空ぞ忘れぬ
小津夜景
はじめて式子内親王の歌を読んだとき、その楽しげな速書きぶりに胸がうち震えたのを覚えている。
雨過ぐる花たち花にほととぎず訪れずして濡れぬ袖かな
なんと奔放な語り口だろう。「花たち」の斬新な擬人法。「花たち/花に」の余りに大胆な、二の句をぶち切る体現止めとリフレイン。三の句越えの難所を「ほととぎず/おとずれず」と音のずらしで始末する粋。そして結句「私は泣かなかった」と告白する、ほろ苦くもけろりとした気品。
大人になって気づいたのだが、実は右に記した歌には、私の思い違いによる多少の創作がまじっている。それでも式子内親王の作品に対する印象は今もって変わらない。とりわけ〈人の世を恋ひ慕い、同時に何ひとつ期待しない〉といった彼女の佇まいは、言葉をあやつる者にとってとても大切な心得のように思われるし、またこの心得を実践する現代歌人として、いつも私の心には紀野恵の存在がある。
性愛に囚われない、ふっくら抜けたような色香。自由であるがゆえの、晴れやかな孤立感。情熱と同居する、あっけらかんとした知性。でたらめを心から愛するエクリチュール。なかんずく、物に心を寄せつつも物欲しげなそぶりが皆無という点で、紀野恵はまぎれもなく式子内親王の娘である。
ことりと秋の麦酒をおくときにおもへよ銀の条(すぢ)がある空/紀野恵
パンドラは閉ぢて儚き秋へ入る
クロノスの光をこぼす紙やすり
幽霊のしがらむ風だまだいける
木は踊る気分で泣いてゐるらしい
森ゆるくかたまる夜のしつけ糸
勾玉をさはやかに揉む文京区
いちじくの痣となるほど眠りこけ
いちまひの霧を薫きしめ酒杯哉
わが秋の虹をここへと掃き寄せぬ
木犀に落ちふりだしに戻りけり
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