「とても新しい流れ」
福田若之
四ッ谷龍『夢想の大地におがたまの花が降る』(書肆山田、2016年)の29頁から31頁にかけた大地の表面を流れる川、46頁から47頁にかけて群生しているなんばんぎせるの花たち。ほとばしるようなこれらの言葉。これが抒情だ、と思う。
だが、たとえば、《君は一本の川だとても新しい流れ》というとき、この句自体は、決してモダニスティックな意味合いにおける「新しさ」を持ち合わせているわけではないだろう(この句は、モダニストから見たら古い抒情詩にすぎないのではないだろうか)。
この句の「新しさ」は、抒情の一回性とかかわっている。個別の抒情は一回性のものであるがゆえに、古くから繰り返されているにもかかわらず、「とても新しい」のだ。それは、ある川が、おなじ「一本の川」でありながら、たえず「とても新しい流れ」であることに似ている。そこに流れる水がたえず置き換わっているがゆえに、川はつねに「とても新しい」。代謝する身体としての「君」。
2016/9/29
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