日本と日本的なもの
福田若之
『東京暮色』や『浮草』に降った雨や雪にもかかわらず、いつも澄みきっている小津の空は、ジャン・ルノワールが隠遁の地として選んだカリフォルニアの好天と遥かに通じあっていはしまいか。あるいは、ジョン・フォードのモニュメント・ヴァレーの空と通じあっているといってもよかろうが、白昼の作家たる小津安二郎の晴天は、映画がそこで生まれ、成長し、成熟したアメリカの西海岸のように、どこまでも澄みきっていなければならない。彼が、「梅雨」と呼ばれる日本独特の湿った風土をその画面から排除したのは、あくまで映画に近づくための選択なのだ。
(蓮實重彦、『監督 小津安二郎』、ちくま学芸文庫、1992年、235-236頁)
いずれにせよ、小津安二郎を日本的と呼ぶことがどれほどその作品世界の無理解からなりたっているかは、もはや改めて指摘するまでもあるまい。彼は、日本的というあの曖昧な形容詞に埋没するよりは、映画とその限界への不断の接近を選択した。そして、風俗的にはまぎれもなく日本的な人物や事物を、陰影と湿りけと輪郭の曖昧さから解きはなち、乾いた陽光のもとに据えることを選んだ。
(同前、236頁、太字は原文では傍点)
いうまでもなかろうが、小津安二郎を反=日本的な映画作家だと主張するのは愚かなことだ。事物の輪郭を曖昧にする陰影の世界を避け、もっぱら真夏の陽光のまばゆさに近づこうとした小津が、多くの点で日本的な美意識と呼ばれたものの対極に位置するのは確かだとしても、小津はまぎれもなく日本の作家である。ただ、小津的なものと小津安二郎の映画とのずれの内部に身を置き、その不断の運動を遊戯として演じてきたものとしては、ここで改めて、日本的なものと日本とのずれを生き直してみたい誘惑にかられる。小津安二郎が決して小津的なものにかさなりあうことがないように、日本もまた決して日本的なものにかさなりあうことはないだろう。小津的なものによって、小津安二郎の作品を抹殺することだけは避けねばならない。「日本」と「日本的なもの」の問題、さらに、「反=日本的」なものの問題。
(同前、237頁、太字は原文では傍点)
cf.)「反=日本的」ということに関して→『反=日本語論』;「日本的なもの」と陰影→谷崎『陰影礼讃』。
小津と光線。「日本映画」の比重は「日本」ではなく「映画」にある:バルトの度重なる主張(ex.)「日本――生活術、記号の技術」《Japon : l'art de vivre, l'art des signes》, ŒC III,84-90)とも重なり合う(バルトは『記号の国』で「日本映画」についてはほとんど語っていない)。
ところで、バルトもまた、多かれ少なかれ、日本的な人物や事物を乾いた陽光のもとに据えているように思われる。
また別に、俳句の実作上の問題。蓮實の主張するように、小津安二郎が、映画に近づくために、映画の成熟した地であるカリフォルニアの光線を再現するに至ったのだとすれば、文学としての俳句(もちろん俳句全体ではない)=ラテン的な俳句?
文学とラテン性→参考:デリダ『滞留』
ラテン的に俳句を書くことは可能か? おそらく可能だ(楽天的に断定してしまおう)。だが、どうやって?
cf.)ボルヘス「ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール」。南フランスのニームに生まれた象徴主義者が二十世紀の初頭に『ドン・キホーテ』を一字一句違わず著すという試みが、それ自体実にドン・キホーテ的なものとして語られている。
(ここでの)ドン・キホーテ性:時代錯誤と幻想:郷愁(失楽園的な?)
cf.)ハイデガーにおける「故郷喪失」
『がっこうぐらし!』が『ドン・キホーテ』の類型に属していることは明らかだが、そこでは記憶のテーマ(ゾンビに囲まれながら、死者の生前を、平穏な学校生活を忘れないということ)がより前面に押し出されている。→文字の人であるのみならず、記憶の人としてのドン・キホーテ(ボルヘス「記憶の人・フネス」とは多少異なる意味での「記憶の人」)。
2015/8/25
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