相子智恵
野分雲神の垂れ目がのぞきけり 仲 寒蟬
句集『全山落葉』(2023.7 ふらんす堂)所収
野分は秋の暴風のことで主に台風の風を指すが、台風よりもはるかに古い言葉だ。10世紀前後の『敦忠集』の和歌にも出てくる。天気図や衛星写真を見ることのできる現代とは違い、台風の正体を知らなかった昔の人々にとって、野分は、ただただ野の草を分けて吹き荒れる理不尽な暴風であったことだろう。
掲句は、台風の正体を知った後の我々が描く野分の句として興味深い。台風の雲の渦にはいわゆる「目」があるという科学的な見方が、〈神の垂れ目がのぞきけり〉のイメージには重ねられている。衛星で雲を上から見下ろせる私たちが、神の目よりもはるかに上空からの視点を内蔵しながら、その雲を〈野分雲〉として地上から見上げている。上からと下からの視点の混在と、野分と台風という新旧の感覚の混在の面白さ。
それにしても、ただの概念的な「神の目」にしなかった、この〈垂れ目〉のぶよぶよとした現実味と、〈のぞきけり〉の薄気味悪さがいい。台風の様子を上空から観察できるからといって、私たちはその威力からは逃れられない。その不気味さ、抗えない大きさを感じさせてくれる。
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