2011年5月21日土曜日

●週刊俳句・第212号を読む 島田牙城

週刊俳句・第212号を読む
読みの栄光を考へる

島田牙城


五月十五日、午前十一時四分、新幹線あさま号から上田信治さんが佐久平駅に降り立つ。僕が駅についたのは三分後だつたか。信治さんはⅰパッドをいじりながら待つてくれてゐた。

情けない話だけれど、僕はそれを見るのが初めてで、特にiパッドと一緒に信治さんがいじつてゐる黒い缶詰のやうなものに興味を覚え、なにやかや聞きながら階段を駐車場へと降り始める。

すると信治さんは先づ黒い缶詰を鞄に納めたあと、階段を下りながらiパッドに蓋をした。蓋。たしかに蓋なのだけど、あれはまさしく四つ折の風呂の蓋。はう、信治さんはかういふ新しい機械を難なくへつちやらに使ひこなす人なんだと、それ以上質問することが恥ずかしくなつて、佐久の今朝の霜注意報のはうへと話をずらす。

しかし、僕の頭の中には平べつたい大流行の機械のどこに、あの四つ折の風呂の蓋が収納されてゐたのかといふ謎で満たされてゐた。

面白い事に風呂の蓋が気になり始めると、黒い缶詰のことは頭から抜け出したらしく、たつた今聞いたその缶詰の説明が思ひ出せない、といふか、興味を示す先が缶詰から蓋へ以降するのに一分とかかつてゐなかつたのだろうから、缶詰については本当の好奇心としては成就出来なかつたのかもしれない。

信治さんは僕の車の助手席に坐り、そのまま邑書林の事務所へと運ばれた。

到着が何時何分であつたかなどといふ些細なことは僕は気にも留めてゐないのだが、次に書くことに関係があるので推測してみると、佐久平駅から我が家まではだいたい十二三分かかるのだから、十一時二十分過ぎには事務所に入つたのであらうか。

特段会はねばならぬ話があるわけでもなく、二日前だつたか、信治さんのはうから時間ができたのでふらつと佐久へ行くよとメールがあり、偶然僕の時間も空いてゐたので合はうといふことにしたに過ぎない。俳句の世界のライバルプロデューサーである以前に、「里」といふ月刊同人誌の同人仲間なのだから、情報交換そのものが互ひの俳句観の確認といふことにもなる間柄である。

その日のうちにまた塒へ舞ひ戻るといふのだから、酔狂といへば酔狂、俳といへば俳の來里。

あ、僕は俳人が「里」の本拠地である佐久を訪れてくれることを來里と勝手に言つてゐる。

信治さんとの会話の中心は、俳句をいかに魅力的なものとして読んでもらふかといふこと。ともに俳人でありながら演出家であることをも自任してゐるので、俳論の手前でもありその後でもあるやうな話になる。

その時もまたⅰパッドを持ち出すのだけど、話をしてゐるうちにやばくなるだらうからと、この節電のご時世に我が家のソケットへ信治さんはⅰパッドのコンセントを差し込んだ。

二時間ばかり激論を闘はせた後、飯食ひに行きませうと誘ふので、以前磐井さんたちをお連れしたことのある磊庵といふ蕎麦屋に連れていつた。

事務所を出るとき、信治さんはソケットからコンセントを抜くことを忘れなかつたのは勿論だか、またもさりげなく僕の目の前でⅰパッドに風呂の蓋をした。僕はそれを眇で見ながら、さういえば風呂の蓋を開けるところを見逃したことに気付き、忸怩たる思ひに、信治さんには悟られぬやうに歯噛みした。

磊庵には「里」の同人仲間である土橋とはが同行した。言つてみれば僕の妻である。二人が三人になると、人数は一点五倍なのに、会話は一往復から三往復へと三倍になる。食事の時はその方が楽しからうといふに過ぎないのであつて、磊庵で昼酒を飲むのだから帰りの運転手が必要だ、などといふ不埒なことを思つたわけでは決してない。

