浅沼璞
筬なぐるまの波の寄糸 前句
四十暮の身過に玉藻苅ほして 付句(二オ3句目)
四十暮の身過に玉藻苅ほして 付句(二オ3句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
【付句】二ノ折、表3句目。 夏=玉藻苅る(『毛吹草』連歌四季之詞)
四十暮(しじふくれ)=四十くらがり。四十歳にて眼力衰ふるを云。[俚諺集覧・中より] 人生五十年の時代、四十歳は初老。現在なら六十歳くらいか。
身過(みすぎ)=生活の手立て。
【句意】視力の衰えはじめた初老女性が(男と同じく)生活のために海藻を刈り、それを干している。
【付け・転じ】打越・前句=湖→波と水辺の言葉を続けつつ、波の動きを機織り作業に見立てる。前句・付句=糸四十本を一紀(ひとよみ)とする筬から四十暮へと連想をひろげ、機織り仕事から藻を干す労働へと続ける。水辺の三句がらみか。
【自註】隨縁真如(ずいえんしんによ)*の波立たぬ日もなく、世をわたる貧家の手業(てわざ)、何におろかはなかりし。四十にちかき女を「四十暮の人ぞ」と俗に申しなせり。いづれ、姿はむかしの残りても、脇㒵(わきがほ)に波の皺うちよりて見ぐるし。殊更、浦里のならひ迚(とて)、男のすなる*事までも鎌取りまはして。
*隨縁真如の波云々=謡曲『江口』のサンプリング。*男のすなる=『土佐日記』のサンプリング。[定本全集より]
【意訳】因縁によって真理の大海に波がたたない日はなく、世を渡る貧家の手仕事とて、何の手ぬかりもない。(そうした中)四十歳近い女性を「四十暮の人」と世間では呼んでいる。凡そその姿には若い時分の名残があっても、横顔には波のような小皺がよって(自分でも)見苦しい。ことに浦里では、習慣として男のする仕事までも鎌をとってする。
【三工程】
(前句)筬なぐるまの波の寄糸
四十暮(しじふくれ)=四十くらがり。四十歳にて眼力衰ふるを云。[俚諺集覧・中より] 人生五十年の時代、四十歳は初老。現在なら六十歳くらいか。
身過(みすぎ)=生活の手立て。
【句意】視力の衰えはじめた初老女性が(男と同じく)生活のために海藻を刈り、それを干している。
【付け・転じ】打越・前句=湖→波と水辺の言葉を続けつつ、波の動きを機織り作業に見立てる。前句・付句=糸四十本を一紀(ひとよみ)とする筬から四十暮へと連想をひろげ、機織り仕事から藻を干す労働へと続ける。水辺の三句がらみか。
【自註】隨縁真如(ずいえんしんによ)*の波立たぬ日もなく、世をわたる貧家の手業(てわざ)、何におろかはなかりし。四十にちかき女を「四十暮の人ぞ」と俗に申しなせり。いづれ、姿はむかしの残りても、脇㒵(わきがほ)に波の皺うちよりて見ぐるし。殊更、浦里のならひ迚(とて)、男のすなる*事までも鎌取りまはして。
*隨縁真如の波云々=謡曲『江口』のサンプリング。*男のすなる=『土佐日記』のサンプリング。[定本全集より]
【意訳】因縁によって真理の大海に波がたたない日はなく、世を渡る貧家の手仕事とて、何の手ぬかりもない。(そうした中)四十歳近い女性を「四十暮の人」と世間では呼んでいる。凡そその姿には若い時分の名残があっても、横顔には波のような小皺がよって(自分でも)見苦しい。ことに浦里では、習慣として男のする仕事までも鎌をとってする。
【三工程】
(前句)筬なぐるまの波の寄糸
四十暮の女の身過せはしなく 〔見込〕
↓
四十暮の身過は浦里とて同じ 〔趣向〕
↓
四十暮の身過に玉藻苅ほして 〔句作〕
前句を、筬(四十本)の連想から四十女の手仕事とみなし〔見込〕、ほかにどのような仕事があるかと問いながら、藻―よる浪(類船集)の縁語によって再び水辺に場を定め〔趣向〕、男仕事までする初老女性の句を仕立てた〔句作〕。
↓
四十暮の身過は浦里とて同じ 〔趣向〕
↓
四十暮の身過に玉藻苅ほして 〔句作〕
前句を、筬(四十本)の連想から四十女の手仕事とみなし〔見込〕、ほかにどのような仕事があるかと問いながら、藻―よる浪(類船集)の縁語によって再び水辺に場を定め〔趣向〕、男仕事までする初老女性の句を仕立てた〔句作〕。
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「水辺の三句がらみ言うけどな、湖畔から浦里へ転じてるやろ」
はい、一句としても四十暮の俗語と玉藻の雅語と、取合せの落差が効いてます。ただここは、あえて機織りとベタ付けにして水辺から離れた方がよくないですか。
「ほな、それで付けてみいな」
えー、夏ですから帷子(かたびら)を詠みこんで、〈四十暮の身過に帷子をこさへ〉とか。
「それも一つの手やろうけど、ここは〈男のすなる事まで〉四十女がするからおもろいんやで。帷子の布をこさえるんは女仕事と知れてるやろ」
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