2015年10月31日土曜日

【みみず・ぶっくす 44】 楽しい夜更かし 小津夜景

【みみず・ぶっくす 44】 
楽しい夜更かし

小津夜景




 昨夜、妖精のような知人と夜更かししたとき、話の流れで「わたしの俳句は一〇〇%デジタル書きだよ」と言ったら、すごくびっくりされたので、思わずこっちがびっくりした。
 知人によると、この世の作句という現象は、皆なんらかの形で、手書きのプロセスを通過するものなのだそうだ。
 なにそれ怖い話? と思った矢先、一度句会を見学したときのことを思い出した。そうだ、確かあのときは紙に字を書いたよ、とわたしは返事したが、知人は変ないきもの見ちゃったなあという顔で、相変わらず首をかしげている。
 おそるおそる、わたしはかんがえる。
 もし紙とペンが必須だったら、何かを書くだろうか、と。
 書かない。というか、書くひつようがない。
 そして、ふつう人は紙とペンを前にすると、何を書けばいいのかわからなくなるものだが、あれは書くことがないからではなくて、もうじゅうぶん書いたからなのだ、と気づく。
 紙とペンは、まさに書く行為のシンボルだ。それを持てば、目的の半分が達せられてしまう類の。このステイタス・シンボルにふかく手を染めるとき、人は書き散らす自由ではなく、なにか別の欲望と戯れているのではなかろうか。
 でもさ、そうゆう戯れもそれはそれで楽しそうだね、とわたしは言う。だが知人は相変わらず首をかしげたままだ。
 わたしの声が、音声ガイドみたいに、宙に浮いている。
 わたしの認識に、なにか重大なエラーがあるらしいことがわかる。あるいは、プロセスに。


  楽しき夜ふかみ一足先にゆく 
雁や世を早送りするごとく

  くるぶしを露のころがる文化の日 
郵便夫ゆきてしづかな野分の忌

  坂鳥に気をとられたる深呼吸
瓦礫ほど萩の散る日に生まれしか

  月島の水脈はミルクをのむやうに 
死児連れて羊の雲を汲みにゆく

  うそ寒ジプシー踊る大四喜(ダイスーシー)
ジプシーの踵あらはれ秋の風

  量刑はきのこがよろしあけらかん
寝覚草どこ吹く風のかほがある
  
  こすもすはわが尻に帆をかけしかな  
頬杖の影も形もとらつぐみ

  限りあるものをそ知らぬ林檎かな   
トカレフや玉林を一つください

  ほうと吐き一糸まとはぬ月自身 
着古せし日の蓑虫を吊るすかな

  つぶらなる木の実をこぼす空手形 
黄落にいのちの太さあり 触れる

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