樋口由紀子
夏野まで行ってどうでもよくなって
広瀬ちえみ (ひろせ・ちえみ) 1950~
「夏野」は日陰もなく、草いきれの激しい、見渡すかぎり夏草のおい茂っているところである。そんな夏野を詠んでいるのでも、夏野に癒されたというのでもないだろう。あくまでも自分の感情と機微を上位に置いている。夏野に行くまでにどんな葛藤があったのかわからないが、下した結論は「どうでもよくなって」である。最初からそのつもりだったのか、いくら考えてもしかたないから、ひとまず夏野を満喫しようと気持ちを切り替えたのか。そこを軽やかにユーモアに浮かびあがらせている。
「どうでもよくなって」のすっとぼけた喋り口調は句のバランスを崩し、文脈も意識もガラリと変える。この世は「どうでもよくなって」と思って、生きていくところである。『雨曜日』(2020年刊 文學の森)所収。
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