浅沼璞
朽木の柳生死見付くる 前句
跡へもどれ氷の音に諏訪の海 付句(二オ1句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
前回の「#41」と同じ三句の渡を掲げました。
じつは編集の若之氏とやりとりするうち、前句・付句は〈季戻り〉ではないかという疑義が生じました。
つまり現代の歳時記では、柳(晩春)→氷の音≒氷解く(仲春)と解せるからです。
●
そこで近世の俳書にいくつか当たってみたのですが、意外なことに『はなひ草』(1636年)、下って『俳諧歳時記栞草』(1851年)などで、柳は三春と季別されていました。
いっぽう氷解くる・消ゆる等は『増山の井』(1663年)以降は一月(初春)と季別されているようです。
よって西鶴の付合は柳(三春)→氷解く(初春)と解釈でき、〈季戻り〉の心配はなくなります。
●
ところで打越の花については、今も昔も晩春と季別されているわけで、花(晩春)→柳(三春)→氷解く(初春)となり、三句の渡での〈季戻り〉と解釈する向きも多いでしょう。
しかし愚生の所属していた東京義仲寺連句会「水分の会」で、〈季戻り〉は前句・付句の二句間のみに適応する由、話題にのぼった記憶があります。
また先日も他門のレンキストH氏から、同様の解釈をお聞きしたばかりです。
●
それかあらぬか、この花(晩春)→柳(三春)→氷解く(初春)という季の按配は、独吟に限らず、西鶴門下で共有されていたらしく、たとえば発句・脇・第三でも次のような作例がみられます。
花軍名のり懸てや一季(騎)うち 吉清
しのびの緒をきる青柳の糸 西鶴
砂土圭(時計)氷の響きあらはれて 幸孝
『西鶴大矢数』第百(1681年)
発句の花軍(はないくさ)は、玄宗と楊貴妃が花にて打ち合った故事によるもので、『俳諧御傘』(1651年)では正花とされています。
脇の青柳は柳と同じく三春で、そもそも冒頭に引用した「朽木の柳」の自註には〈朽木の青柳〉とありましたね。
第三の氷の響きも、自註に〈氷のひゞき、春の言葉〉とありました。
付筋については割愛しますが、花(晩春)→青柳(三春)→氷の響き≒氷解く(初春)という季の流れは確認できるかと思います。
●
「ちょいと待ちいな。三春とか初春とかワシはいちいち気にかけておらんで」
……そういえば俳文学者のS氏から、季戻りを嫌うようになったのは芭蕉・西鶴の頃よりももう少し後の印象、と以前うかがったような。
「せやろ。ワシの時代の俳書に〈季戻り〉いうのは見かけんし、そんなん気にしとったら、十八番の〈逆付〉もでけへんやないか」
……たしかに、そうですね。もっと調べて出直します。
●
0 件のコメント:
コメントを投稿