相子智恵
三人は二人と一人いわし雲 亀井雉子男
句集『朝顔の紺』(2023.6 文學の森)所収
〈三人は二人と一人〉は、三人を二つに分ければ、もう、それはその通りでしかないのだけれど、掲句にはうっすらとした寂しさと、あっけらかんとした清々しさというか、禅問答のような味わいが、ほどよいバランスで感じられてくるのがいい。
寂しさという面では、三人でいる時に、自然にそのうちの二人で話が盛り上がり、一人は置いていかれる……というような状況は、経験した人も多いことだろう。
しかし、この句はのんびりとした〈いわし雲〉という季語によって、空の高さと清々しさが感じられてくる。そこに禅問答のような味わいが滲むのである。
二人のほうには対話の喜びやら面倒やらが生まれる。もう一人には孤独が、けれども自分との対話という楽しみも生まれる。そもそも、寂しさという尺度でこの句を読むことも、何か違うような気がしてくる。〈二人と一人〉となったまま、特に何も生まれないかもしれない。〈いわし雲〉はぽっかりと浮かび、やがて風に薄れ、空にとけてゆく。
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