相子智恵
沖雲のまだ濡れてゐる夕祭 橋本榮治
句集『瑜伽』(2023.6 角川文化振興財団)所収
沖のほうにかかる雲は、暗い雨雲なのだろう。夕立があったのだろうか。浜辺は氏子たちが願った通りに晴れてきて、待望の祭が始まっている。星も見え始めているかもしれない。
沖にかかる雨雲をただの「雨雲」と言ってしまうのではなく〈まだ濡れてゐる〉と言った情感がいいな、と思う。「雲が濡れている」というのは、写生から一歩抜け出た詩の言葉だ。〈まだ〉だから、これから沖のほうも晴れていくのだろうと思われる。
祭や行事の佳句が多い句集で、
銭湯券配つて祈雨の祭かな
という句も意外で面白かった。雨乞いの祭を、水不足の年だけではなく毎年行ってきた地域なのだろうか。参加者や祭の手伝いの者には、ねぎらいの気持ちを込めて〈銭湯券〉が配られるのだ。汗もたくさんかいただろうし、それ自体が「水」にかかわる銭湯だから、禊のような意味もあるのかもしれない。銭湯と祈雨の水の響きあい、俗っぽい味わいの中に、生活の中の祭がしかと描かれている。
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