2015年11月11日水曜日

●水曜日の一句〔井口時男〕関悦史


関悦史









夏逝くや呼人といふ名の無人駅  井口時男


「無人駅」はよく詠まれるにもかかわらず、およそ名句にならない素材の一つだが、この句の場合は「呼人」という地名が利いている。網走市にある実在の地名である。もとはアイヌ語の「イ・オピ・ト」(別れ出ている湖)から来ているらしい。

この句には以下の前書きがついている。

「永山則夫の出生地は「網走市呼人番外地」だつた。」

文芸批評家である作者が、永山則夫の故郷を探訪した折に詠んだ七句中の一句なのだ。貧困、連続殺人、獄中での小説執筆、死刑執行という永山則夫の生涯が終わったのが一九九七年のこと。それと重ねあわせて見ると、「呼人」と「無人駅」の組み合わせは死者からの呼びかけのようにも、忘却を経て再帰した亡霊のようにも見える。無人駅とはいっても、単なる閑寂な好ましい廃墟といった無害さの中には収まらない、実存性にひっかかるようなものになってくるのだ。季語「夏逝く」が、起こしてしまった亡霊を無害な眠りのうちへと返すべく、自然の運行を利用して慰撫しようとしているかのような働きをしている。

現在のJR呼人駅の写真を見てみると、ホームこそ夏草が押し寄せているものの、駅舎の外観は小さな薬局か何かのようなごく小奇麗なものになっていて、荒廃の気はあまりない。昭和もバブルも果てた後に、なお人を呼びつづける亡霊は、このような姿がふさわしいということか。


句集『天來の獨樂』(2015.10 深夜叢書社)所収。

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