夢をみる人は
小津夜景
昔、外国にいた叔父が、当時小さかった私に言った。
敗戦で日本にひきあげる時は死を覚悟した。それでも、もうだめだという瞬間までは好きにやるつもりでいたら、結局最後に手元に残ったのがヴァイオリンだった、と。
子供の私は「その状況で楽器?」と、叔父の話をまったく信じなかった。ところが大人になったある日、柳宗理のこんな戦場体験を知った。
柳は南方戦線で、食料もなく、最後は何ヶ月もジャングルの中をさまよったらしい。そしてとうとう動けなくなりもうだめだと悟った時、大切にしていたコルビュジエの原書『輝く都市』を背嚢から取り出して土中に埋めたのだそうだ。
『輝く都市』は三百頁に及ぶ大判の建築図版である。私は柳がこんな重い本を背負ったまま戦地を逃げ回っていたことに驚きつつ、だがこれはふつうのことなのだ、とも思った。
ある種の人は死のぎりぎりまで夢をみる。
死とひきかえに夢をみる人さえいるだろう。
夢を見る人は、つまり何を見ているのか?
僕はね、記憶をたぐると、そのたび過去が新たに生まれるような心地がする。記憶は書庫に似て、なんどでも読み返せるんだ。記憶をモニュメントと捉えるのは、あれは噓だよ。モニュメントは夢の終わった場所に建つものだからね——叔父はごくふつうの顔で、そう語った。
使用済みインクの滲む雲や秋
8ミリの濁りが蔦の記念日に
虫籠の眩しい祖母はぼけてゐる
手を引いて回るモビール美術展
鳳仙花時間をかけて書き損ず
うたたねを食めば過客が月代に
郵趣家とすれちがふなり秋の虹
流れ星あまた高胸坂に死す
未公開シーンは雨のきのこ狩り
長き夜フイルム静止したままの
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