2023年7月31日月曜日

●月曜日の一句〔黒田杏子〕相子智恵



相子智恵






日光月光すずしさの杖いつぽん  黒田杏子 『日光月光』

髙田正子『黒田杏子の俳句 櫻・螢・巡禮』(2022.8 深夜叢書社)所収

元は『日光月光』(2010.11 角川学芸出版)所収の有名句。抽象度が高く、口承性がよくて、連日の暑さの中でふっと思い出す句だ。日の光の中も、月の光の中も一本の杖(遍路杖とされる)を頼りに歩いていく。その一本の杖の涼しさ。

髙田正子氏による黒田杏子論で、黒田にとっての「涼し」の季語について興味深い記述があった。

(筆者註:黒田杏子の句の)分類作業を続けながら気づいたことの一つに、熟成に時間のかかった季語ほど、頻繁に詠まれるようになる、ということがある

「涼し」は、第三句集『一木一草』になって初めて出てくる季語だそうだ。それ以降、句集の中での登場回数が増えていく。髙田は黒田のエッセイ集『花天月地』(2001年 立風書房刊)の中の「涼し」というエッセイの結びの言葉を紹介している。

ひとつの季語が、ひとりの俳句作者の中で変容してゆく。藍甕の中で蒅が生成発展してゆくように。私自身がそのゆたかな藍甕となれることを希って、季語を抱いてゆきたい

季語が「作者の中で変容」するものであり、「自分が藍甕となって季語を抱いてゆく」という言葉が私には面白く感じられた。季語との付き合い方、あるいは戦い方は俳人によって実に様々で、「季語とは」の答えはまさに百人百様なのだが、黒田にとっての季語は明確に詩嚢なのだろう。一つの季語で発表された五十句などの大作をたびたび目にしてきたが、なるほどと思うところがあった。

2023年7月28日金曜日

●金曜日の川柳〔石田柊馬〕樋口由紀子



樋口由紀子






小芋一トン注文したまま母逝きぬ

石田柊馬 (いしだ・とうま) 1941~2023

まるで漫画である。母が死んだというだけでもたいへんなのに、死後に小芋が一トンも届けば、どうしたらいいのかわからなくなる。生前に母が注文したらしいが、死人に理由は聞けないし、文句も言えない。代金だって、半端ではない。泣いて、驚いて、怒って、戸惑う。母の死より、小芋のことで頭がいっぱいになる。

母恋や母物の型にはまらない、まったく固有の存在感のある母を書いた。母のことはわかっていたと思っていたが、すべてを理解できていたわけではなかった。母とはナニモノだったか。滑稽のなかに哀しさがあり、とても変なトーンで描き出している。『ポテトサラダ』(KON―TIKI叢書 2002年刊)所収。

2023年7月21日金曜日

●金曜日の川柳〔湊圭伍〕樋口由紀子



樋口由紀子






父役はとろろこんぶをつけて出る

湊圭伍 (みなと・けいご) 1973~

なぜ、そういう事態になったのかというよりは、ここから物語は始まる。父役がとろろこんぶをわざわざつけて出てきた。それは頭か、顔か、肩か、足か、どこかにあのふわっとして、べちゃとした、目立たないようだが、しっかり存在をアピールするとろろこんぶをつけている。

ありえなくはないが、一風変わった登場の仕方である。視点をズラす。そのちょっとしたズレから、歪みから、だんだんとゆっくりと、普通のようでいて、けったいな日常へと連れ込まれる。おやっ、えっ、と思っているうちに舞台はとんとんと楽しく進行し、もう一つの世界と繋がっていく。

2023年7月19日水曜日

西鶴ざんまい #46 浅沼璞


西鶴ざんまい #46
 
浅沼璞
 
 
飛込むほたる寝㒵はづかし  打越
 覚えての夜とは契る冠台  前句
歌名所見に翁よび出し    付句(通算28句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
 
【付句】二ノ折、表6句目。雑。恋離れ。 歌名所=歌枕。 名所⇔老人(俳諧小傘)。

【句意】歌枕探訪のため、その土地の古老を呼び出し。

【付け・転じ】打越・前句=藤原定家の恋の面影。前句・付句=「冠」から藤原実方の面影(後述)へと転じ、歌枕探訪に材をとった恋離れ。

【自註】むかしは歌読むたね、東路の果(あづまぢのはて)、筑紫の末(つくしのすゑ)までも、花の山、月の海、いやしき草の屋に明し、其(その)所の老いたる人に、形絶えて名計(ばかり)残れる*跡までも見めぐり、哥枕の種とぞ成にける。
*「朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯野の薄形見にぞ見る」(山家集・新古今集)=西行が実方の塚で詠んだ一首

【意訳】むかしは歌を詠む題材として、東は関東から奥羽、西は九州の端までも、花で知られた山、月で有名な海(を求め)、賤しい茅屋で夜を明かし、土地の老翁に(たずね)、風光絶えて名ばかり残る古跡を見てまわり、歌枕の手掛かりとしたのである。

【三工程】
(前句)覚えての夜とは契る冠台

 歌枕みて参れと言はれ   〔見込〕
  ↓
 名ばかり残る阿古屋の松へ 〔趣向〕
  ↓
 歌名所見に翁よび出し   〔句作〕

前句「冠」から藤原実方の面影*へと飛び〔見込〕、どのようなエピソードがあったかと問いながら、「阿古屋の松」を扱い〔趣向〕、土地の古老という題材に焦点を絞った〔句作〕。

*【先行諸注】〈謡曲「阿古屋松」のワキ藤原實方、シテ老翁(鹽竈明神)を呼び出して阿古屋の松の故事を問ふ。實方は宮中にて藤原行成の冠を打落して勅勘を蒙り、歌枕を尋ねて參れとて奥州に左遷せられしといふ。〉〔定本西鶴全集(野間光辰氏・頭注)〕
〈実方の説話(無名抄・下、古事談・二)により、前句の「冠」に謡曲「阿古屋の松」の場面を趣向した付け。珍しく疎句付けとなっている。〉〔新編日本古典文学全集(加藤定彦氏・後注)〕


 
たしかに謡曲や説話では「阿古屋の松」をたずねあぐねた実方が、地元の老人から故事を教わるっていう場面がありましたね。
 
「そや、歌人つながりで定家から実方に飛ばしたんや」
 
飛び躰による疎句付けですね。
 
「ま、学者さんがどう読んだかて自由やけど『珍しく』いうんは気に入らんな」
 
あー、そっちですか、ひっかかるのは。
 

2023年7月14日金曜日

●金曜日の川柳〔真島久美子〕樋口由紀子



樋口由紀子






イグアナが降る日は大きめの傘を

真島久美子 (ましま・くみこ) 1973~

イグアナは砂漠や熱帯雨林に生息するもので、空に居ないし、まして降ってはこない。それに全長2メートルぐらいあるものもあり、降ってこられたら、それこそたいへんである。大きめの傘ぐらいではふせぎようがない。人を食ったような川柳である。

「イグアナが降る日は」だから、ときたまあるのか。「傘を」だから、誰かに言っているのか。出掛ける家族かあるいは自分になのか。今日は気をつけるようにと助言している。が、それほど深刻でもなさそうである。なんなら傘で弾け返すこともする。「イグアナが降る」と「大きめの傘」の虚と実の関係性に落差をつけ、アレンジする。日常をズラして、裏切っていく。一句全体が比喩になっているのだろう。『いちご畑とペニー・レイン』(満点の星 2023年刊)所収。