【みみず・ぶっくす 番外篇】
ニースの暮らし、或いはイスラム国とこどもたち
小津夜景
さいきんとある知り合いを見かけないなあと思っていたら、きのう数ヶ月ぶりにひょっこり姿をあらわした。驚いたことに以前とまるでちがう風貌になっていた。イスラム国に洗脳されてしまったらしい。
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はじめてイスラム国を肌身に感じたのは数年前、家の裏手に住んでいた一家の息子さんがシリアに出奔してしまったのがきっかけだった。地元紙のインタヴューで息子を取り返してほしいと訴える親御さんを知ったときは気の毒でならなかったが、これが数奇な出来事ではないと気づくのにさほど時間はかからなかった。
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フランスの日常におけるイスラム国の怖さとは、なにより子供を連れ去られることではないか、とおもう時がある。ここ数年のあいだに、この町からシリアへ向かった19歳未満の子供は、自分のような者が知るだけで30人を超える。ベッドタウンをふくめると7,80人になるそうだが、なにぶん事が失踪事件だけにそこから先の正確な数はわからない。いずれにせよ、この町の人口が35万人であることからして、にわかには信じられない数である。
いや。青年を勘定に入れると、フランス全土で1500人もの人間がジハードへおもむき、地元紙にはコート・ダジュール出身の死者の名がたびたび載っているのだから、いまさら耳を疑うほうがおかしいのかもしれない。
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洗脳の経路は、イスラム国のサイトを見たり書き込んだりしているうちに感化されたり、フェイスブックで友達申請をしてきた人物が実はそうだったりというのがほとんどだ。そして一人とりこまれると周囲にも感染することが多い。三年前、同じ地区に住む20人の子どもたちが相次いで行方不明になったときは、この子たちがシリアで肉弾となっていたことが後日わかった。
肉弾にも仕事はある。彼らの仕事は「テロリズム支援税」の支払いを拒むシリア住民を連行して処刑し、その首をふたたび家族の元にとどけて、金を出すよりほかに生きる方法はない現実を知らしめること。食事のたびにドラッグを処方されつつこの任務をつづける。どうしてこんなことが明るみになったのかというと、シリアにいた少年のひとりが隣町カンヌの警察に逃げ込んだからで、この少年は新たな人材を誘い込むため、ニースにこっそり戻されていたのだった。
また別の話に、友だち数人とシリアに行ってしまった15歳の少年の両親が国を相手どって裁判をしている、というのもある。その両親の主張は「未成年の子が連れ立って空港から出国するのを阻止しないのは国家の失態だ」というものだ。彼らはコーランを読んだことがなく、失踪する前日もみんなでクリスマスパーティーをしていたような環境で育った。
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ジハードに関わったフランス人の家庭環境については、専門家による実態調査が山のようにある。それによると階級は上流2割弱、中流7割、労働者階級1割強。宗教は無神論が8割弱、ムスリム系1割強、キリスト教が1割。また移民出身者は1割である。
出奔時のようすはカルト教団への入信よろしく、ある日こつぜんとして行方をくらます。たぶんそのせいだろう、イスラム国はオウムと似ているとおもうか、といった質問をなんどかされた。娯楽を断ち、肉親との縁を切り、学業や仕事を捨てて家出するまでの流れを知れば知るほど、ええ、どのカルトにも共通する手法ですよね、としかいいようがない——学生の頃、周囲に悟られることなくオウムへの入信を果たし、あの事件の夜に逮捕されてしまった友人を思い出しながら。
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ある年齢以上の者にとっては、なんらかのセクトに関わったり、そのせいで警察の世話になったりといった体験や見聞はめずらしくないとおもう。自分自身の頃もまだあったし、フランスもおなじだ。モサドもハマスもいれば、アルカイダもいる。学生寮には国籍年齢不詳の活動家が潜伏しているし、ごくたまにガサ入れもある。
でも、子どもばかりを狙い撃ってかくも大胆に国際空輸するカルト集団など今まで聞いたことがない——少なくともありふれた生活圏では。なかでも女の子は幼いほど狙われやすい。そういえば児童集団への洗脳の疑いで現在警察の監視下にある某宗教家——いっときの麻原彰晃のように脚光をあびている有名人だ——がこことは別の町に住んでいるのだけれど、この宗教家がひとびとに知られるようになったのも「音楽は悪魔のつくったもの。聴いたら豚になる」と教化して10歳の少女を精神障害に追いこんだからだった。
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これ以上書くと、いただけない政治論やおめでたい文化論が言葉に絡みついてくるだろう。そういうのは本意でも流儀でもない。書きたかったのは、すでにたくさんの子供が死んだということ。そして子供が死ぬ話は聞きたくないということ。それだけ。
しずめかねし瞋(いか)りを祀る斎庭(ゆにわ)あらばゆきて撫でんか獅子のたてがみ / 馬場あき子