳句の作り方である。そう見ることができると思います。
これは「パクリ」とは別物です。なぜなら、「パクリ」とは、パクった元のテクストを「なきもの」とする行為だからです。それと似たものが「ない」かのように自作を提示するのが「パクリ」です。それは、先行/他テクストが「あるもの」としたうえでそれを前提とする作り方とは対極にあるものです。
先行/他テクストを踏まえる作り方・遊び方がもっと意識されていいんじゃないでしょうか。
(そういえば、太田うさぎさんが映画「おしゃれ泥棒」を俳句にした「泥棒 ピーターとオードリー」20句も、一種の翻案ですね)
(他人様には関わりのない個人的な事情を言えば、「サテンの裏地」は、「比喩」としてなら作りません。「もじり」だから作る、というところがあります)
(それでは、この諺を下敷きにした歌、Look for the Silver Lining をお聞きいただきましょう)
で、Cakeのくだんの曲。この曲が入っているアルバム、大好きなんですよね。
〔註1〕翻訳による剽窃とは少し違うが、倉橋由美子「暗い旅」がビュトール「心変わり」のアイデア盗用とされ、問題になった件がある(栗原裕一郎『〈盗用〉の文学史』新曜社2008)。
2011年1月22日土曜日
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