相子智恵
再会や着ぶくれの背を打てば音 斉藤志歩
句集『水と茶』(2022.11 左右社)所収
〈着ぶくれ〉の質感が確かだなあ、と思う。薄着の時の、肩甲骨を感じるような硬い音ではなくて、ダウンコートのような服の厚みがもたらす、厚みのあるボフボフとした音。もしかしたらハグをして背を打ったのかもしれない。すると体全体の触覚と聴覚で〈着ぶくれ〉が感じられてくるのだ。斉藤氏の句はどれも一見すっと分かるのだが、実はその奥に、質感の多重性が感じられてくる句が多くて面白いと思った。他の冬の句を挙げてみよう。
足の間に鞄は厚し年の暮
置き場所がなくて足の間に置いた鞄。電車やカフェなどで、こういうことはよくある。ふくらはぎで改めて感じている厚みだ。これも触覚と視覚の両方で厚みを感じている。慌ただしい年の瀬がよく合う。
この宿のシャンプーよろし雪あかるし
冬雲や焼肉を締めくくるガム
どちらの句も些細なことを詠んでいるのだけれど、「ただごと」と読み飛ばしてしまってはもったいないよさがある。それが一瞬の中にある質感の多重性による「五感に訴える豊かさ」だ。
シャンプーの香りの嗅覚と髪の手触りの触覚に、雪明りの視覚。焼肉の最後のミントガムで口中はすっきりしつつも、体には焼肉の匂いが染みついていて油臭い。この味覚と嗅覚の奇妙な統一感のなさ。それを象徴するような、どんよりとした冬雲。これも味覚と嗅覚と視覚が一気に甦る。
解説で岸本尚毅氏が「手の甲にカーテン支ふ冬の月」の句に対して、〈この作品が読者にもたらす作用は、「伝達」というより、「再生」に近い〉と喝破したのは、この作者の句がもつよさを見事に言い当てている。句を頭の中に再生した時に、のっぺりしていなくて(それならば報告の域を出ないだろう)、VRの世界のように全身で体験できるのである。
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