2016年3月2日水曜日

●水曜日の一句〔稲垣麦男〕関悦史


関悦史









抱擁し媾合し春の雲ゆく  稲垣麦男


媾合(こうごう)は性交のこと。吹き寄せられ、崩れあう雲の形が抱擁や媾合のさまに見えるというのは、普通の見立てであり、それが「春の雲」であるところも、またいかにも似つかわしいだろうという程度のことにとどまる。

この句に生気があるとしたら、語り手の視線や欲望を反映しているだけの「抱擁」でも「媾合」ではなく、最後の「ゆく」によるものである。これで初めて、作者や語り手の内面と直接にはかかわりのない、ゆったりとした自然の大きな動きが入ってくるのだ。

もっともこの句の場合、動作の主格が明示されているわけではないから、「抱擁」や「媾合」は雲以外の何ものかが、無人称のうちに溶け込みつつしていると考える余地もあって、そうした省略によるイメージの重層そのものが、ゆるやかで輝かしい春の大気の感覚を反映しているようでもある。


句集『海の音』(2015.12 文學の森)所収。

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