10句競作(第1回)応募作品
本日6月28日(火)21:00より、審査選考ライブの第2回。
6月23日(木)で終わらなかったぶんを引き続き。
感想etcはご自由に(≫コメントの書き込み方)
23日の審査選考ライブを待たずとも結構です。
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6月23日(木)22:00より当エントリーのコメント欄にて。
五十嵐秀彦、関悦史、神野紗希3氏による審査選考ライブ。
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【01 垂乳根】
飲み干して思ふことなし夏の水
肉は肉骨は骨なる更衣
あるときは妻の昼寝を見てゐたる
どこからかピアノどこからか夏蝶
風鈴や人はかの世にあこがれて
蝉時雨浴びる言葉を浴びるごと
動きやすき人の林や夏の雨
拭ふものなき唇に西日さす
たらちねの母のよろめく冷酒かな
噴水が人の代はりに立つてゐる
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【02 おかあさん】
青梅青梅青梅青梅だ
海亀の跡なんめりと砂平ら
年々に褌の減る海開き
我が影を袈裟懸けにして蟻赤し
あら嫌なおかみさんだね梅雨入だね
少しばかり押されてくぐる茅の輪かな
ナイターや遂に代打のあの男
さてこれは毛虫入れろといふことか
黒く黒く海はありけり修司の忌
明易きかなにつぽんのおかあさん
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【03 てろりる】
缶コーラプシュり鳩尾解放す
白無垢の棺有桝女郎蜘蛛
金輪際練乳苺唯物観
夏蝶に狙われている狙撃兵
金魚玉かつて火の玉たりしこと
鎌首を擡ぐ少年蛇使い
心臓のザフザフと噛む夏あざみ
夏痩身桃色豚形貯金箱
脳幹注入トニックシャンプー髪洗ふ
海胆の棘てろりる物体Xる
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【04 ラプソディ】
フクシマやアウフヘーベンと泣くアトム
吉良常も飛車角も非在鳥帰る
松島や草間彌生の鯨跳梁
山羊汁に古酒(クース)ほらほらほらイサク
マティニー二杯奥さん鯨は帰ります
来い来いメッキーメッサ向日葵くわえ
海の青空の青飛魚韜晦す
飯蛸の飯食めば緑なす鐘の音
山羊祀る夕陽はよう鎮まりなされ
ミモザ咲きましたかと耳なし芳一
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【05 おのまとぺ】
ツイッツイッチィー。夜明けの唄は。ツイッツイッチィー。
とこぱったむ。とこぱったむ。とことつん雨。
天突く突く天突く突く天天突く傘傘傘
いやあんやんまあええやん猫発情す
うっゲホゲホくっゴホゴホ仮病ですゴフッ
るららるらてぃららてぃらてぃら新品のすかあと
たんまりとすたすたすったかすりりんご
ちちちちちちちちちちちちちちち膣
郵便受けがすたんきゅうぶりっくと軋んだ
玉砂利砂砂利玉砂利砂砂利。煙管ココン。
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【06 百八】
パソコンのうちにかたへに扇風機
五月雨や鍾馗の髭も枝毛にて
家路なり多分梅酒の待つてゐる
満遍無く莢焦がされぬ蚕豆
新じやがの皮貼り付くや塩の粒
短夜や疲れの色は黄金とな
強力や百八本の缶ジュース
置物の狸空見る薄暑かな
妻も子もゐずや中州へ川遊び
腰骨の日灼け具合を較べをり
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【07 青嵐】
おぼろからついに朧がはみ出しぬ
きもちよささうに曲りて春の川
洗濯機回転すれば緑立つ
青田青田に風神も雷神も
新聞紙突如蝿叩きになりぬ
夏すでに錆び街角がひりひりす
影に入りても鉄骨の暑さかな
白日傘バリアのごとくひらきけり
消えさうな片陰ばかりつづきけり
青嵐ここに神社があつたはず
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【08 梅雨の蝶】
天井の龍の墨絵のさみだるる
夏みかん畑仕事はひとやすみ
中空へ蔓はゆらゆら青葡萄
蜘蛛の子のお家はすでに散り散りに
梅雨の蝶まだらにゆるる斑の目
あめんぼの大きく映る池の底
畦道のなかを歩いて蛇苺
ぐつしよりの新聞を剥ぐキャベツかな
夕立の隅にころがる松ぼくり
梅雨の夜のごきぶりの家たててをり
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【09 雌でせう】
はんざきの姦といふ字の頭かな
終日若葉終日駐車場係
あぢさゐを雲と同定せし淑女
子午線をはみ出すカギの救急車
梅雨空やクレーン車なら雌でせう
カムチャツカ沖へパピコは行つたのだ
ほんたうの父やソーダ水が下品
チューペットに鋏の味のして帰省
撫子咲くなりすでに裂かれてゐる
れもん汁にてみがかれし赤恵比寿
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【10 この夏】
作品に蛍光りて故郷想う
不器用は食わず嫌いか夏魚
君想う節電の夜に蛍飛ぶ
雨雲を琵琶湖で絞り送りたき
夕星(ゆふつつ)願う此岸彼岸の橋渡し
津津に波此岸彼岸を繋ぐ筒(つつ:星)
網の上津筒星(つ、つつ、ツツ)の謎泳ぐ
焼酎の瓶に生けたり水中花
和蘭陀と豪雨を憂う日曜日
ジャポニカの緑のいのち壱萬年
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【11 南吹く】
つま先に触るる卯の花腐しかな
青柿のふへてゆく夜の月青し
袖口の裏がへりたり洗ひ髪
板敷きの同じところを踏む跣足
青嵐見れば川面を渡りけり
赤鱏の静かに沈む地下通路
花槐気泡含みし窓ガラス
柴垣の反対側の桑いちご
瑠璃色の指先土用蜆かな
半袖のかひな白かり南吹く
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【12 フクシマ】
誰がために原発あるや春の惨
福島はフクシマとなり春の空
阿武隈の山越へきたり蟻の列
避難所を変はり変はりて聖五月
蜃気楼三十キロ先の原子炉
原発の風重たきや夏の昼
炎天や作業員の影被爆せり
夏椿逃げて捨てたる故郷の地
卯月野のふる里に黒牛の群れ
父の手に抱かるる夢や夏の海
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【13 微熱】
青梅を煮たるその夜の微熱かな
斑猫を見失ふ六道の辻
鶏の木に上りたる薄暑かな
古書市の紙魚多きもの漁りけり
衣更へて薬の花の咲く樹下に
桃色の干菓子を舌に梅雨の底
波音を吸うて仙人掌咲きにけり
草笛を吹くや潮気の濃き風に
海藻の貼り付いてゐる簾かな
夜涼みや消毒したる舟の上に
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【14 ゐなくなる】
いっせいに少女隠るる茂みかな
一輪車置く薫風の通り道
新緑のなかにもう揺れない木馬
思ひ出の中ではいつも夏帽子
噴水が卵の中にあったころ
玉葱が空をうづめて聖五月
あめんぼは水が嫌ひで空が好き
蚯蚓さかんに跳びはねてをり怖し
またがってひみつのびはを食べようよ
雨音が巻き取ってゆく昼寝かな
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【15 しるし】
またたけば海になりけり夏の川
音をきく背中に鮎の釣られをり
かはせみの彼方より水近づきぬ
あのへんにひとかたまりにゐる河鹿
滝までの道にしるしのやうなもの
渓谷や空のちひさく過ぎるころ
ひとつ忘れて山滴る森滴る
切り株をむかしの夏の蝶が去る
山あひ見えてかはほりはまだゐない
白よりも白き滝なり軽からず
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【16 虫笑・蝶笑】
尺蠖の空を探って立ちん坊
掃除するだけに生まれた蟻ってわけか
でで虫に人身事故のアナウンス
赤とんぼ赤くなれずに山にいる
十五音譜くらい欲しい蝶だね
蚯蚓だって死ぬときゃ天を仰ぐさ
とんぼうが石に抱きつき齧ってる
息かけて薮蚊を空に返そうか
手の平で重さ失う天道虫
癌に効く話は聞かぬ蚯蚓だな
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【17 竹婦人VS. 】
竹林の賢人娶る竹婦人
綾波レイ発進青葉風過ぎた
一線をどこまでとする竹婦人
六月の宝石箱の目玉親爺
かぐや姫産みしはむかし竹婦人
海霧やゴジラ生まるる放射能
しなやかやないすぼでえや竹婦人
お花畑初潮を知らぬちびまる子
棹竹に思ひを寄せる竹婦人
日射病のだめのだめな恋のごと
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【18 マーベロン28】
死ねばいいのにひとやまの蕗の薹
鳥交るつけまつげ用接着剤
春闌液もれしてる万華鏡
風光る幼い姉の枝毛なども
初夏の四角い匙を舐めさせる
なんておおきな苺を摘む昼の恋
梅雨寒やたんすの上に薬箱
令嬢めく小指に蟻を這わせれば
ふとももの涼しきひとや格闘技
花火だいすきにんしんはのぞまない
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【19 ひよいとチヂミを】
波音に驚く赤子合歓の花
蟻の列見えぬ軍旗を翻し
模型屋の風鈴に舌なかりけり
予鈴鳴り田植えの上を谺する
黄鶲やひよいとチヂミを裏返し
菖蒲湯の寝返りを打つ菖蒲かな
全身で梅干の緋を味はへり
毛先から砂となりゆく水中り
羽抜鶏ときどき天を突くなり
鮎釣りのまだ暇さうな左の手
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【20 化石の旅】
春行くや巫女は理学部数学科
春の暮見飽きても見るサザエさん
コンテナを五月の空へぶら下げる
新緑や女ばかりの形見分け
六月の母を背負うて二階にあがる
