樋口由紀子
ふとももがふとももだった春の昼
浮千草 (うき・ちぐさ) 1950~
ふとももの感触が好きだ。ふとももはいつだってふとももであって、他の部位になりかわることはない。なのに、あらためて「ふとももだった」と書く。「だった」は「そうであった」「そんなときにがあった」の意味もあるが、ここは再確認の「だった」だろう。
冬の寒さで厚着していて、久しく見ていなかった自分のふとももに触れてみた。ずいぶん細くなって弱々しく、若い頃のように名前通りのふとももとは言えないけれど、ふとももであることには変わりはない。穏やかな日差しに包まれて自分を支えてくれているすべてのものに感謝したくなる、春の昼なのだろう。
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