楽しい夜更かし
小津夜景
昨夜、妖精のような知人と夜更かししたとき、話の流れで「わたしの俳句は一〇〇%デジタル書きだよ」と言ったら、すごくびっくりされたので、思わずこっちがびっくりした。
知人によると、この世の作句という現象は、皆なんらかの形で、手書きのプロセスを通過するものなのだそうだ。
なにそれ怖い話? と思った矢先、一度句会を見学したときのことを思い出した。そうだ、確かあのときは紙に字を書いたよ、とわたしは返事したが、知人は変ないきもの見ちゃったなあという顔で、相変わらず首をかしげている。
おそるおそる、わたしはかんがえる。
もし紙とペンが必須だったら、何かを書くだろうか、と。
書かない。というか、書くひつようがない。
そして、ふつう人は紙とペンを前にすると、何を書けばいいのかわからなくなるものだが、あれは書くことがないからではなくて、もうじゅうぶん書いたからなのだ、と気づく。
紙とペンは、まさに書く行為のシンボルだ。それを持てば、目的の半分が達せられてしまう類の。このステイタス・シンボルにふかく手を染めるとき、人は書き散らす自由ではなく、なにか別の欲望と戯れているのではなかろうか。
でもさ、そうゆう戯れもそれはそれで楽しそうだね、とわたしは言う。だが知人は相変わらず首をかしげたままだ。
わたしの声が、音声ガイドみたいに、宙に浮いている。
わたしの認識に、なにか重大なエラーがあるらしいことがわかる。あるいは、プロセスに。
楽しき夜ふかみ一足先にゆく
雁や世を早送りするごとく
くるぶしを露のころがる文化の日
郵便夫ゆきてしづかな野分の忌
坂鳥に気をとられたる深呼吸
瓦礫ほど萩の散る日に生まれしか
月島の水脈はミルクをのむやうに
死児連れて羊の雲を汲みにゆく
うそ寒のジプシー踊る大四喜(ダイスーシー)
ジプシーの踵あらはれ秋の風
量刑はきのこがよろしあけらかん
寝覚草どこ吹く風のかほがある
こすもすはわが尻に帆をかけしかな
頬杖の影も形もとらつぐみ
限りあるものをそ知らぬ林檎かな
トカレフや玉林を一つください
ほうと吐き一糸まとはぬ月自身
着古せし日の蓑虫を吊るすかな
つぶらなる木の実をこぼす空手形
黄落にいのちの太さあり 触れる
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