沖縄の空の青さを豚喰い尽くす
水底で木の葉化石の旅につく
冬の夜の絵本で熊が殺される
山眠る河童は公民館の裏
冬銀河階段下の悪だくみ
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【21 魚眼望遠鏡】
キドナップきゅうにはじまるむぎばたけ
あすてかは浮きがいっぱいみなみかぜ
まぶしくてみやこの鮎はのこすもの
あこがれのあねにひるよる四日間
めきしこはしちみまみれの父である
きんぎょばちきんぎょのゆがみひめくりで
まぼろしの鱏のうらがわ頭脳線
しゅもくざめ天才のメスぬすまれる
象たおれ少年少女合唱団
むしたちのせいきあつまる虫星雲
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【22 黄身】
福わかし湯玉の音はFかG
老犬の漆黒の鼻鳥総松
破魔弓をアクアリウムに立て置きぬ
くされ潮人形浮かべたゆたゆと
初午や疎水に沿ひて稲荷駅
麦笛を憶えてをりぬ両の耳
亡きひとの愛書の上のサングラス
壁と床ひといろの居やそぞろ寒
水槽に動かず万価のずわいがに
寒波来白飯のうへ黄身が顕つ
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【23 またあした】
日盛りやツルハシ置きて雪隠へ
雨しとど満員の船夏に入る
二階へと木がのびている昼寝かな
少年の足投げださる冷奴
自転車のかごのあやめに誰か来る
上履きの歩道の蟻をもてあます
懐に絶滅のトラ五月闇
君が息止めているうち夏の海
向日葵のくろこげのもとまたあした
緑陰を行くどこまでもどこまでも
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【24 メインイベント】
溽暑へと戸を開け放つ格闘場
兵馬俑の兵のごとくに南風受く
訳有りの過去ある如くサングラス
夏の夜へジェット風船飛ばしけり
隙間無くタトウされたる素足かな
麦酒干すメインイベント始まりぬ
立ち技の攻防となり夏の月
寝技また汗に滑るやタイトル戦
試合果つアロハに着替へ格闘家
晩涼や荒野めきたる埋立地
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【25 誰のものでもない金色】
秋の田の誰のものでもない金色
数寄屋橋アスパラガスとすれ違う
雨蛙アジサイ・テラス#三〇五
熟れた桃わたしの横顔かもしれぬ
グラスホッパー今日の予定に雨宿り
秋霖や革靴履いた大男
秋は影もグレーの長くて滑稽な
ふたりいて別の夜長に埋もれおり
灰色の空も好きだよネコヤナギ
クツクツとカレー煮ている初閻魔
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【26 さなぎ】
KARA踊る児ラッパ水仙板塀に並び
満腔(まんこう)の春泥本籍地の公園
ウロウロしてさなぎのような家(うち)に会える
放置レタス確かに三個雲の気分
眉薄くヤギの愛舎(あいしゃ)に立っている
携帯は沼ワニ母現在育児中
城のごと夕日を重ね裸足の蠅
緋色の土イタチと雨を聴くあいだ
宵ツツジ松にこけ伏す吾が犬は
切り立てんアゲハ蝶らナタデココ持ち
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【27 歯が生える】
乳を呑む夢見てをるや蛙鳴く
立葵バギーの高さより咲きぬ
ナイターの歓声に泣く赤子かな
桃のやうな歯茎に現れる歯の形
嬰児の笑まひ扇を使へとぞ
口開けて扇の風を受くる嬰(やや)
ミルク飲みながらに汗を掻いてをり
うつ伏せの嬰の後頭の玉の汗
二人目を身籠るらしき薔薇香る
八月の六日へ向けて工事中
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【28 アトムの胃】
一月やぱつかと開くアトムの胃
鉄人の鼻とんがつてやや寒し
朧夜のじやんけんグリコチョコレート
ベルサイユだけど気分はミヨソティス
桑の実を食うて火の鳥こんな口
麦藁の海賊団だ夏帽子
ドラえもんのポケットに入る西瓜かな
キャンディのそばかす結ぶ星月夜
糸瓜ぶらりぶうらり使徒が来襲す
のらくろの台詞のやうだじふにぐわつ
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【29 水】
水無月の飛沫模様の色紙かな
燦燦と日の降り注ぐ水中花
若竹や水琴窟の音かすか
万緑のひかり閉ぢこめ水晶体
精密な海賊船や水遊び
水筒の名札ひらがな姫女苑
踏切を越ゆる潮風ソーダ水
あめんぼのまた戻り来る水溜り
水色の紫陽花浮かぶゆふまぐれ
夕闇が原材料の水羊羹
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【30 薔薇色】
新緑の裏ぶううんと空調機
夏空を借りて東京モノレール
薔薇色の未来をあをき薔薇に訊く
噴水は枯れ血をもつもの地下に
のきのきとタワー虹へは届かざる
明易の二十八時のヘッドホン
紫陽花へ滑り込みたる逆走車
緩まざる螺子のざわめく梅雨入かな
ででむしの大好きな人大嫌ひ
紙袋がざつと麦の風捨てた
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【31 ビクターの犬】
マネキンの足組み替へる薄暑かな
枇杷種を吹ひて夕風起こりけり
横丁にビクターの犬ラムネ抜く
少年の声はソプラノ河鹿鳴く
解散は泰山木の花暮れて
山ガール固まってゐる濃紫陽花
五月雨や河童を祀る奥社
ペディキュアにラメ入る夏や鹿の糞
遠き日の脛の白さを蛍の夜
羅や跳ね橋あがる時を待ち
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【32 フド記】
風呂敷の中の秋風年経たり
水母の頭二つに飢えが来て去りぬ
ことごとく墓の前にて息白し
燐寸費す汝寒椿をへだて
燕子花たましいながらムラサキに
鳩冬に不確かなもの啄むや
まなこみな薄紫の神の旅
善人は遅れて来たり寒卵
季節外れベンチおのずから倒れ
地下鉄を乗り継ぐ日々も枯れゆくに
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【33 夏至南風】
朧夜のテールスープの白髪ねぎ
軍艦のごと熊蜂の迫り来ぬ
行く春や雨やり過ごす牛丼屋
嶺颪に鳥大ひなる端午の日
水貝や東京は玻璃ちりばむる
梅雨寒の実験動物室匂ふ
鳥啼いて鳥啼き返す夏座敷
三種盛りなれど五種来て夏至南風(かーちばい)
宛がひて包丁と茄子照り合へる
身の内に森あり滝に濡れ尽くし
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【34 うみねこ】
荷造りの紐の足りない昭和の日
長袖のはみ出す鞄夏隣
余花の地に入るや新幹線静か
張り初めし田水や空をよろこばす
朝凪や砂利青白き線路跡
海恋しからう烏賊釣船解体
浦風を含みし夏シャツの重さ
サルベージ船が薄暑の海つかむ
うみねこの糞たくましく降り来り
夏潮をなだめて夕日落ちにけり
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【35 みづ】
水責の水壺を泳ぐ蟾蜍
時間が壁の高いところにある白夜
ゆふだちを孔雀は「兄(けい)」と告げ渡る
高きより橢円の中に夏尿
羽抜鳥の首に繃帯くれなゐの
河口あれば河尻のある鰻かな
夏雲に端切を當てて粗く縫ふ
つめたさの朝寝の死者の白枕
父の乳首吻ふ母ありき蜜豆来
さいでつか納戸に棲まふ竹婦人
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【36 枇杷の実】
六月や靴の踵で描くベース
口癖は一事が万事茄子の花
枇杷の実に工事の足場触れてをり
サングラスとことん手話で言ひ負かす
人間としては失格さくらんぼ
梅雨の月会議の窓に現はるる
眠る間も血は巡りたるえごの花
夏富士やバケツ鳴らして牛の乳
黒板にヘロンの公式窓に蜂
夏空へ助走短く跳びにけり
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【37 いびつ】
ウヰスキー色の仏陀やひこばゆる
造られて公園となるチューリップ
松いびつ桜が咲けば人の出て
手も足もある春の雲あふぎけり
花は葉にものかんがへるときの口
よき午後や薔薇の味するヨーグルト
一匹の蜘蛛を降らせて松の木は
タクシードライバータクシーを背や遠花火
卓上に魚肉ソーセージありけり紫蘇乾く(「魚肉ソーセージ」に「ギョニソ」とルビ)
ひとにうなじあり颱風が来つつあり
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【38 明滅】
かたつむり雨を痛がる地球の子
明滅や夕立を少女は絶対
蟹追う犬空間が混み合っている
紙で創る世界海月の王も紙
鉄塔をひとするすると日雷
飛魚を食い強運をもてあます
実母義母金魚静まりかえる雨後
帆立貝とみじかい手紙敬称略
ひけらかす死のかりそめを明るい雨季
薔薇を見るあなたが薔薇でない幸せ
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以上 38作品
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2011年6月28日火曜日
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353 件のコメント:
1 – 200 / 353 前› 最新»コメントないようなので口火を。
ざっと読んでみて、
01、07、38 がいいかなと思いました。
いろんな見方があると思いますが。
印象に残る句を。
以下、番号と何句目かを数字のみで記す。
01-2
02-7
04-10
07-10
08-10
09-6
11-6
14-6
18-3
19-5
20-2
22-1
24-8
28-1
29-6
32-7
35-7
36-3
37-8
38-4
ほかに、一句として取り出せないが、05。十句というよりも、十行の詩かな?
