上野葉月
≫承前
放射線の人体への影響に関して色々調べていると、ソースによって数値に大きな差があるのに驚かされる。
自然科学、医学の分野でもこういうことがあるのかと改めて思う。経済学者なんかだと人数分だけ言っていることが違うなんてことは往々にしてあって政府の財政危機が進むと円が上がる/下がるとか原油価格が上がると景気がよくなる/悪くなる、と人によって結論が真逆になったりもして、経済学なんて社会科学というよりオカルトという印象を強く与えたりたりもするが、普通自然科学分野では数値に大きな差は出ないものだ。
この期に及んでも日本の原子力発電所は構造上、再臨海の可能性は非常に低いと主張する大学の先生が居たりする。本当にそうだったらどんなに良いだろう。再臨海する心配がないなら多くの人命を危険さらしながら「焼け石に水」を毎日繰り返す必要もなく、冷えてしまうまで何十年か放っておくだけでいい。
有名なチェルノブイリの事故でも、公的な数値では人的被害が非常に少ない。一方、消火作業に延べ60万人導入してそのほとんどの人が10年以内に亡くなったという説も根強かったりする。しかしこの60万人については時間をかけて調べても確かのソースにたどり着けない(私の調べ方が悪いのかもしれないが)。旧ソ連以外の国の諸機関も様々な数値を発表していて、そこには大きな開きがある。
考えてみるとチェルノブイリ以前は放射性ヨウ素が子供の甲状腺ガンを引き起こすなんてことは広く知られていなかった。日本のような人口密集地帯で原子炉が四基(あるいは六基)ダメになってしまうなんて人類が初めて遭遇する事態なので、今まで知られていなかったような出来事も当然現れてくるだろう。
どうも比較的確かな研究結果は広島長崎の被爆者の追跡調査ぐらいしかないようだが、いうまでもなく核爆弾は爆発力や熱で人を殺すための兵器で放射線で人を殺傷しようとしているわけではない。広島長崎の場合、放射性物質のほとんどは熱や放射線になっていて環境に残留した放射性物質の量は原発事故と比較しようのないぐらい少ない。しかも爆心地から500メートル以内ではほとんど全員即死、500~1000メートルでは半数がほぼ即死残りの半数のほとんどは三ヶ月以内に死亡(急性の放射線障害で亡くなった人も多いだろうが火傷がもとでなくなった人も多いに違いない)で、生き残った被爆者のほとんどはそれほど強い放射線を浴びているとは考えにくい。ようするに広島長崎の追跡調査で得た数値は、原子力発電所の事故による汚染の影響を予測するのにあまり役に立ちそうにない。
原子力発電推進派の言うことはもとより信用できなかったわけだけど、反原発派の言うこともなんだかやたら感情的な発言が多くて(反捕鯨団体みたいで)どうも付いていけない感じが強かった。原発事故に比べれば核爆弾なんて子供の喧嘩だ、なんて言い草はもしかしたら環境汚染という見地に立てばその通りなのかもしれないけど、あんまり肯いてばかりいられない気持ちになる。
先日、福島を広島長崎と同列に並べて話題にしているのを聞いてひどく違和感を覚えた。しかしあとで考えてみるに放射性物質による環境汚染の程度がまるで違うから違和感を覚えたわけではない。むしろ広島長崎について話題にするとどうも被害者面しているように見えてしまうのではないかという心配があって私は原爆のことをあまり口にしたくないのではないか。しかし福島の場合、日本人は地球環境に対する明らかな加害者側なので、かえって話題にしやすいという部分が(少なくとも私に関しては)ある。最近ブログで福島に関するエントリが多いのもそういう事情が手伝っているような気がする。
広島長崎では短期の強力な放射線照射による初期の胎児への影響が強く、小頭症などの奇形が多く発生したのはよく知られているけど、原発事故による放射性物質の拡散のようなタイプの汚染では胎児への影響はほとんど観察されていないらしい。放射線医学の分野で著名な専門家の本を読んでいたら、あの忘れもしない1986年には欧州で十万件以上の奇形児を恐れた堕胎が行われたと書いてあったけど、なんやかや云いながらカトリックの影響の強い欧州で十万件も堕胎が行われたとはにわかに信じがたい。ともあれ放射線の胎児への影響は主に死産という結果に至りやすいので奇形児を恐れての堕胎というのは当に的外れな行為なのだそうだ。
チェルノブイリの時も意外に感じたのだけど(あのときは2000km程度の距離だった)、人間は放射性物質の環境汚染ではあまり逃げ出したりしないものだ。やることといえば窓を閉めて牛乳や卵を摂らないようにするぐらいのものである。
仮にもし東京で小児ガンの発生率が爆発的に増加することになり1000人中、5~10人という予測が立ったとしても、1000人中900人以上の子供はガンにならないという考え方は可能だ。もしかしたら今後マスコミもそういう論調を率先して流すかもしれない。
たとえば南米に仕事なり親戚なりの伝があって移住可能な小さな子供を抱えた夫婦があったとして、実際に移り住んだら福島からの距離は安心なものになるだろうが、子供が犯罪などに巻き込まれて死んでしまう可能性は東京に留まって小児ガンになる可能性を上回るように見える。
しかし結局のところ、人間はそのような計算で行動したり生活したりしていくものでなく感情面に大きく依存しているので、選択はより複雑で困難な様相を呈するだろう。幼い子供を抱えた親というのは風邪で咳をしていてすら実際に不可能なのに「代わってやれるものなら代わってやりたい」と本気で思ったりする。ましてある程度状況が判断できる年齢で甲状腺ガンを発症した子供が「住んでいたらガンになるかもしれないのに何故東京に残ったの?」と聞いたとき「面倒くさかったから」と答えられる親というのは数が少ないはずだ。
今幼い子供がいる人たちや今後結婚して子供を持つであろう人たちは、今まで余りお目にかかったことのない独特の困難に直面していくのではないか。
私はかなり近い近親者に“ゆとり”とバカにされながら育った世代の人間がいるけど成人した途端こんなタイプの何十年と続く重荷を背負わされてしまったのを見てほとんど判断停止とも言っていい状態に陥っているかもしれない。
あまり期待していないのだけど多くの僥倖が重なって今回の原子力発電所の事故による土壌汚染がこれ以上進まなかったとしても、東北関東会わせて五千万程度のサンプル数が利用可能な大規模な調査が可能になる。さっきも書いたように人間はいざとなってもあまり逃げ出したりしないものだ。
今後30年ほどで、放射線の長期的な照射による健康被害が言われていたほど恐ろしいものなのか、あるいは人間の免疫力や自然治癒力が予想された以上に強いのか、かなりの程度はっきりすることになるだろう。このデータは放射線医学の分野で人類の大きな宝になるはずだ。最近は暗いニュースばかりだが、これなんてもしかしたら明るいニュースなのか。
(了)
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