相子智恵
日光月光すずしさの杖いつぽん 黒田杏子 『日光月光』
髙田正子『黒田杏子の俳句 櫻・螢・巡禮』(2022.8 深夜叢書社)所収
元は『日光月光』(2010.11 角川学芸出版)所収の有名句。抽象度が高く、口承性がよくて、連日の暑さの中でふっと思い出す句だ。日の光の中も、月の光の中も一本の杖(遍路杖とされる)を頼りに歩いていく。その一本の杖の涼しさ。
髙田正子氏による黒田杏子論で、黒田にとっての「涼し」の季語について興味深い記述があった。
〈(筆者註:黒田杏子の句の)分類作業を続けながら気づいたことの一つに、熟成に時間のかかった季語ほど、頻繁に詠まれるようになる、ということがある〉
「涼し」は、第三句集『一木一草』になって初めて出てくる季語だそうだ。それ以降、句集の中での登場回数が増えていく。髙田は黒田のエッセイ集『花天月地』(2001年 立風書房刊)の中の「涼し」というエッセイの結びの言葉を紹介している。
〈ひとつの季語が、ひとりの俳句作者の中で変容してゆく。藍甕の中で蒅が生成発展してゆくように。私自身がそのゆたかな藍甕となれることを希って、季語を抱いてゆきたい〉
季語が「作者の中で変容」するものであり、「自分が藍甕となって季語を抱いてゆく」という言葉が私には面白く感じられた。季語との付き合い方、あるいは戦い方は俳人によって実に様々で、「季語とは」の答えはまさに百人百様なのだが、黒田にとっての季語は明確に詩嚢なのだろう。一つの季語で発表された五十句などの大作をたびたび目にしてきたが、なるほどと思うところがあった。
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