2016年1月16日土曜日

【みみず・ぶっくす 54】なんといふ薔薇日記 小津夜景

【みみず・ぶっくす 54】
なんといふ薔薇日記

小津夜景



 喫茶店で、お悩み相談を受ける。
 なんでもその人は、その辺の紙にちょこちょこ日記をつけるのが趣味らしいのだが、しばらく書き貯めていると突然飽きる瞬間がきて、書くのをやめる。そのうち部屋の掃除やら、引越しやら、なにやらでその紙の束をなくす、ということをくりかえしているらしい。
 なんとか、なりませんかね、とその人。
 その辺の紙じゃなくて、ちゃんとしたノートに書いたらどうかな、とわたし。
 ちゃんとしたノートには人生の方向性がみえた時点であらためて整理します。それまでは紙切れがいいんです。いきなりノートに書いたりしたら、捏造しかねないし。
 あ、あらためて整理ってそれこそ捏造じゃないの? わたしが驚くと、その人は、いいえ、時を経てからやっと意味がわかる風景ってあるでしょ? いまここからだと死角になっていて見えない風景ってのが。そういった、いわば人生の伏線をね、もれなく日記に盛り込みたいんですよ、と言う。
 僕は人生の意味を散逸させたくないんです。なのに今の状態ときたら、何も書かないよりよほどひどいありさまだ。まるで散ってしまった薔薇みたいに。あーあ人生は「なんという薔薇!」のはずなのになあ。え? なんすか? ああこれ。僕が昔好きだった日記のタイトルですよ。
 ついに答えを得ぬまま、わたしたちは珈琲代を払う。
 交差点で別れる。本人すら気づかない死角が、いまここにみちている。わたしは、おそれおののく。わたしなりに。

 厚いプルースト買っていつ読むのか / 岡田幸生

フーガより冬毛うつくし立体図
即ちをなまこの生になぞらへる
あたかもが夜の寒にふれ帆柱に
いつ終はるともなく笑ふ鯨かな
とでもいふごとく貌あり山眠る
いかにもと藁に六花を包み来し
やうなもの木枯うごく時見えて
空前の鍵は冬木にかけておく
また冬の帽子が旅に出てそして
或る記憶術しはぶきがさざなみが

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