2016年5月25日水曜日
●水曜日の一句〔上田貴美子〕関悦史
関悦史
ぺん執るや言葉ひつこむ十三夜 上田貴美子
書くべきモチーフが視野の端にちらちらしながらもそれを「書けない作家」という主題は、古い純文学などでよく目にした気がするのだが、この句においては、その描かれようがいかにも軽快で、あまり深刻な苦悶は感じさせない。
モチーフが捕まえきれない悩ましい状況であるにもかかわらず、それを語る上五中七の「ぺん執るや言葉ひつこむ」という対句的表現が、あたかも漫才の掛け合いか餅つきのようなワンセットのリズムを成し、語り手が悩みのなかにうずくまることを許さないからである。こうした状況は何も今回が初めてではなく、いつものことであるらしい。そしてそれを自分で茶化している。言葉となる以前の「前言語的地熱」(蓮實重彦)の高揚と、いざそれを文章化しようとする際に立ちあらわれ、方向をそらしてしまう紋切型表現の相克といった事態が一句の中心を成しているわけでは、必ずしもないのである。
「十三夜」が呼び起こすイメージはまずもって明月である。この点も「書けない」ことの苦悶という主題を一句から遠ざける。「十三夜」月は、そのわずかな陰り・欠落によって、言語化できていない・書けない領域の隠喩を成しているというよりは、書けずにいる状況全体を天から照らし出し、言葉がひっこんでしまったらそれはそれでいいではないかとでも言いたげな明澄な自足を一句に呼び込んでいるのだ。
あるいはこの「十三夜」は、ひっこんでしまった「言葉」と入れ替わりに、その代償として天空にあらわれたのかもしれない。そうであるならば、もはやあえて苦労して言語化する必要もなく、ただその現前と幸福感を享受すればよいというものではないか。……という事態がこの句では言語化されており、しかし句中の語り手はそのことにおそらく気がついてはいない。
句集『暦還り』(2016.4 角川書店)所収。
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