2023年10月4日水曜日

西鶴ざんまい #50 浅沼璞


西鶴ざんまい #50
 
浅沼璞
 
 
 小判拝める時も有けり   打越
堀当て哀れ棺桶の形消え
   前句
 寺号の田地北の松ばら
   付句(通算32句目)
 『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
 
【付句】二ノ折、表10句目。雑。
寺号=寺の称号がついた地名。 田地(でんぢ)=田圃のこと。

【句意】(お寺はなく)地名にだけ寺号が残った田地の、その北には松原がある。

【付け・転じ】打越・前句=身分ある人の棺桶と見なした無常の付け。前句・付句=寺域の跡地と見立て替えた其場の転じ。堀当て(結果)、寺号の田地(原因)と捉えれば逆付。
       
【自註】里の名に正覚寺(しやうかくじ)・薬師寺などいへる寺号は、何国(いづく)にもある事也。我住(わがすむ)在所ながら、此子細はしらず、年ふりけるに、棺の桶掘出したるにぞ、昔日の寺地(てらち)とは合点(がてん)いたせし。「北の松原」は何の事もなし。一句の風情也。あるひは道橋(みちはし)に文字の残る石をわたし、五輪の四角なる所*は、井のはたの桶の置物とぞなれる。気を付て見る程世はあはれにこそ。
*五輪の石塔の最下部、方形の部分をさす。

【意訳】村里の地名に正覚寺や薬師寺や、寺の号の付いている所は何処にでもあるものだ。自分の居住地ながら、地名の由来を知らず、年を経て棺桶を掘出し、昔は寺の敷地であったのかと納得申し上げる。「北の松ばら」と句に入れたのはどうという事もない。一句に風情を出すためである。たとえば道路の橋に、文字の残った石を渡し、五輪塔の四角い石などは井戸端の桶を置く台となったりする。意識してみるほど世は哀れだ。

【三工程】
(前句)堀当て哀れ棺桶の形消え
 
有りし寺院の墓地の跡てふ  〔見込〕
  ↓
子細の知れぬ寺号の田地   〔趣向〕
  ↓
寺号の田地北の松ばら    〔句作〕

前句から、昔は寺院の墓地があったと見込み〔見込〕、なぜそれが分かるかと問いながら、地名に寺号が残っているものと想定し〔趣向〕、「北の松原」で風情を添えた〔句作〕。


 
打越・前句の付けに関し、編集の若之氏より、〈この発想の展開には、「拝める」も関わっていそう〉との寸感をもらいました。
 
「そやな、小判拝む、から佛拝むの転じやな」
 
なるほど。あと〈上五の「て」が打越と共通しています〉という指摘もありました。たしか打越は〈住替て不破の関やの瓦葺〉でしたね。
 
「前にワシの俳論調べてもろたように、前句の腰の「て」は折合を気にするけどな、打越の腰はさほど気にせん」
 
あぁ番外編11ですね。腰っていうのは長句なら5・7・5、短句なら7・7の各末尾の「て」という事ですよね。
 
「そやな、腰痛で差し合うときにな、腰に手ぇ当ててしのぐ、あの動作と同じやで(笑)」
 
……。
 

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