浅沼璞
*御座敷鞠しばし*色なき 付句 *=註
姫に四つ身の似よふ染衣 打越(裏十句目)
茶を運ぶ人形の車はたらきて 前句(裏十一句目)*御座敷鞠しばし*色なき 付句 *=註
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
ひさびさに「心行」というキーワードが出てきましたね。
「元禄正風体? そんなん知らぬがほっとけや」
【付句】雑。 *御座敷鞠(おんざしきまり)=雨天・雨後、鞠場(まりば)の湿潤なる節、座敷にて興行する蹴鞠。[定本全集より] *色なき=「色」は鞠の回転の状態をいう。ここは蹴鞠を中断する意。[同前]
【句意】お座敷での蹴鞠がしばし中断した。
【付け・転じ】同じ室内遊戯による其場(そのば)の付け。*単数の人物(姫)から複数の人物(蹴鞠の一座)への転じ。
*其角・嵐雪の伝書『二弟準縄』(珪山編、1773年)「多・小」の項にみえる〈単数の人物/複数の人物〉による転じに同じく、人情他の細分化として捉えることができよう。(法政大学図書館蔵「正岡子規文庫」参照)
【自註】慰みさまざまに替へあそぶ人、何がなと世に有る程の物好み、前句の人形、書院に仕掛けて、是をあゆませければ、しばし座敷の鞠をもやめて、其の細工の様子など見し*心行(こゝろゆき)に付けよせ侍る。百韵ともつゞけたる俳諧には、行かた句作り迚(とて)、軽ぅつかうまつる事有り。
*心行=「蕉風などの《心付》に同じい」とは乾裕幸氏の弁(『俳句の現在と古典』1988年)。ウラハイ = 裏「週刊俳句」: ●西鶴ざんまい #9 浅沼璞 (hw02.blogspot.com)
【意訳】慰み事をさまざまに変えて遊ぶ人が、何かないかと世間にある全てのことをしてみたい好奇心から、前句のからくり人形を座敷に仕掛けて、歩かせてみると、しばし人々は蹴鞠をもやめて、その細工の様子を注視した、というような心行の手法で付けました。百句も続ける俳諧では、時にさらりとした句作り(遣句)で、軽く付けることがあるものです。
【三工程】
茶を運ぶ人形の車はたらきて(前句)
何がなと世に慰みの種 〔見込〕
↓
お座敷鞠の一座催す 〔趣向〕
↓
御座敷鞠しばし色なき 〔句作〕
前句を慰み事とみて〔見込〕、〈ほかにどのような室内遊戯があるのか〉と問いかけながら、座敷鞠と思い定め〔趣向〕、「人形が蹴鞠を中断させる」という題材・表現を選んだ〔句作〕。
【句意】お座敷での蹴鞠がしばし中断した。
【付け・転じ】同じ室内遊戯による其場(そのば)の付け。*単数の人物(姫)から複数の人物(蹴鞠の一座)への転じ。
*其角・嵐雪の伝書『二弟準縄』(珪山編、1773年)「多・小」の項にみえる〈単数の人物/複数の人物〉による転じに同じく、人情他の細分化として捉えることができよう。(法政大学図書館蔵「正岡子規文庫」参照)
【自註】慰みさまざまに替へあそぶ人、何がなと世に有る程の物好み、前句の人形、書院に仕掛けて、是をあゆませければ、しばし座敷の鞠をもやめて、其の細工の様子など見し*心行(こゝろゆき)に付けよせ侍る。百韵ともつゞけたる俳諧には、行かた句作り迚(とて)、軽ぅつかうまつる事有り。
*心行=「蕉風などの《心付》に同じい」とは乾裕幸氏の弁(『俳句の現在と古典』1988年)。ウラハイ = 裏「週刊俳句」: ●西鶴ざんまい #9 浅沼璞 (hw02.blogspot.com)
【意訳】慰み事をさまざまに変えて遊ぶ人が、何かないかと世間にある全てのことをしてみたい好奇心から、前句のからくり人形を座敷に仕掛けて、歩かせてみると、しばし人々は蹴鞠をもやめて、その細工の様子を注視した、というような心行の手法で付けました。百句も続ける俳諧では、時にさらりとした句作り(遣句)で、軽く付けることがあるものです。
【三工程】
茶を運ぶ人形の車はたらきて(前句)
何がなと世に慰みの種 〔見込〕
↓
お座敷鞠の一座催す 〔趣向〕
↓
御座敷鞠しばし色なき 〔句作〕
前句を慰み事とみて〔見込〕、〈ほかにどのような室内遊戯があるのか〉と問いかけながら、座敷鞠と思い定め〔趣向〕、「人形が蹴鞠を中断させる」という題材・表現を選んだ〔句作〕。
●
ひさびさに「心行」というキーワードが出てきましたね。
「忘れたころに出さんと、忘れらるるよってな」
はあ、たしかに。
「せやけどワシの心行、蕉門と比べられとうはないねんけどな」
でも後に元禄正風体と呼ばれる同時代性は否めないんじゃないですか。
「元禄正風体? そんなん知らぬがほっとけや」
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