cocon de douceur
小津夜景
秋になるたび、山ぶどうの木にのぼった。
採れるだけの実をもいで鞄につめ、走って家にかえる。母に見せるためだ。母はいつでも日当りのよい和室に薄いカーテンを引いて油絵を制作している。その傍へ寄り、大量のぶどうを大いに自慢すると、母は種ばかりで食べるところがないね、酸っぱいし、と眉をしかめつつもほんの数口わたしの自慢につきあってくれる。そのあと、食べものを捨てる訳にもいかないから、と残りの実を圧しつぶし、ふきんで漉してガラス瓶に流し込んだものに砂糖を混ぜる。
母のなめらかな没頭にはいたって淀みがない。その頃のわたしは、そのすこやかな没我の奥に固い自我をまとう若き日があった事実など考えてみたこともなかった。固さが残す、かすかな傷痕。だが今思い返しても、当時の母の姿にその痕を見つけることはできない。つまりそのように振舞う方法を、母は今のわたしより若い年齢で完全に学び終せていたということなのだろう。ちなみにこの方法は今日でも母のすべてに及んでいて、どんなに乱暴にわたしに抱きついてこようとも、どこか投げやりな調子で事に興じてみせようとも、その挙措はあやうい素をかいまみせることなく、常におのれを鎧う術を知る女性にふさわしい平静に包まれている。
ガラス瓶にバネ式の蓋をした母は、ひと月もすればワインができるわよ、クリスマスが楽しみね、とにっこりする。母がそう言って微笑むたび、わたしは期待に胸を膨らませつつ、毎年クリスマスまでの時間を、素朴で優しい繭の中にとじこめられているようなそわそわした気分で過ごすのだった。
秋風やアコーディオンを折り畳む
もうすぐよコスモス抜けて隣町
カルテ書く風はもぬけの樹に凭れ
さよならの声と小鳥とパンケーキ
柿干すやひとり異郷に巣を構へ
うたかたはいつしか皺に秋の繭
下駄日和オリーブの実を潰しけり
スプーンを舐めて高きに上るかな
須臾かざす家族をつゆも思はねど
野の色で終はる出逢ひが此処にある
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