松尾さん、野口さん、ありがとうございます。
本番まで、あと30分ですね。
【コメントしてくださる皆さんへ】
1)割って入ってくださって結構ですが、いちおう話の流れに乗ってください。
拾いきれず、御コメントをスルーすることもあろうかと思いますが、そのへんはお許しください。
(カオス化の予感も)
2)書き込んだのに表示されない、あるいは、いったん表示されたのに消えてしまったという場合は、再度書き込みをせず、少しお待ちください。
書き込んでいただいたコメントを、ブログサービス(bloggr)が自動的に「スパム」と判断して削除/未公開にしてしまうケースが多々あるのが、コメント消失の原因です。手動でのスパム解除をお待ちいただければ、コメントは無事反映されます。
進行は天気が務めさせていただきます。ご覧のように「wh」という名義になります。
進行役という分際をわきまえず、感想などを述べてしまうこともありそうですが、ご海容の程を。
五十嵐さん、関さん、神野さんにも、作者名はわかりません。私もおおかた忘れてしまっています。今夜は作者名抜きで38作品を楽しみたいと思います。
テスト。
スタンバイ、OKです。
五十嵐さん、よろしくですー。
【基本方針について】
審査選考と銘打ちましたが、優劣をつけて、ふるいにかけて、優秀作を選ぶという態度よりも、おもしろい作品、おもしろい箇所を見つけようというのを基本姿勢にしたいと思います。
ただ、どこがつまらないか、どこがダメかといった指摘等もまた、作者にとっては、称揚と同じくらいに貴重なものだと、経験上、思います。否定的見解も忌憚なく披瀝していただければ、と思います。
こちらもテスト。
定刻ですので、そろそろ。
まず、五十嵐さん、関さん、神野さん、それそれお気に入りの作品を、コメントを添えつつ、挙げていただきたいと思います。
五十嵐秀彦です。よろしくお願いします。「10時なんて、おせ~よ」とか思っていましたが、仕事でトラブルがあって帰宅できるかハラハラしました。10時で良かったと思ってます。
作品10句単位に◎と○を付けながら読みました。
◎が5作品、○が13作品もありました。
とりあえず◎の5作品を挙げます。
「11南吹く」「31ビクターの犬」「32フド記」「35みづ」「38明滅」です。
◎の中で特にと言うと、ちょっと難しいのですが、ぼくの好みになりますけど、「32フド記」になるかな。
「地下鉄を乗り継ぐ日々も枯れゆくに」(32-10)には思わず泪しました(笑)
どの句にも静かなせつなさがあって、ぼくの好きな世界です。
よろしくお願いします。
私が面白いと思ったのは、5番「おのまとぺ」、33番「夏至南風」、37番「いびつ」です。ちょっと長いですけど、いちおう、これが推す理由なので、ある程度丁寧に書きました。
5番「おのまとぺ」は、基本的には日常の風景を、とくにオノマトペを使って表現してみよう、という意欲作です。そのオノマトペも、「ツイッツィッチィー」「とこぱったむ」「るららるらてぃら…」など、独特です。「ツイッツイッチィー。夜明けの唄は。ツイッツイッチィー。」は、「唄」といってますし、朝方になく鳥の声でしょうか。規則正しい音が、なんとなく心地よさを感じさせます。「とこぱったむ。とこぱったむ。とことつん雨。」は、屋根を打つ雨音かなと思いました。雨音を聞くのが、今日は楽しい、という感じが、「とこぱったむ」というオノマトペの軽さ、楽しさから伝わります。違う日にはまた違った音で聞こえるんでしょう。
「天突く突く天突く突く天天突く傘傘傘」「いやあんやんまあええやん猫発情す」も、オノマトペ部分がとても大好きで、今日も洗濯物を干しながら「てんつくつくてんつくつく」と呟いていたくらいですが、「傘」「猫発情す」と、オノマトペの答えを出してしまうのが、この場合いいのかどうかちょっと迷うところです。
「うっゲホゲホくっゴホゴホ仮病ですゴフッ」は、どうやっても仮病に見えないので、ほんとの病気だとしたらそうとうからだを悪くしているし、仮病だとしても、ここまで徹底的にやる仮病は、やはり病的です。「るららるらてぃららてぃらてぃら新品のすかあと」は、ラ行の流れるようなしらべに、風をうけてふんわりと広がる新品のスカートの、ひらひら、つやつやした生地が思い浮かびました。新品のスカートを買って着てみた、気分の高揚も、鼻唄のようなこのおのまとぺから伝わってきます。
33番「夏至南風」は、丁寧に言葉をつないでいく心地よさ、言葉があるべき場所にあるというゆるぎない感じがありました。「行く春や雨やり過ごす牛丼屋」、雨が降っていたので、雨宿りのために、近くの(おそらくチェーンの)牛丼屋に飛び込んだんでしょう。ちょうどおなかもすいてたし、ということで。本来なら、牛丼を食べる場所なのだけど、「雨やり過ごす」ために牛丼を食べているというひっくり返り方が面白いです。「行く春」の季語も、夏が来そうな雨の瞬間的な激しさをみせてくれていて、でも夏より春のほうが愁いがでるので、絶妙でした。
「水貝や東京は玻璃ちりばむる」も、「水貝」の取り合わせが、硝子の冷たい触感を思わせるところ巧みですし、「梅雨寒の実験動物室匂ふ」は「寒」の一字をいれたことで、むわむわした熱気とともにやってくる匂いではなく、しずかに漂う生き物の湿気混じりの匂いであることが伝わります。「宛がひて包丁と茄子照り合へる」、包丁も茄子も、場合によっては照りますが、ふたつが「照り合う」と表現されることで、茄子にははがねの光が、包丁には茄子のむらさきの光が、どこかに潜んでいたのだということに気付かされます。切るものと切られるものが、互いを照らし合う、その俎板の上の運命的な瞬間を、日常的に体験している私たちは、やはりふだん、生活をするさいには、鈍感になっているのかなと、こうした鋭敏な感性の句をみると、気付くところであります。
「身の内に森あり滝に濡れ尽くし」これは心象的な句です。私は、身の内に森があって、その森が、またもっと大きな滝によって濡れ尽しているんだ、というふうにとりました。もうひとつ、身の内に森がある、実際の私の身は、修験道でもやったのか、滝に濡れ尽している、というふうにもとれますが、滝に打たれてどしゃぶりの森が、きらきらと雫を跳ね返している様子を、胸のうちに持つひとの目は、どんなにきれいだろうと思います。
もうひとつ、37番「いびつ」は、発想のユニークさを、ぽんと飾るように見せてくれる句でした。「ウヰスキー色の仏陀やひこばゆる」、仏像なのでしょうが、仏様をウイスキー色にたとえるところがユニークです。ストイックな仏道の偶像を、酒の色にたとえるのは、なかなかアイロニーが効いています。しかも洋酒。このアンバランス感が、仏陀を見ても、もはや「ウィスキー色」にしか思えないという、主体のちぐはぐな知識体系が察せられます。もちろん、そこが現代人らしくて、魅力的なわけですが。「造られて公園となるチューリップ」、公園はすべて造られたものだという事実を教えてあげますよ、という風なそぶりの一句。チューリップは、園として植えられているところ以外で、雑草として見る花ではないというところで、公園という場所を象徴する花でもあるのでしょう。
「手も足もある春の雲あふぎけり」、春の雲を、人間か動物か、手足のあるものにみたてているようです。「あふぎけり」としたことで、目の前にかぶさるようにある春の雲のかたちが、おおいなる存在として、作者と対置されます。
「よき午後や薔薇の味するヨーグルト」、そりゃ「よき午後」だろう、という感じがします。「薔薇の味するヨーグルト」は、薔薇のジャムでも足して食べているのでしょうか。「薔薇」ですから、ちょっといい午後に、みずから酔っている気持ちよさが、こちらにも伝播してくる句です。「タクシードライバータクシーを背や遠花火」この場合「や」がいいのかどうかはちょっと疑問ですが、タクシードライバーにも抱えている心があるということに、スポットがあてられています。「卓上に魚肉ソーセージありけり紫蘇乾く(「魚肉ソーセージ」に「ギョニソ」とルビ)」は、ギョニソと読ませたかったのでしょうが、「卓上に」は蛇足。「ひとにうなじあり颱風が来つつあり」は、うなじが風を感じる場所であるという価値観を納得させてくれるようなつくり。「あり」で事実を並列させることで、その二者に関連があるようにつくられているのも巧みです。
最終的には、個性と完成度のバランスから、5番か37番のどちらかを推したいです。
私は、◎が
【17 竹婦人VS. 】。
○が【13 微熱】
【21 魚眼望遠鏡】
【25 誰のものでもない金色】
【29 水】
【37 いびつ】
の4作品でした。
【17 竹婦人VS. 】は10句の並べ方が奇数番号は全部「竹婦人」の句になっていて、それと隣の句とが「VS」で同じテーマで戦う趣向になっていて、並べ方にも一工夫あり。
五十嵐さんの○も挙げていただきましょうか。
作品名だけでも結構です。
失礼。
○が5作品。
○の作品。
○【09 雌でせう】
○【13 微熱】
○【14 ゐなくなる】
○【15 しるし】
○【18 マーベロン28】
○【21 魚眼望遠鏡】
○【22 黄身】
○【23 またあした】
○【25 誰のものでもない金色】
○【27 歯が生える】
○【34 うみねこ】
○【36 枇杷の実】
○【37 いびつ】
【17 竹婦人VS. 】について面白かったところ。
「綾波レイ発進青葉風過ぎた」の強引さ、馬鹿馬鹿しさが面白い。
アニメキャラから始まりながら神野紗希さんの「起立礼着席青葉風過ぎた」を踏まえる方にずれて、プレテクスト(先行テクスト)二種類に跨ることでパロディでもありながら、綾波レイが出てくるなり過ぎ去ってしまった妙なリアリティを強引に生み出して押し切ってしまった。
