浅沼璞
着るものたゝむやどの舟待ち 四句目(打越)
埋れ木に取付く貝の名を尋ね 五句目(前句)
秘伝のけぶり篭むる妙薬 六句目(付句)
『独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
着るものたゝむやどの舟待ち 四句目(打越)
埋れ木に取付く貝の名を尋ね 五句目(前句)
秘伝のけぶり篭むる妙薬 六句目(付句)
『独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
さて打越まで取って返し、「三句目のはなれ」の吟味にかかります。
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まず前句が付いたことにより、磯歩きする人の眼差しが特定されました。その眼差しは埋れ木の貝をとらえ、貝の名を案内人に問うています。
この問いかけに対し、秘伝の貝の黒焼き(薬の製法)をもって転じたのが付句。眼差しは薬師(医者)のそれへとシフトチェンジします。【注】
前回ふれたように加藤定彦氏は前句/付句に関し、「やや物付(詞付)の気味がある」としています。そして『類船集』(1676年)における牡蠣&寝汗の付合を注に付すだけでなく、同集より貝&ねり薬の例も引いています。
じつは西鶴自註の続きにも、焼き貝の粉末を練香(ねりかう)に入れる由、書かれているのですが、そんな親句的要素が複数あるにしても、結果として眼差しの転じがなされている以上、物付がマイナス要因としてのみ働いているのではないことは明らかです。
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物付(詞付)であれ、心付(意味付)であれ、親句技法には親句技法なりの「三句目のはなれ」ひいては「眼差しの転じ」があります。
むしろ不用意な疎句の連発は「三句目のはなれ」の基準を曖昧なものにしてしまう恐れすらないわけではありません。
晩年になって親句から疎句への転向をはかった西鶴とて、そんなことは百も承知、二百も合点――
「せやから疎句・親句のバランスも肝心や、言うたやろ。つぎの七句目かて……」
あー、ネタバレ禁止ですって。
晩年になって親句から疎句への転向をはかった西鶴とて、そんなことは百も承知、二百も合点――
「せやから疎句・親句のバランスも肝心や、言うたやろ。つぎの七句目かて……」
あー、ネタバレ禁止ですって。
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【注】
『日本永代蔵』(1688年)巻二ノ三「才覚を笠に着る大黒」に黒犬の丸焼きを〈狼の黒焼〉として売り歩くエピソードがあります。これには「薬食いの狼を騙った詐称だ」とする説がある一方、本文には〈疳の妙薬になる犬なり〉の一節もみえます。「黒焼の妙薬」へ向けた医者の眼差しは散文にもいかされていたようです。
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