相子智恵
河鹿鳴くところまで行き戻りけり 茨木和生
句集『恵(めぐ)』(2020.5 本阿弥書店)所載
「フィフィフィフィフィ、ヒョロロロロ」と笛のような美しい声で鳴く河鹿蛙。どこからか聞こえてくるその声を求めて、声がする場所まで行ってみた。そして戻ってきた。ただそれだけの句なのだが、何とも言えない寂寥感があってしばらく立ち止まった。
元々声を愛でる季語なのだから、句の中で河鹿蛙が見える必要はないのだけれど、〈鳴くところ〉とあえて視覚的には何も訴えないようにした掴み方と、〈行き戻りけり〉の無為な様子が不思議と切ない。ぼんやりと憑かれたように、声がする場所まで行ってしまって、ふと我に返り、「ああ、ここまで来てしまったか」と思って戻る。白昼夢のようだ。
句集に巻かれた帯に採られている〈夏霞浮くごとく島見えてゐて〉の〈ゐて〉の終わり方の、読後も途切れない夏霞の広がりにも感じるのだが、見えているものの中に、現実と非現実のあわいが滲むような句が響く。これまでの風土に根ざしたごつっとした厚みのある生活の句に加えて、夢幻能のような旅人の感じが、土地との関係性の中で現れてきているような気がするのだ。
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