「かぐや姫産みしはむかし竹婦人」も似たワザで、「産みし」の断言で竹婦人となった竹の私語りを聞くような、人だか竹だか何だかよくわからないものが立ち上がってくる馬鹿馬鹿しいおかしみが良い。
「ちびまる子」「のだめ」の句は外から判断を下しているようなスタンスで、やや理に落ちたり、平凡に終わっている印象。
「海霧やゴジラ生まるる放射能」「棹竹に思ひを寄せる竹婦人」は意外と景色や物の実感に根ざしている。
神野さんと重なった【37 いびつ】について。
「ウヰスキー色の仏陀やひこばゆる」、「ウヰスキー色」が意外で説得力があり、「ひこばえ」とのコントラストでコクがある。
「よき午後や薔薇の味するヨーグルト」の「薔薇の味」も鮮やか。
「ギョニソ」は「紫蘇乾く」との対比はよかったけど、「卓上に」か「ありけり」かどちらか整理すれば変態ルビ(ギョニソ)使わないでも済んだのではないか。
味覚・食物に関する句のほうが、外から見ているだけの句よりインパクトあり。
一覧にまとめると
【01 垂乳根】
【02 おかあさん】
【03 てろりる】
【04 ラプソディ】
【05 おのまとぺ】 神野◎
【06 百八】
【07 青嵐】
【08 梅雨の蝶】
【09 雌でせう】 五十嵐○
【10 この夏】
【11 南吹く】 五十嵐◎
【12 フクシマ】
【13 微熱】 関○ 五十嵐○
【14 ゐなくなる】 五十嵐○
【15 しるし】 五十嵐○
【16 虫笑・蝶笑】
【17 竹婦人VS. 】 関◎
【18 マーベロン28】 五十嵐○
【19 ひよいとチヂミを】
【20 化石の旅】
【21 魚眼望遠鏡】 関○ 五十嵐○
【22 黄身】 五十嵐○
【23 またあした】 五十嵐○
【24 メインイベント】
【25 誰のものでもない金色】 関○ 五十嵐○
【26 さなぎ】
【27 歯が生える】 五十嵐○
【28 アトムの胃】
【29 水】 関○
【30 薔薇色】
【31 ビクターの犬】 五十嵐◎
【32 フド記】 五十嵐◎
【33 夏至南風】 神野◎
【34 うみねこ】 五十嵐○
【35 みづ】 五十嵐◎
【36 枇杷の実】 五十嵐○
【37 いびつ】 神野◎ 関○ 五十嵐○
【38 明滅】 五十嵐◎
◎○を合わせると、【37 いびつ】が満票です。
【37 いびつ】について、まず、なにか。
神野さんは詳しく書いていただいたので、○の五十嵐さん、関さん。
【37 いびつ】は、野口裕さんが印象句として〈タクシードライバータクシーを背や遠花火〉を挙げていらっしゃいます。
「37 いびつ」に関して言うと、
採った句は次の3句。
○ウヰスキー色の仏陀やひこばゆる
○造られて公園となるチューリップ
○花は葉にものかんがへるときの口
まぜ◎にしなかったかと言うと、
卓上に魚肉ソーセージありけり紫蘇乾く
の「ギョニソ」が好きになれなった。
神野さん。こういう要望も。
http://twitter.com/#!/dwsk_w/status/83885744858472448
気が向いたら、用意があれば、で結構です。
【37 いびつ】、五十嵐さんとも重なってますね。
他に五十嵐さんと重なった作品について。
【13 微熱】
全体にくだくだしく言わないことで沈潜した情感が出ているのが良いです。
その元になっているのが関係付けの微妙に予想外な飛躍が生むリアリティ。
「青梅を煮たるその夜の微熱かな」の「青梅を煮る」と「微熱」、「波音を吸うて仙人掌咲きにけり」の「波音を吸」って咲く「仙人掌」、「桃色の干菓子を舌に梅雨の底」の「桃色の干菓子」と「梅雨の底」等。
「海藻の貼り付いてゐる簾」とか「古書市」から「紙魚多きもの」への踏み込みによる明確化など、押し付けがましくないのに強く訴えてくるものがあります。
【21 魚眼望遠鏡】
非意味と児童文学的なポエジーの両方があってその比率が、例えば阿部完市に比べると後者が重くなっている分わかりやすい。
「まぼろしの鱏のうらがわ頭脳線」からの後半4句が面白かった。
尻上がりに採る句が増えるというか、まとまってくるにつれて方法意識が明確になってくる感じ。
タイトルの「魚眼望遠鏡」も凝っていて、遠い非在のものを円型の視界の真ん中に引き寄せてみせる方法の説明にもなっている。
【25 誰のものでもない金色】
全体として恋人の家を訪ねていくようなストーリー性があるようですが(「今日の予定に雨宿り」とか)、それを適当に外へはずしていく要素が「誰のものでもない金色」とか「滑稽な」とかで入れられていて、酔っていない、変な距離感が面白かった。
「クツクツとカレー煮ている初閻魔」はこの一連の流れだと、恋人に対する感情なども漂っているようで、ちょっと重層性が出てくる。
「まぜ」はパンチミス。「なぜ」ね。
【37 いびつ】は、私も、いいと思いました。個別の句については、五十嵐さんに近い。
ちょっと引いた感じのおもしろさを、きちんと一句にできる感じの作り手と思いました。
…つうように、進行役が、感想を言ったりします。
天気さんもどんどん感想入れて。
【37 いびつ】は、掲載決まりということで。
しかし、ギョニソは、不人気なので、換えてもらってもいいですねwww
【13 微熱】は、関さん、五十嵐さん。
順番に行きましょうか。
関さんは書いていただいたので、五十嵐さん。それに神野さん、何かあれば。
【21 魚眼望遠鏡】
ひらがなを多用しながら読みにくくないことに少し感心しました。
採った句は
○めきしこはしちみまみれの父である
なぜ◎でなかったか。
技巧的な印象があったからかなぁ。
あ、F5(更新)使ってくださいね。
最新の書き込みをお読みください。
掲載決定が早くも決まった【37 いびつ】の「タクシードライバータクシーを背や遠花火」については、二次元的によくまとまって情感もあるというのがそのまま限界になってもいる句で、私は積極的に推すというほどではありませんでした。悪い句では全くないと思いますが。
以下、神野の○です。
13「微熱」
「青梅を煮たるその夜の微熱かな」「斑猫を見失ふ六道の辻」、等身大の生理感覚が、うまく十七文字に載っていると感じました。
20「化石の旅」
「春行くや巫女は理学部数学科」きっと美人です。数学科の彼女、宗教についてどう考えているのでしょうか。「春の暮見飽きても見るサザエさん」、サザエさんの本質です。「冬の夜の絵本で熊が殺される」、冬の夜であれば、知らないところで、リアルでも熊が殺されている、そのループ感。
36「枇杷の実」
「六月や靴の踵で描くベース」、六月の必然性はあまりありませんが、すっごくかんたんな草野球のはじまりが、気持ちよく描けてます。
「枇杷の実に工事の足場触れてをり」狭いところに組まれた工事の足場、枇杷のうっそうとした茂り具合、双方が「触れてをり」でみえてきます。
「眠る間も血は巡りたるえごの花」、血流の音が、しずかに聞こえてくるようなきがします。
追加はこの三つです。
時間差があってうまく入れられないかもしれませんが、イチオシにした「32 フド記」で採った句は次の句。
○風呂敷の中の秋風年経たり
○ことごとく墓の前にて息白し
○燐寸費す汝寒椿をへだて
○燕子花たましいながらムラサキに
○鳩冬に不確かなもの啄むや
○地下鉄を乗り継ぐ日々も枯れゆくに
全作品、触れますので。
コメントは私が作品名を出してから、にしましょうか。
(カオス過ぎるwww)
オーケーっすか?
オッケーっす。
お~け~
アリガトー!(たにむらしんじ風に)
【13 微熱】も3点になりました(特選はないですが)合計点では、これが2位ということになります。
一定の肌理を保ちつつ10句が並んでいるところが、よいと思いました。
〈波音を吸うて仙人掌咲きにけり〉の静謐な感じ。
褒める・けなす含めて、いかがでしょう? この作品。
ああ、13微熱 ね。
選句してたときに書いたメモを転記します。
しっかりした力を感じます。若干おとなしいかなと思いますが、それもまた個性でしょう。「これだ!」と思わせる句がなかったのが一重丸の理由です。
以下の句に○をつけてます。
○青梅を煮たるその夜の微熱かな
○古書市の紙魚多きもの漁りけり
○波音を吸うて仙人掌咲きにけり
○草笛を吹くや潮気の濃き風に
○夜涼みや消毒したる舟の上に
【13 微熱】の「波音を吸うて仙人掌咲きにけり」、上のコメントでちょっと出しましたけど、海のそばで咲くサボテンの描き方として、サボテンの存在感も情感もあるし「吸うて」のひねりもあざとくなく、只事でなく利いていて良い句だと思います。
サボテン、いいすよね。
「斑猫を見失ふ六道の辻」は、ふつうなら「六道の辻斑猫を見失ふ」のほうが五七五にうまく収まる。そこを捻ったところが、手慣れた感。いやらしくもあるw
これも掲載ですかね。
掲載に関しては異論なし。
【13 微熱】は全体に粒が揃って安定感があってよかったです。
強いて注文つけるとしたら「斑猫を見失ふ六道の辻」の「六道の辻」は実際の地名でもこういうところあるらしいですが、やや狙いがストレートに出すぎかなというくらいで。
自分が詠むべき世界を確固としてつかんでいる感じが、この10句だけでもしますし、それで単調にもなっていない。
私も掲載異論なしです。
あとはアタマから行くのが得策のようです。
【01 垂乳根】
松尾清隆さんの推す3作品のうちの1つです。
野口裕さんが印象句として〈肉は肉骨は骨なる更衣〉を挙げていらっしゃいます。
お三方の選には入りませんでした。
俳句的な処理という点で手慣れた感じがあります。
いかがでしょう?
