浅沼璞
四十暮の身過に玉藻苅ほして 前句
飛込むほたる寝㒵はづかし 付句(二オ4句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
ほたる=夏。 はづかし=恋。 寝㒵(ねがほ)=寝顔。 浮草―蛍(類船集)。
【句意】飛込んできた蛍の、その光で寝顔を見られるのも恥ずかしい。
【付け・転じ】打越・前句=機織り業の女性から漁業の年輩女性へと続ける。前句・付句=年輩女性を受けながら夏の恋へと転じる。
【自註】中年寄(なかどしより)たる女は身に白粉(おしろい)を色どりさまざまに作るとすれども、㒵形(かほかたち)おのづからすさまじ。此句は前と同じ心の移り*、大かた前句の噂*にも成ける。恋の付合には、前句のうちより出でたるすがたならず也(や)。寝㒵を思ふも火の影に恥ぢぬる一体。「ほたる」は前の「玉藻」に付寄せ、連俳にかぎらず、正風の付よせ物也。
*心の移り=元禄風の「移り」。 *前句の噂=貞門では説明的な噂付を嫌ったが、談林は容認した[角川・俳文学大辞典]。西鶴も「恋の詞」に頼り過ぎるのを嫌い、恋の噂付を好んだが、噂話のように間接的に恋句を詠むことを庶幾した〔定本西鶴全集「俳諧のならひ事」〕。
【意訳】年輩の女性は、身に白粉を塗り、さまざまに化粧をしても、外見は自ずから似合わしくなくなる。この句は前句と同じ心の「移り」、あらかた前句の意を含んだ噂付にもなっている。恋の付合としては、前句の中から出た形ではないだろうか。寝顔を(恥ずかしく)思うのも、火によってあらわになることを恥じての一風景。「ほたる」は前句の「玉藻」に付寄せたもので、俳諧にかぎらず、和歌・連歌でも縁語になっている詞である。
【三工程】
(前句)四十暮の身過に玉藻苅ほして
まだ恋心隠し持つなり 〔見込〕
↓
ほたるの照らす恋のはづかし 〔趣向〕
↓
飛込むほたる寝㒵はづかし 〔句作〕
前句の四十女にも恋心がまだあるとみなし〔見込〕、どのような恋をするのかと問いながら、浮草―蛍(類船集)の縁語によって夏の恋と定め〔趣向〕、初老の地女(素人女性)の「寝顔」という題材に焦点を絞った〔句作〕。
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そういえば『一代男』にも蛍の恋句がありましたね。
「ああ、江戸吉原の吉田大夫やろ」
はい、貞門派の嶋田飛入(ひにふ)が〽涼しさや夕べ吉田が座敷つき、と発句を詠むと、〽蛍飛び入る我が床(とこ)のうち、と大夫が即座に挨拶した場面ですね。
「飛入の俳号を詠みこんだんは吉田の手柄やけど、もともとは源氏の蛍巻の面影や」
その元ネタをここでは年輩の地女に趣向したわけですよね。雅俗混交の『一代男』から俗談平話の『胸算用』への流れにシンクロしてますね。
「? 新九郎って誰やねん」
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