2016年2月27日土曜日

【みみず・ぶっくす 59】エアー病 小津夜景

【みみず・ぶっくす 59】
エアー病

小津夜景


 ことばの平衡感覚にささやかならぬ欠陥がある。日頃なにかを伝えようとするとかならず思っていたのとは逆のことを言ってしまうのだ。しかも指摘されるまでそれに気づかない。
 まったく自覚がないというのは何かの病気だろうか。
 もともとしゃんとするのが怖いというかそれを避けたい性分ではある。目がわるいのでものをよく見ることがなく、好んで聞くのはたわいない物音ばかりで、今日までの来し方を思い出すと飛び降りたくなるため昨日のことすら考えない。さらには生業が無我の境地をめざすことときている。
 そんなこんなで年がら年じゅう放心しっぱなしだ。
 このまえ浜辺で赤ん坊みたいによつんばいになって貝殻をあつめていたら、ふと近くのガードレール越しにこちらを指差している男の子を母親がむりやり引きずってゆくのがみえた。エアーおばさんだよ、という男の子の声がきこえる。エアーおばさん? 何だそれ。エアー、エアーといえば土方巽の「幽霊になぜ足がないのか。ところが幽霊でもああいう形態を保っているわけですね、何かが支えている。支えなければ浴衣と同じて落ちてしまう。支えているもの、エアーですね」しか思い浮かばないが。
 後日、エアーというのは雲の上でふわふわ傾いている感じのことだよ、と知人が教えてくれた。ふうんそうだったのか。もしかしたらじぶんが思っているのと逆のことを言うのも、なにかそういった無重力的なことと関係しているのかなあ。
 ところでこの病気、夫婦間ではなんの問題にもならない。「あれどこ」と夫に聞かれて「右の棚」と答えれば、夫はだまって左の棚を見にゆくから。イッツ・ノット・アンユージュアル。


モザイクの風すこしある沈丁花
コマ落としめいて遅日の走り書き
目ぐすりをくすぐる糸の遊びかな
クローバーしこたまつんで心が留守
地の果てや花を見ちがふ言ひちがふ
ストロボのそぼふる春のモアイ像
要約のやうに老ゆらむ桃の坂
いまさらの夜を慈姑と眠りこけ
田楽に死に至らざる病あり
紙芝居かすみの奥に呑み込まる

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