お三方、全員、コメントをいただかなくとも結構です(時間もありますし)。
up時にコメントが消えました。少々お待ちを。
神野さんを待ちながら、【01 垂乳根】
【01 垂乳根】
一見柔軟に見えながら独創性に欠けるようです。常識的展開が多いように思いました。中では「どこからかピアノ」が好きです。
○どこからかピアノどこからか夏蝶
あ、じゃあ「微熱」、また機会があったらで。
1番は、「噴水が人の代わりに立つてゐる」がよかったです。噴水がとても切実な存在に思えてきます。
「あるときは妻の昼寝を見てゐたる」の「あるとき」、「飲み干して思ふことなし夏の水」の「思ふことなし」などの措辞にみられるように、全体にちょっと思わせぶりなところが、避けた理由です。
【01 垂乳根】は「たらちねの母のよろめく冷酒かな」の「たらちねの」、「飲み干して思ふことなし夏の水」の「思ふことなし」、「肉は肉骨は骨なる更衣」の「肉は肉骨は骨」、等々思わせぶりだが特に内実がないという印象の句が多くて採れませんでした。作中主体が先にのめり込み過ぎというか。
噴水が人の代わりに立つてゐる
たらちねの母のよろめく冷酒かな
…が好きです。
五十嵐さんのおっしゃる「常識的展開」は、そうかもしれません。安定感という美徳にも繋がっていますが。
「噴水が人の代はりに立つてゐる」は私も○ついてます。
【02 おかあさん】
野口裕さんが印象句として〈ナイターや遂に代打のあの男〉を挙げていらっしゃいます。
口調が俳諧的というか狂歌的? かと思うと、〈少しばかり押されてくぐる茅の輪かな〉といったいわゆる「よくある」ふうの句、新聞の埋め記事のような〈年々に褌の減る海開き〉もありますね。
【02 おかあさん】
01と同様に独創性の問題があると思いました。「嫌なおかみさん」とか「につぽんのおかあさん」「遂に代打のあの男」とか、やや通俗と感じました。
○海亀の跡なんめりと砂平ら
「なんめり」が面白かったのですが、「砂平ら」再考できるかな、と。
とるのは「あら嫌なおかみさんだね梅雨入だね」です。ありそうな会話です。
おかみさんというのは、ときに、ちょっとどきっとするような、耳に痛いようなこともいう存在なわけです。
全体に、ちょっと言い方を奇抜にしようと努力しているかんじがあって、努力がみえるとつまらないです。
「海亀の跡なんめりと砂平ら」は、「海亀の跡」が略しすぎか。「砂平ら」の情報はいらないので、海亀のなんの跡か、ちゃんといったほうがいいと思います。
ナイターの句は、ナイターってそういうもんだよね、と。
これ、ナイターという季語を使う必要あるのかな。むしろ何をつまみに飲んでるとか、何のんでるとかいう季語のほうがまだしもでしょうか。
「明易きかなにつぽんのおかあさん」は朝早くから台所に立つ母への賛歌と感謝と取れますが、「遂に代打のあの男」や「あら嫌なおかみさんだね」は、作中主体が興がっているところに読者を誘い込む手がかりがあまりない気がして、乗りにくかったです。
「影を袈裟懸け」「押されてくぐる茅の輪」等、既視感のある表現も幾つかあり。
中で○つけたのは「さてこれは毛虫入れろといふことか」。
通俗のあんばいは、むずかしいですね。
それを感じる作品がほかにもありました。
ちょっと重なりながら、次、行きます。
つまり、ひとつ前の作品へのコメントもアリよ、てな感じで。
作中主体がおもしろがるのと、読者がおもしろく読むのと。このあいだの距離というのも、大きな問題ですね。
次、行きます。
【03 てろりる】
「プシュり」は「プシュる」、「物体エックスる」など、造語が目を引きますね。
【03 てろりる】は、「缶コーラプシュり鳩尾解放す」の「プシュり」は「プシュる」という造語の動詞なんでしょう(「り」が平仮名)。
「海胆の棘てろりる物体Xる」というのもありますし。
「脳幹注入トニックシャンプー髪洗ふ」は「脳幹注入」の無茶さがトニックシャンプーの実感を鮮烈に引き出していますが、「夏痩身桃色豚形貯金箱」や「海胆の棘てろりる物体Xる」は意味で付いてしまって、理に落ち、言い回しの工夫が浮いてしまっている印象。
とるのは「金輪際練乳苺唯物観」。「唯物観」のオチは、ちょっと言いたいことが明るみにですぎていて、あまりうべなえないのですが、「金輪際練乳苺」という漢字の連なりがすてきでした。金色と苺の赤があざやか、練乳の白もはいってきますね。
「練乳苺じゃないとだめなの、ぜーったいにだめなの!」的な女子っぽさを、漢字にしたところが面白いともいえます。
しかし、全体に、もうすこし、読み手への歩み寄りがほしいところでした。
「缶コーラプシュり鳩尾解放す」、「プシュり」は、あの缶をあけたときに炭酸がプシュッとなるのを動詞化したんだと思うんですけど、この新しい表現と、「解放す」という文語的な言い方は、さすがにあわないので、せめてこういう場合は最後を「する」などと口語調にしてほしいです。
【03 てろりる】
まあ実験作なんだろうな、という印象。しかし、思ったほどインパクトにつながっていないところが残念。
特に最後の表題ともなっている「てろりる」の句は、別にテロってない。
中では「心臓のザフザフと噛む夏あざみ」の句に1点。
【04 ラプソディ】
野口裕さんが印象句として〈ミモザ咲きましたかと耳なし芳一〉を挙げていらっしゃいます。
ラプソディは狂詩曲。作り手として、意識的・操作的に「狂う」ことを企図しているようにも見える10句です。
>「練乳苺じゃないとだめなの、ぜーったいにだめなの!」的な女子っぽさ(神野さん)
そう読むかw
とるなら「ミモザ咲きましたかと耳なし芳一」。目をつむっているんだろうなあ、と。
でも、耳なし芳一の性格からして、とくにミモザが好きってかんじでもなさそうなので、「ミ」の頭韻オンリーでつながっているのでしょう。そこに懸けているところは好きです。
全体に、お酒に酔ってるみたいな句でした。
「マティーニ二杯奥さん鯨は帰ります」、なぜ鯨は帰るのか、を考えたくならないのは、考えてもビジョンがなさそうな感じがしてしまうのです。あるのかもしれませんが、表現できてない。
口語句だったり、カタカナ語だったり、任侠映画だったり、草間彌生だったり、旧約聖書だったり、忙しい10句。
「フクシマ」の句に「アウフヘーベン」と入れてみても予定調和な感じもします。
「吉良常や飛車角も非在」というが、これが「人生劇場」と知っている人にとっては義理人情の喪失という月並みな発想に思えてしまいます。
「ホラホラ」とか「来い来い」もあまり効果的ではないようです。
「草間彌生」ということはびっしりと描かれた水玉模様を表しているのかと思うが、何も草間彌生の名を道具にすることもないでしょう。
良いと思った句は「ミモザ咲きましたか」。
>「練乳苺じゃないとだめなの、ぜーったいにだめなの!」的な女子っぽさ(神野さん)
>そう読むかw(天気さん)
だって、練乳苺ですもの。「唯物観」も、ただ目の前に練乳苺があるという、それだけでいいわそれが全てよ的な歓び。
【04 ラプソディ】
「吉良常も飛車角も非在鳥帰る」の「吉良常」「飛車角」はどちらも尾崎士郎の小説、及びそれを映画化した『人生劇場』の登場人物。http://kotobank.jp/word/%E5%90%89%E8%89%AF%E5%B8%B8
作者が彼らに思い入れがあると取ると、彼らが虚構に過ぎないということに不意に改めて気付いてしまった淋しさと「鳥帰る」は合っている。
「来い来いメッキーメッサ向日葵くわえ」の「メッキーメッサ」はブレヒトとワイルの『三文オペラ』の登場人物ですが、これは外面的な描写に終始しているのか、今ひとつ読みきれず。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%96%87%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%83%A9
「フクシマやアウフヘーベンと泣くアトム」は「フクシマ」のカタカナが悪目立ちするのと、「泣く」で採れず。
典拠が何かあるのかよくわかりませんでしたが、「マティニー二杯奥さん鯨は帰ります」はそんなに悪い気はしませんでした。かっこつけてナンセンスなので愛嬌があり。
【05 おのまとぺ】
神野さんの特選です。
野口裕さんが「十句というよりも、十行の詩かな?」とコメントしておられます。
以下、私の感想。
破天荒のようでいて、読者サービスのある10句と思いました。俳句を読むときはあまり使わない言語中枢を刺激するというか。その成否、読者の好悪は別にして、企図として興味深い気がするのですが。
掲載か不掲載かで、揉めてみましょうか。
「おのまとぺ」は、私、掲載に推したいです。いまんとこの「いびつ」がわりときちんと俳句やってるという意味でも、バランス的な観点からも(と客観的な推しポイントも添えつつ)。
冒険するセンスをすごくもってる人だと思います。「。」が休符の役割を果たしてるのも面白い。
さきほどに加えると「たんまりとすたすたすったかすりりんご」、発声練習の「あめんぼあかいなあいうえお」的な、発音するたのしさがあります。
もし絶対いやということでなければぜひ、というのが私の。
8句目。
引用は控えますが、
そう来るかwww と。
【05 おのまとぺ】
「いやあんやんまあええやん猫発情す」は季語の恋猫でしょうが「猫発情す」と言わないと「猫の恋」では句にならなかったからこれはいいとして、「いやあんやん」のオノマトペが「まあええやん」の擬人化にずれていって答えが出てしまうのは良かったのかどうか。
オノマトペだけで押し切っている「るららるらてぃららてぃらてぃら新品のすかあと」のほうが、平仮名書きの「すかあと」が実物のスカートから言語・記号のなかだけで成り立つ官能性に引き込まれかけているようで面白い。
「郵便受けがすたんきゅうぶりっくと軋んだ」は擬音のなかに「スタンリー・キューブリック」が織り込まれていて、完璧主義の、つねならぬ何かが郵便受けの金属音のなかに絡め取られているよう。郵便受けが郵便受け以上の奇妙で不穏なオブジェに化けているのが面白い。
オノマトペの独創性に賭けていても、感覚の再現に回収されて終わる作りの句が多いので、これは成功しても射程が短いのが難。その分全体にわかりやすくなるわけではありますが。
掲載については特選打った選者がいるのだから、私は掲載で良いですよ。
「ちちちちちちちちちちちちちちち膣」、生理痛の来はじめのかんじともいえるし、単純に「ち」ではじまる文字で、ためてためて、なんか馬鹿なところに着地しよう、というオオギリの、いい回答でもある。笑いと性とは、強い結びつきがあるとは、誰のことばでしたか。
冒険するセンスは買います。
でも結局ぼくはこの10句から何も感じなかった。
残念なことです。
オノマトペなのに言葉遊びの面白さや音楽性を感じられなかったです。
異色という点では掲載に反対はしません。
>笑いと性とは、強い結びつきがあるとは、誰のことばでしたか。
数千年前から、誰もが言っている。
では、掲載の可能性大。
あとは、週俳の差配にお任せいただくと言うことで。
【06 百八】
パソコンの冷却ファンとか、鍾馗の髭の枝毛とか、腰骨の日灼け具合とか、妙なところに目が行く人だなあと。
疲労を色で言えば黄金(6句目)の奇妙な意表、「強力や」という上五、〈置物の狸空見る薄暑かな〉など、俗な成分の配合もおもしろく、私は、この【06 百八】すいぶん楽しみました。