磊庵で濃い蕎麦を食らひ、ビールをかつ込んだあと、四時過ぎの新幹線あさま号東京行に信治さんを放り込んで自宅に戻ると、テレビでレッズ対セレッソのサッカーをやつてゐた。僕は信治さんとの会話に酔つたのか、サッカーを見てゐるのか寝てゐるのか分からない状態で試合終了のホイッスルを聞き、中間試験前なのに日曜の昼間からサッカーのテレビ観戦で時間を無駄遣ひしてゐた愚息を子ども部屋へ追ひやつた後、事務所にふらふらとたどり着いてEメールを開けた。

件名「御寄稿のお願い:ウラハイ」。送信者「tenki saibara」。日時「2011年5月15日 11:21」。

何、十一時二十一分とな。この偶然はいつたい何なのだらう。信治さんがこのパソコンの前の机に坐つたちやうどその時、天気さんのメールが飛んできてゐたのだ。

僕はこの依頼メールを安堵とともに読んだ。なーんだ、さうだつたのか、と思つた。

いや、信治さんと天気さんが示し合はせたのだなんて露思はない。偶然なんだ。でも、その偶然の積み重ねが人を動かしてゐるんだな。そしてその偶然が面白いし、その偶然を掬ひあげることこそが俳人の仕事なんだ。などといふたあいない納得。

天気さんに誘われるままに「週刊俳句」二百十二号を読んだ。生駒大祐さんが「読み」について書いてをられた。ほかにも鈴木牛後さんが句集を読んでをられる。また生駒さんと野口裕さんが計三本俳句を読んでをられる。

それぞれの文へ特別に何か語らうとは思はない。教へられることが多いし、俳句にとつて実にいい光景だ。俳句が待望の批評の時代に突入し始めたのかもしれない。

さて、これは逆説的に書くのだけれど、俳句は読まれない歴史を歩んできた。選ばれる歴史は長い。連句の時代は捌によつて選ばれたし、虚子は「選は創作」といふ絶妙のお茶の濁し方で読みすなはち批評・鑑賞を嫌つた。

しかし何時のころからか俳句は読まれるようになりはじめた。そしてついに今、俳句は読みの時代に入らうとしてゐる。

と同時に俳句は句会の時代を続けてゐる。こちらは若干の変化はあつた(例えば句会が極端に少ない「豈」など)やうだが、句座をともにした連句時代から近代、現代と、句会は衰へることを知らない。

選ばれることと読まれること。

俳句関係のホームページをネットサーフィンしてゐると、何の批評・鑑賞も加へることなくただ他者の作品を羅列してゐるページにちよくちよく出会ふ。あれらは明らかに読みではなく選びの世界なのだらう。そしてそれが伝統的俳句の姿なのかもしれない。

嗚呼、何か深みに嵌りさうである。

天気さんからは字数制限はされてゐないけれど、締め切り制限は一応ある。これ以上考へてゐるとそれに遅れる。

この後はいづれ次回といふことにしよう。

一つ気になつてゐる胸の痞へを吐露しておくと、

偶然の産物でありエクスタシーの塊であるやうな俳句といふ一句一句は、選といふ方法によつて深められてきたのだらうが、読みといふ一句解体の作業は本当に俳句のためになるのだらうかといふ思ひが、ぼくの中にあるといふことである。読みが偶然の作に必然を押し付けることがあつてはならない。もちろんそれは読み手の技量の問題もあるのだらうが、読みといふ作業が選びとはちがふ脳の作用に拠つてゐることは確かだと思ふものだから、頭の弱い僕などは混乱するのである。

ここでいふ選びとは、句会などで要求されるスピードを伴ふ選のことである。そこでは、読みを拒絶した瞬時の閃きのやうな選択が要求されるのだつた。

読みの時代に栄光あれと思ひつつ、ふつきれない思ひを捨てきれずにゐる。

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