浅草しのぶをとこ傾城 前句
なづみぶし飛立つばかり都鳥 付句(通算45句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
【付句】二ノ折、裏九句目。恋。冬(都鳥)。
なづみぶし(泥み節)=客の心をひく遊女の唱歌。 飛立つばかり=泥み節の歌詞。
都鳥=「かもめの事也、冬也、角田川に多鳥也」(西鶴『俳諧之口伝』1677)。『はなひ草』でも冬。『御傘』『俳諧無言抄』などでは雑。
【句意】泥み節の「飛立つばかり」という遊女の恋情は、*伊勢物語の都鳥の歌(を思わせる)。
*東下り〈名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと〉業平
【付け・転じ】打越・前句=役者を男娼に取り成しての付け。前句・付句=男娼に遊女の恋情を向かいあわせての転じ。
【自註】傾城町にそなはりしなげぶし(投げ節)の「あひた見たさは飛立つばかり、*籠の鳥かやうらめしや」とうたへり。其の*移りを「都鳥」といたせしは、浅草の付寄せに隅田川を出だしける。又、此の前、*三野に加賀津といへる遊女の一ふしうたひ出して世に時花(はや)りし、今のかゞぶし(加賀節)の事也。是をなづみぶしといへり。
*籠の鳥=自由を拘束された遊女の心情を託す。
*移り=前句との付肌の調和を計る付合技法。後述〈恋種や〉のページ参照。
*三野(山谷)=新吉原
【意訳】遊里につきものの投げ節では「あいた(さ)見たさは飛立つばかり、籠の鳥かやうらめしや」と謡っている。それを引き移して「都鳥」と致したのは、前句の浅草に隅田川を付け寄せたからである。また以前、新吉原の加賀津という遊女が謡いだして世に流行った(のは)今の加賀節のことである。これを泥み節と言っている。
【三工程】
(前句)浅草しのぶをとこ傾城
此のところ投げ節はやる隅田川 〔見込〕
↓
なづみぶし(泥み節)=客の心をひく遊女の唱歌。 飛立つばかり=泥み節の歌詞。
都鳥=「かもめの事也、冬也、角田川に多鳥也」(西鶴『俳諧之口伝』1677)。『はなひ草』でも冬。『御傘』『俳諧無言抄』などでは雑。
【句意】泥み節の「飛立つばかり」という遊女の恋情は、*伊勢物語の都鳥の歌(を思わせる)。
*東下り〈名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと〉業平
【付け・転じ】打越・前句=役者を男娼に取り成しての付け。前句・付句=男娼に遊女の恋情を向かいあわせての転じ。
【自註】傾城町にそなはりしなげぶし(投げ節)の「あひた見たさは飛立つばかり、*籠の鳥かやうらめしや」とうたへり。其の*移りを「都鳥」といたせしは、浅草の付寄せに隅田川を出だしける。又、此の前、*三野に加賀津といへる遊女の一ふしうたひ出して世に時花(はや)りし、今のかゞぶし(加賀節)の事也。是をなづみぶしといへり。
*籠の鳥=自由を拘束された遊女の心情を託す。
*移り=前句との付肌の調和を計る付合技法。後述〈恋種や〉のページ参照。
*三野(山谷)=新吉原
【意訳】遊里につきものの投げ節では「あいた(さ)見たさは飛立つばかり、籠の鳥かやうらめしや」と謡っている。それを引き移して「都鳥」と致したのは、前句の浅草に隅田川を付け寄せたからである。また以前、新吉原の加賀津という遊女が謡いだして世に流行った(のは)今の加賀節のことである。これを泥み節と言っている。
【三工程】
(前句)浅草しのぶをとこ傾城
此のところ投げ節はやる隅田川 〔見込〕
↓
あいたさの飛立つばかり隅田川 〔趣向〕
↓
なづみぶし飛立つばかり都鳥 〔句作〕
男娼に遊女の恋情(=投げ節)を向かいあわせ〔見込〕、どのような歌詞かと問いながら一節を引ききたり〔趣向〕、その歌詞のニュアンスを「都鳥」に移した〔句作〕。
↓
なづみぶし飛立つばかり都鳥 〔句作〕
男娼に遊女の恋情(=投げ節)を向かいあわせ〔見込〕、どのような歌詞かと問いながら一節を引ききたり〔趣向〕、その歌詞のニュアンスを「都鳥」に移した〔句作〕。
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投げ節、加賀節、泥み節と出てきて分かりにくいのですが。
「じつは他にもいろいろと謂れがあってな、ややこしいんやどな、ここでは京・島原で流行った投げ節のな、その起源が江戸・新吉原いうことを強調したかったんや」
前句に「浅草」とありますからね。
「というか、そもそも前句に浅草を詠んだんはな、六句前の恋句が島原やったろ」
あー、たしか〈恋種や麦も朱雀の野は見よし〉でしたね。六句去りながら、恋の場を京から江戸へ転じたってことですね。https://hw02.blogspot.com/2024/02/55.html
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