実は、私に投票券があるなら、迷わず、これ、推してました。
いかがですか?(進行役が無理を通すというおとではなく)
>笑いと性とは、強い結びつきがあるとは、誰のことばでしたか。
>数千年前から、誰もが言っている。
そうです。ちょっともってまわった言い方してすみません。
オノマトペというと、まず「ぐりぐり」「らんらん」「どんどん」という牧歌的なものがあって、次に今、マンガの世界で効果音的なものがたくさんあって、でもこの作品のは、また異質のものであるように思いました。生理感覚に訴えかけてくるような。五十嵐さんが感じなかったというなら残念ですけど、たとえば「るららるらてぃららてぃらてぃら」なんて、スカートくるくるまわして鏡の前に立ってる女の子なかんじがよくでてると思います。
【06 百八】
「パソコンのうちにかたへに扇風機」はパソコンに内蔵されている冷却用のファンのことを言ったのかなと。
「家路なり多分梅酒の待つてゐる」「置物の狸空見る薄暑かな」のような只事っぽい句と、「腰」を「腰骨」にしたりしてトリヴィアルな着眼をひねろうとした句とがあって、細かく言えばいうほどどこが狙いなのか隔靴掻痒になる感じが。骨自体は日灼けしないとか、「妻も子もゐずや中州へ川遊び」の「中州」はこの句においてどれだけどう機能しているのかとか。
標題句の「強力や百八本の缶ジュース」、最初「きょうりょくや」と読んでしまって意味わからず。「ごうりきや」でしょうね。荷物を背負って運ぶ人。11ダース背負うとちょうど「百八本」になる。「背負う・負う」といった語が入ったほうがストレートに通じるかもしれません。
とるなら「置物の狸空見る薄暑かな」、狸の重さと空の広さあおさ。
疲労を色でいえば黄金、というところはとても魅力的な発想ですが(疲れているときというのは快楽の気分にどこか近いところもあるというのを、金色だと思いだします)、「短夜」では、それはなかなか眠れず疲れるだろうなどと理屈がついてしまうところがつまらない。
「とな」とかとぼけた口吻はあまりあっていないような気がするので、たとえば「金色の疲労」で十分伝わると思います。
ちょっと表現がゆるいというか、内容とあっていないと思う箇所がいくつかあったので、私はとりませんでした。
【06 百八】
05の後に置かれていたせいか、妙に安定した感じがしました。
○腰骨の日灼け具合を較べをり
このあたりけっこういい感じだったのですが、いかんせん表題作が面白くなかった・・・。
>細かく言えばいうほどどこが狙いなのか隔靴掻痒になる感じが。骨自体は日灼けしないとか、「妻も子もゐずや中州へ川遊び」の「中州」はこの句においてどれだけどう機能しているのかとか。(関さん)
同意見です。
「新じゃがの皮張り付くや塩の粒」、これだと、新じゃがの皮がどこかに張り付いていることになるけど、いいたいのはきっと、塩の粒が皮に張り付いている、ってことですよね。
【07 青嵐】
松尾清隆さんの推す3作品のうちの1つです。
野口裕さんが印象句として〈青嵐ここに神社があつたはず〉を挙げていらっしゃいます。
【07 青嵐】
いい句とそうでもない句がまざっているのではないでしょうか。
「おぼろから」とか、最後の「ここに神社があったはず」などはいけてると思ったけど、「新聞紙」や「白日傘バリアのごとく」などは陳腐(スンマセン)に感じました。
その句に関しては、「青嵐」と「神社」の取り合わせだと、池田澄子さんの「青嵐神社があったので拝む」という、すでに人口に膾炙した句があるので、そこを超えていく力はなかったという印象でした。
【06 百八】の
「中州」はこの句においてどれだけどう機能しているのかとか。(関さん)
同意見です。(神野さん)
固有名詞は、機能も大切ですが、
作者個別の地理観、場所への愛を
尊重するというのが、私の態度です。
この句も悪くないと思いました。
>池田澄子さんの「青嵐神社があったので拝む」
そう言やぁそうだね。
「きもちよさそうに曲りて春の川」は好きでした。とても気持ちいい。春の川が、のびのびと、いきいきと、水を走らせているのが、自分の春の気分を通じて伝わってきます。
全体に、ちょっと説明過多の印象でした。
「おぼろからついに朧がはみ出しぬ」、朧というのはそういうぶわぶわかたちのないものですから、「ついに」というほどのことじゃない。
「新聞紙突如蠅叩きになりぬ」も「突如」は説明してくれすぎという印象でした。
【07 青嵐】は、よく言えば、俳句らしさ、安定感。悪く言えば、すでに知られ過ぎている「感じ」、かもしれませんね。
【08 梅雨の蝶】
野口裕さんが印象句として〈梅雨の夜のごきぶりの家たててをり〉を挙げていらっしゃいます。
【07 青嵐】
「青嵐ここに神社があつたはず」は池田澄子さんのを踏まえて、神社が青嵐に化身したような風情で嫌ではなかったです。神社がなくなるというのは実際には大規模な再開発か何かでなければあまりないのではないかとは思いますが。
「おぼろからついに朧がはみ出しぬ」の言葉遊びはあまり採れませんでした。
「新聞紙突如蝿叩きになりぬ」の持って回っていないスピード感は良かったです。「突如」がやや俗ではありますが。
【08 梅雨の蝶】
「天井の龍の墨絵のさみだるる」の端正さと「梅雨の夜のごきぶりの家たててをり」が面白いと思いましたが、後者は最初、「ごきぶり」が主格でごきぶりが自分の巣を作っているところかと思って採ったら、多分作中主体がゴキブリホイホイ組み立てている場面でそうなるとあまり…。
「中空へ蔓はゆらゆら青葡萄」のオノマトペ「ゆらゆら」が当たり前とか、「夕立の隅にころがる松ぼくり」の「ころがる」が必要かとか、写生句で措辞がゆるむのが残念。
一句挙げるなら「夕立の隅にころがる松ぼくり」。濡れていて、すべてがけぶる夕立世界の核となっている松ぼっくりの存在感、捨て置かれた感が魅力的でした。
全体に、助詞が気になりました。
「夏みかん畑仕事はひとやすみ」の「は」。「は」だと、なにか別のことは休まずつづけているみたい。
「中空へ蔓はゆらゆら青葡萄」の「は」、これも同じ理由。
「ごきぶりの家」は「たててをり」の「をり」というほど時間のかかるものではないので・・・ちょっと「家」の擬人化をひっぱりすぎかなと。
【08 梅雨の蝶】
たとえば「あめんぼ」の句などがそうですが、池の底に移るあめんぼの影は、これまでいやというほど詠まれてきたのではないでしょうか。
また、「蜘蛛の子」の「お家はすでに」という擬人法は少し鼻につくのです。
「夕立」の句も、ころがるものは大概隅にころがらせてしまうのが悪しき俳句の世界かなと思いました。
一句いただくとすれば「天井の龍」の句かなぁ。
【09 雌でせう】は、五十嵐さんの○です。
野口裕さんが印象句として〈カムチャツカ沖へパピコは行つたのだ〉を挙げていらっしゃいます。
パピコとかチューペットとか、わけがわからず調べちゃいましたよ。
≫パピコの画像
≫チューペットの画像
お菓子なんですね。
ヘンなもの(いい意味です)を持ってきたものだと。
私、わりあい、好感しました。わけのわからなさも、俗な事物の取り上げ方も。
ヘンな10句であることは確かですが。
【09 雌でせう】
さて、これは問題作かなぁ。特選にしてもいいかなと思いながら、どこか不満もあります。
非凡であることは感じられましたが、自動筆記の実験作という印象もまたありました。
こうした作品に意味を問うてもしかたがない話です。
ひたすら言葉の魔力に頼ることになるわけですが、その点でどこか物足りないところもありました。
一句目の「はんざき」は俳句なので当然オオサンショウウオということになるのでしょうが、「姦」の字から、エロ漫画家のはんざきじろうも連想したけど、実際はどうなんでしょうね。
「パピコ」はグリコのアイス、チューペットも氷菓かぁ・・・。
【09 雌でせう】
実の手応えがある素材を強引に虚に持ち込もうとしているような作風で、「カムチャツカ沖へパピコは行つたのだ」のナンセンスな独断が決まった句が良いです。
「チューペットに鋏の味のして帰省」もざっくりした作りで却ってノスタルジックな感じが出る。
独断の空回りもありそうですが(クレーン車が雌とかはあまり説得力感じませんでした)、実感を土台にして虚にも足をかけようとしている意欲はあります。
とるならチューペット。
鋏で切った鉄の味がのこっているという、リアルさに一票です。
これも、少しやりたい気持ちが先走りしている感じがしました。
「クレーン車なら雌でせう」、クレーン車は雌だと断定したいのなら、かなりの奇抜な発想なので、もうちょっと表現や季語で手掛かりがほしいところ。
なんか、おもしろいことが起こりそうな作品ですよね。
【10 この夏】
神話に題材を採った夕星(ゆふつつ)、筒(つつ)の句を中ほどに置いた10句です。短歌(和歌)的な世界といえるかもしれません。
挙げるなら「焼酎の瓶に生けたり水中花」。焼酎の瓶には、いろんなかたちがあって、小瓶や、ずんぐりむっくりしたかたちのものもあるので、ラベルを適当に剥がして、水中花をいれてやるのには、いいサイズかもしれないと思いました。
全体に、ハートを感じる10句です。ただ、技術がついてきていないのが、まだ残念なところです。
「故郷想う」「君想う」は、「想う」までいわなくても、「故郷」「君」という言葉を詠み込むだけで、十分おもいは伝わると思いました。
【10 この夏】
「つつ」でこんなに深追いするものじゃないんじゃないかなぁ。
()のわずらわしさに鑑賞をさまたげられてしまいました。
「故郷想う」とか「君想う」とか「絞り送りたき」とか、どうだろうか。
一句挙げれば「夕星願う」かな。
>全体に、ハートを感じる10句です
自分の思いを重視しすぎると、
ことばに構成するという具体的な作業(の慣れや熟練)の邪魔になるということもありそうです。
ちょっと一般論めきますが。
【10 この夏】
「此岸彼岸」多用は疑問です。
全体に意余って言葉足らずな感じで「作品に蛍光りて故郷想う」の「作品」の不鮮明さとか(油絵なのか映像なのかインスタレーションなのか)、「不器用は食わず嫌いか夏魚」とか、多分作者が意図していないところで意味が取りにくかった。
「雨雲を琵琶湖で絞り送りたき」は感情が主の作風が豪腕(というか強引というか)な表現に転じている気がして採りました。
( )はルビです。
説明不足でしたか。
ルビでもたぶん同じ印象。
【11】南吹く
とるなら「袖口の裏がへりたり洗ひ髪」。シャワーを浴びて、髪を洗って、いそいで服をはおって出て来たんだなということが、「袖口が裏返っている」ことで分かるところ、にくい演出です。
「青柿のふへてゆく夜の月青し」も、月の夜に、青柿がどんどん増えてゆく雰囲気は悪くないと思ったのですが、「青」とさきにでてきているので、「月」の形容がやはり「青」であるところに、既視感がうまれてしまうのがもったいないです。
「半袖のかひな白かり南吹く」、「かひな」が見えているということで半袖だということも分かるので、「南吹く」という季語を優先して、「半袖」をさげて、季重なりを解消したほうが、この場合いいように思います。
全体に、もうすこし句を整えれば、ボールを投げたい的の位置は、たしかだと思います。
さて、24時を超えました。
どうしましょう?
