浅沼璞
役者笠秋の夕べに見つくして 西鶴(第三)
つまり、田舎からきた伊勢の参詣人の一団が、帰途、京都の名所めぐりや目新しい道頓堀での芝居通いをし尽くし、いよいよ国元へ定期船で帰るのもうれしく、旅衣を荷ごしらえする問屋(船宿)の、その様子を付け寄せた、というのです。
要は前句の熱心な歌舞伎ファンを、お伊勢参りの田舎人と見立て替えた付けですね。「役者笠」を詠めつくす物見高い人物にふさわしい状況を当てこんだわけで、其人(そのひと)の付けといえます。
ということで自註と最終テキストとの落差を埋めるための仮定の過程を、シン・ゴジラ式にメモれば――
伊勢参宮の下向たのしき 〔第1形態=下向くん〕
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着るものたゝむやどの舟待ち 〔最終形態=舟待ちさん〕
下向くん恙なく舟待ちさんになるの図で、最終形態は「伊勢参」の抜けと解せます。(「伊勢参」が春の季語となるのは後年)
また、「飛ばし形態」によって下向くんを飛ばし、前句と最終形態をテキスト通りならべてみると、さらりと別のリンクをたどることができます。「笠」→「着るもの」というファッション連鎖や、「見つくし」→「たゝむ」といった意味的連関など、まさに「四句目ぶり」に相応しいリンクといえます。
「どや、あっさり付けたかて元禄風になってるやろ。軽い軽い」
ということで次回はこちらも軽く取って返し、「三句目のはなれ」の吟味にかかります。
【注】前回リンクを張った絵巻に描かれた貸切舟のご婦人方が「見尽くしさん」とすれば、伊勢参宮の旅人一行とは乖離します。このことは自註が絵解き目的ではなく、付合解説を優先していることの証左となるでしょう。いってみれば現今の「留書」に近いかたちで自註はなされていたわけです。
着るものたゝむやどの舟待ち 仝(四句目)
『独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
『独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
まずは四句目(よくめ)の式目チェックを軽く。
ここまで秋が三句続いたので雑(無季)となります。
また第三までの手の込んだ付合からも離れ、さらりとあっさり付ける「四句目ぶり」の句体となっている……はずで、そのへんの検証を以下にしていきます。
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西鶴の自註には「是は田舎人の一連(ひとつれ)……伊勢参宮の下向に、都の名所々々見めぐりて……大坂にしばし……芝居めづらしく日毎に詠めつくし、我国舟(わがくにぶね)の出るを嬉しく、旅用意のきる物、荷ごしらへせし問屋のありさまを付寄せし」とあります。
つまり、田舎からきた伊勢の参詣人の一団が、帰途、京都の名所めぐりや目新しい道頓堀での芝居通いをし尽くし、いよいよ国元へ定期船で帰るのもうれしく、旅衣を荷ごしらえする問屋(船宿)の、その様子を付け寄せた、というのです。
要は前句の熱心な歌舞伎ファンを、お伊勢参りの田舎人と見立て替えた付けですね。「役者笠」を詠めつくす物見高い人物にふさわしい状況を当てこんだわけで、其人(そのひと)の付けといえます。
ということで自註と最終テキストとの落差を埋めるための仮定の過程を、シン・ゴジラ式にメモれば――
伊勢参宮の下向たのしき 〔第1形態=下向くん〕
↓
着るものたゝむやどの舟待ち 〔最終形態=舟待ちさん〕
下向くん恙なく舟待ちさんになるの図で、最終形態は「伊勢参」の抜けと解せます。(「伊勢参」が春の季語となるのは後年)
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にしても、下向くんが舟待ちさんになるまでの時間経過はそれほど長くありません。せいぜい数日といったところでしょう。前の、声色くんが見尽しさんに成長するほどの長さは想定されていないわけです。ということは、そのぶん親句の度合いが強く、あっさり付けられていると言えそうです。つまりは文字どおりの「四句目ぶり」なわけです。
また、「飛ばし形態」によって下向くんを飛ばし、前句と最終形態をテキスト通りならべてみると、さらりと別のリンクをたどることができます。「笠」→「着るもの」というファッション連鎖や、「見つくし」→「たゝむ」といった意味的連関など、まさに「四句目ぶり」に相応しいリンクといえます。
「どや、あっさり付けたかて元禄風になってるやろ。軽い軽い」
ということで次回はこちらも軽く取って返し、「三句目のはなれ」の吟味にかかります。
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【注】前回リンクを張った絵巻に描かれた貸切舟のご婦人方が「見尽くしさん」とすれば、伊勢参宮の旅人一行とは乖離します。このことは自註が絵解き目的ではなく、付合解説を優先していることの証左となるでしょう。いってみれば現今の「留書」に近いかたちで自註はなされていたわけです。
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