相子智恵
花や鳥この世はものの美しく 高橋睦郎
句集『花や鳥』(2023.2 ふらんす堂)所収
句集の「序句」として置かれた一句である。ふと奥付を見れば、発行日は2024年2月4日となっていて、〈小鳥來よ伸びしろのある晩年に〉の句を同書に収める、七十余年俳句と付き合ってきた晩年の、その新しい春の始まりにこの句集を誕生させたのだな、と思った。もちろん偶然かもしれないが。
跋文に、〈芭蕉は敢へて俳諧の定義も、發句の定義も積極的にはしなかつたやうに思ふ。(中略)「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中【うち】にいひとむべし」も、用であつて體ではない〉と書く。掲句の「もの」は芭蕉の言葉を踏まえていよう。定義で固めて殺してしまわない、連続する「今の揺らぎ」の美しさ。そうすると、〈この世は〉の「は」もまた、この世に固めることはできないのではないか、と思われてきて、異界のこともまた、思われてくるのである。
花も鳥の声も、春爛漫の今日この日の現実であり、「花鳥」という詩歌や絵画の美意識の積み重ねられた物語でもあって、この世もあの世も、今も昔も、虚実も超えて俳句が存在することを寿ぐような一句である。
今、このパソコンを打っている私の耳には窓の外から、東京の鳥たちの声が聴こえていて、ぼんやりと遠くに花の雲が見えていて、ああこの一瞬も、「ものの美しく」なのだな、それは心の中でいくらでも自由に、虚実を超えて広がっていくのだな、と思った。
●
0 件のコメント:
コメントを投稿