いずいれにしても、今夜一晩では終わりません。
お楽しみを持ち越しです。
(日時はあらためて設定)
いま、どうするか。
1)××時くらいまでOKよ
2)いま終わろう。
どうしましょう?
10作品で止めておいて、
あとは雑談(ツイッターに合流)というのも楽しいですよ。
【11 南吹く】
情感はあるんですが、全体に手応えのないきれいさというか。
採ったのは「板敷きの同じところを踏む跣足」「半袖のかひな白かり南吹く」。
そろそろひとまず終わってもいいんじゃないでしょうか。
私は時間的には融通ききますので、他の方のご都合に合わせます。
とりあえず11まで。
ほんのちょっと不思議な世界も垣間見えるところが好み。
細かなことかもしれないが「の」が多いところが気になりました。10句という中では気をつけたほうがいいかも。
私は、一気にやったほうが楽なので、今日はとりあえず一時まで延長して終わりにしませんか?(秀彦さん、無理なら遠慮なくおっしゃってください)
では【11 南吹く】まで。
野口裕さんが印象句として〈赤鱏の静かに沈む地下通路〉を挙げていらっしゃいます。
〈板敷きの同じところを踏む跣足〉なんて、些細でいいなあ、と思いました。
ちょっと無理だなぁ。
了解です。
じゃあ、すでに書いてある【12】まで上げて、続きを待ちます。
【12】フクシマ
「フクシマ」ってカタカナで書く表記は、私はまだ受け入れられなくて、こういうふうに書くのって、あえて呼び名を変えて、ジャーナリスティックに、センセーショナルにとりあげたいということだと思うんですけど、でも、私は、「福島はフクシマとなり」じゃなくて「福島は福島だ」っていってほしい。もし「フクシマ」と呼ぶべき状態だったとしても、今、書くものとして反抗すべきは、政治家や東電ではなくて「フクシマ」なんて呼び名じゃないかな。
なかでは「父の手に抱かるる夢や夏の海」にシンパシーを感じました。遠い昔のことを思い出したくなるような光が、夏の海の彼方にはあるように思います。
あす出勤のおありの秀彦さんに合わせて、【11 南吹く】までにしましょうか。
続きは、メールでツメましょう。
【11 南吹く】
採った句。
○つま先に触るる卯の花腐しかな
○青柿のふへてゆく夜の月青し
○赤鱏の静かに沈む地下通路
○瑠璃色の指先土用蜆かな
ごめんなさいね。
あわただしかったですね。
お三方にも読者にも。
みなさま、お疲れさまでした。
おもしろかったですー。
深夜の議論を早朝読んでいます。
本日検査のため絶食、を忘れてしまう面白さ。空腹を忘れさせてくれ感謝感謝。
コメントへのお気遣い、ありがとうございます。
昨年、芝不器男賞の前に天気さんが田島さんの作品を激賞していたのがとても印象に残っていて、そういう下馬評みたいなのもいろいろ出てくると楽しいんじゃないかと思ってのコメントでした。
なので、審査に影響を与えようなどという意図はまったくありません。
一読者としては、誰か、「割って入る」人が現れるのも面白いかなと思いますが、その場合にも、当然、三人の選者の方にはご自身の価値観にこだわって貰いたいです。
つづきを楽しみにしています!
前のコメント、匿名になっちゃいましたが、松尾です。
野口さん、松尾さん、信治さん。
どうもですー。
みなさん、気軽に感想など書き込んでいただければ嬉しいです。
再・一覧
※神野さんの○を追加しました。
【01 垂乳根】
【02 おかあさん】
【03 てろりる】
【04 ラプソディ】
【05 おのまとぺ】 神野◎
【06 百八】
【07 青嵐】
【08 梅雨の蝶】
【09 雌でせう】 五十嵐○
【10 この夏】
【11 南吹く】 五十嵐◎
【12 フクシマ】
【13 微熱】 関○ 五十嵐○ 神野○
【14 ゐなくなる】 五十嵐○
【15 しるし】 五十嵐○
【16 虫笑・蝶笑】
【17 竹婦人VS. 】 関◎
【18 マーベロン28】 五十嵐○
【19 ひよいとチヂミを】
【20 化石の旅】 神野○
【21 魚眼望遠鏡】 関○ 五十嵐○
【22 黄身】 五十嵐○
【23 またあした】 五十嵐○
【24 メインイベント】
【25 誰のものでもない金色】 関○ 五十嵐○
【26 さなぎ】
【27 歯が生える】 五十嵐○
【28 アトムの胃】
【29 水】 関○
【30 薔薇色】
【31 ビクターの犬】 五十嵐◎
【32 フド記】 五十嵐◎
【33 夏至南風】 神野◎
【34 うみねこ】 五十嵐○
【35 みづ】 五十嵐◎
【36 枇杷の実】 五十嵐○ 神野○
【37 いびつ】 神野◎ 関○ 五十嵐○
【38 明滅】 五十嵐◎
審査選考ライブ。次回は、6月28日(火)21:00~と決まりました。
スタンバイしました。
こちらもです。
OKです。
遅刻です(汗
【12 フクシマ】から行きます。災害をダイレクトに詠んだ10句です。〈避難所を変はり変はりて聖五月〉被災された方の句作とも読めます。
神野さんは前回にコメントをしていらっしゃいます。
こちら
他に何かあれば、コメントをどうぞ。
【12 フクシマ】
採ったのは「父の手に抱かるる夢や夏の海」のロマンティシズム。これは表題や原発と関係なく。
「阿武隈の山越へきたり蟻の列」は蟻が実際に山を越えてきたとは考えにくいので避難民を象徴しているのでしょうが、一般論が目立って全体にどういう立場で詠んでいるのかわかりにくい。「避難所を変はり変はりて聖五月」とか、本当に避難を強いられた当事者が作者なのかもしれませんが。
「蜃気楼三十キロ先の原子炉」も「三十キロ」は避難圏域から出た数字かもしれませんが、リズムの破調と相俟って、これは原子炉の存在感があります。
>蜃気楼三十キロ先の原子炉
テレビ画面では、陽炎のようでしたしね。
【13 微熱】は3点入り、すでにコメントをいただきましたので、【14 ゐなくなる】に行きます。
【14 ゐなくなる】は五十嵐さんの○です。
野口裕さんが印象句として〈玉葱が空をうづめて聖五月〉を挙げていらっしゃいます。
内容も口調も≪青春性≫という語をあててもよいと思うのですが、いかがでしょうか。五十嵐さん。
【13 微熱】については推薦作の一つなので先週一応コメント済みです。
○阿武隈の山越へきたり蟻の列
説明しようとしている句が多い感じがしましたが、このあたりの感じは、けっこう好きでした。
一輪車置く薫風の通り道
一輪車のおさまりがたさは、まさに「置く」だなと思いました。丁寧に書かれた爽やかな句です。
【14 ゐなくなる】
○思ひ出の中ではいつも夏帽子
○噴水が卵の中にあったころ
○またがってひみつのびはを食べようよ
このあたりの句がけっこう気にいったのです。
全体にすこしセンチメンタルな味があって。
速いですね。
さっきのは「12 フクシマ」のでした。
【14 ゐなくなる】
絵本とか児童文学の世界を俳句で作りあげようとしているようで、方向性が明確。
「思ひ出」のとか「怖し」とか「少女」とかが直接出てこない、五七五だけで、背後に物語性というか、ファンタジーの登場人物が住み入って呼吸している世界を感じさせるような句もあり、「一輪車置く薫風の通り道」「噴水が卵の中にあったころ」「またがってひみつのびはを食べようよ」などが、この一連に並ぶと面白かったです。
【14 ゐなくなる】は、良くも悪くも、甘酸っぱい感じです。
その意味で青春性と呼びました。
>速いですね(五十嵐さん)
ちょっと重なりながらでも、オケーということで。
【15 しるし】は、吟行からもたらされた句がていねいに10句並べられた感じの作品です。この作品も五十嵐の○です。
山あひ見えてかはほりはまだゐない
蝙蝠を待つ心性に、か暗いものを感じて惹かれました。「山あひ」の暮れてゆくシルエットが美しい。
【15 しるし】
手練れな感じがしたなぁ。
○かはせみの彼方より水近づきぬ
○切り株をむかしの夏の蝶が去る
○山あひ見えてかはほりはまだゐない
特に
◎ひとつ忘れて山滴る森滴る
これは印象に残りました。
景を大きく把握するやりかたがかなりいいと感じた。
【15 しるし】
「滝までの道にしるしのやうなもの」「切り株をむかしの夏の蝶が去る」「山あひ見えてかはほりはまだゐない」などが、実感が言葉に定着されている感じ。「やうなもの」は薄れてよくわからなくなってるんでしょうね。
「かはせみの彼方より水近づきぬ」の明るい距離感も気持ちがいいです。
採りたくないという句は少なかった。
関さんの「採りたくないという句は少なかった。」に同感です。
【15 しるし】は、テクニカルな(いい意味です)箇所も目を引きます。達者な作者でしょうか。
ただ、
またたけば海になりけり夏の川
…の位置は、どうなのでしょう?
海への展開をもってくるなら、最後のほうがよいように思いました。細かいことですが。
次。
【16 虫笑・蝶笑】は「童謡のような10句」という読後感を持ちました。
いかがでしたか?
whさんの「最後のほうがよい」というのはどういう意味?
でで虫に人身事故のアナウンス
日常にある死、ということでいえば、この「人身事故のアナウンス」が、一番身近だということを、シンプルに「人身事故のアナウンス」と切り取られることで、気付かされます。
ときに、くしゃっと潰れたかたつむりを見ることがありますが、そのイメージも浮かびました。
虫を扱うという点に、イソップ童話の虫版のような俳句があったら面白いかもしれない、という可能性を感じました。
【16 虫笑・蝶笑】
「尺蠖の空を探って立ちん坊」一見平凡な擬人化のように見えて、小さい虫と「空」の対比で、じっと虫に見入っているときのスケール感の狂ったなかにいる感じも出てくる。
「とんぼうが石に抱きつき齧ってる」は似た句に「小春日や石を噛み居る赤蜻蛉 村上鬼城」がありますが、写生じゃなくて無頼性の投影が主で、いつまでもしつこく齧っていそうなところが面白い。
「息かけて薮蚊を空に返そうか」が、主情的だけど、それが一連のなかに開放感がフッと入って良い。
「手の平で重さ失う天道虫」も可憐。
「癌に効く話は聞かぬ蚯蚓だな」は、ミミズは頭痛・熱さましの薬になるので、そこからの連想でしょうが、無茶な要求をふっかけているようで、それで相手の非力さを我が事のように茶化しつつ受け入れている気配もあって、これもちょっと面白い。
虫ばかりで揃えたのは面白かったし
、
○手の平で重さ失う天道虫
などは正直好みの句でしたが、全体に擬人法が気になりました。
【15 しるし】
>whさんの「最後のほうがよい」というのはどういう意味?
あ、天気ですが。
ずっと川と山が舞台。
〈またたけば海になりけり夏の川〉は、
アタマのなかで(あるいはイメージで)「海」に行くわけですが、最初に行くと、また戻ってこなくてはならない。
だから、最後に、別の場所(海)に飛んだほうがよいかな、と。
おsれほど重大なことを言おうとしたのではありません。
手の平で重さ失う天道虫
これは掌で死んだという意味ですか?それとも飛び立った?
天気さん、了解です。
【16 虫笑・蝶笑】
>擬人法(五十嵐さん)
擬人法は、ヘタをすると、小学生俳句の優秀賞みたいな感じになってしまう危険性もありますね。
【17 竹婦人VS. 】は竹婦人と綾波レイ、竹婦人と目玉親爺といった具合に、2句がワンセットになっています。関さんの◎で、すでにコメントをいただいています。
≫こちら
天道虫はいのちの象徴じゃないかな。
それを言っちゃはじまらないので、やっぱり天道虫。
はや!
【17 竹婦人VS. 】
「ないすぼでえ」や「ちびまる子」があまり効いていない印象。
紗希さん>
「手の平で重さ失う天道虫」、私はこれ、じっと見入っているときのクローズアップの存在感に比べて、実際手に乗せてみたらおそろしく軽いという視覚と触覚の落差じゃないかと取りました。
関さん>あ、その内容なら。
でも、それだと、載せたら軽いってことをそのまま言えばいいですね。
このかきかただと、手の平に載せていたら、そこで重さを失った、というふうな意味になると思うので、ちょっと不可解だったのでした。
ちょっと戻って、〈手の平で重さ失う天道虫〉。
私の読みは関さんに近い。
変化とかじゃなく(飛んでも死んでもいない)、重さがなかった、と。
で、【17 竹婦人VS. 】ですが。
【17 竹婦人VS. 】
先週コメントしましたが、オタク的知識の中で遊んでいたり、アニメ作品の世界を平板に写生しているだけではなくて、そこからリアリティに架橋する工夫があり、実在物なのに変なキャラクター性のある「竹夫人」とアニメ・特撮キャラとの虚実の交感の一連の中で、竹夫人が妙な生気を帯びてくるのが面白かった。
ダニ・ハザウェイのライヴ♪をかけました。
中では「綾波レイ発進青葉風過ぎた」が一番狙いが成功しているでしょうか。
ただ、エヴァの中にはおそらく青葉風は吹かないので、発進している綾波レイは青葉風を感じてない。そこが私は少し物足りなかった。
【17 竹婦人VS. 】
ええっとね。あの。
竹婦人は、諧謔フラグ、「お笑いフラグ」みたいな季語で、その点、難しいと、私自身は思っています。竹婦人が出たら、それはもうユーモアなのだ、笑わないといけないのだという、俳句のオートマチズム。そこに寄りかかったままの10句に思え、少し抵抗があります。
笑わせるのはいいのですが、もっとハードルは高いはず。もうすこし苦労しておもしろがらせてくれないと、というのが、正直な感想です。
【17 竹婦人VS. 】
西原さんの意見に同感。
【17 竹婦人VS. 】はもっと何十句か畳み掛けて立体性みたいなものが出てくると面白かったのかもしれませんが、掲載は見送りでしょうかね。
【18 マーベロン28】に行っていいですか。
ま、【17 竹婦人VS. 】と重なりつつ。
1曲目の「What's Going On」♪が終わりました。
花火だいすきにんしんはのぞまない
「にんしん」を平仮名で書くと、ちょっとおませさんな子ども、という感じになります。好みとしては、漢字で書いて、妊娠をのぞまない成人女性を思い浮かべたいという気はしますが、花火を見る孤独が、「妊娠は望まない」というかたちで表明されることに、新鮮さを感じました。
全体に、あばずれた女性を演じたいという統一感がありました。
掲載うんぬんは、また少し後で討議しましょうか?
(そのほうが参加者がドキドキするw)
【18 マーベロン28】
採ったのはケレン味のない“ザ・日本家屋”な「梅雨寒やたんすの上に薬箱」と、逆に「涼し」から「格闘技」への飛躍が面白い「ふとももの涼しきひとや格闘技」、あと「花火だいすきにんしんはのぞまない」。ふてぶてしくて率直。
【18 マーベロン28】
このタイトルは避妊薬の名前ですよね。
すると10句目の
○花火だいすきにんしんはのぞまない
が表題作のようなものなんでしょう。
全体に後半の句に佳句がそろっている印象。
表題は前のめりながら、内容は比較的穏当だった。
タイトルの「マーべロン28」は低用量ピル(避妊効果)の名前でもあり。
【18 マーベロン28】は、避妊ピルの名(マーベロン28)が作品名。きわめて操作的かつエンターテインメント性を重視した10句といえるのではないかと思います。
五十嵐さんが○。野口裕さんが印象句として〈春闌液もれしてる万華鏡〉を挙げていらっしゃいます。
おもしろいところ、ありますよね、これ。
マーベロンの説明、カブリまくりw
ですね。
意外と男性のみなさんも知っているのだということで(いや、お調べになったのか)。
令嬢めく小指に蟻を這わせれば
とかも、おもしろかったですね。
ラノベ?っぽくもあり。
BGMも自己申告しなければならないらしいので、いまアート・オブ・ノイズがランダムにかかっていて「Beat Box」です。
【18 マーベロン28】
このタイトルならば、もっと喧嘩売ってもいいんじゃないか。
BGM は早川義夫ですw
掲載か否かにかかわらず、こういういろんあ作品、遊んだ作品がある、ってのが、今回の収穫、というか、愉しさのような気がします。
次、【19 ひよいとチヂミを】は野口裕さんが印象句として〈黄鶲やひよいとチヂミを裏返し〉を挙げていらっしゃいます。
>【18 マーベロン28】このタイトルならば、もっと喧嘩売ってもいいんじゃないか。
タイトルで仕掛けておいて、句は、あえて、俳句っぽく仕上げているところに、かえって好感でした。
【19 ひよいとチヂミを】
面白かったのは「毛先から砂となりゆく水中り」の解体感の表現と、見ている当人もあまり時間に追われていなさそうな「鮎釣りのまだ暇さうな左の手」。
表題句「黄鶲やひよいとチヂミを裏返し」オノマトペが平凡なのが損。
【19 ひよいとチヂミを】
それなりの句が並んでいる。
ただ、「鳴り」と「谺する」、とか「ひょいと」「裏返し」というのはどうだろう。
一句選ぶとすると、
○毛先から砂となりゆく水中り
かな。
羽抜鶏ときどき天を突くなり
羽抜鶏のあわれさ、間抜けさが、シンプルに書かれていて好感をもちました。
「見えぬ」「鳴り」「まだ」など、少し措辞が多すぎるところを削ると、もっとシンプルですっきりとすると思います。
いかん、薬剤俳句作りたくなってきた。
毛先から砂となりゆく水中り
…の身体感覚は、他の9句とはちょっと異質ですね。
>いかん、薬剤俳句作りたくなってきた。
では、次回、それで応募をwww
天気さん>
他の句は言い回しでどうにかしようとしているのが多いですね。
【20 化石の旅】は神野さんが○。
野口裕さんが印象句として〈春の暮見飽きても見るサザエさん〉を挙げていらっしゃいます。春から冬にかけての10句です。
六月の母を背負うて二階にあがる
これも、「六月」が、母のからだや息の湿度、重たさを体現している季語だと思いました。
【20 化石の旅】
さっきはちびまる子ちゃんで、今度はサザエさんかよ、とか思っちゃった。
○冬の夜の絵本で熊が殺される
これはかなり好きだ。
【20 化石の旅】
「春行くや巫女は理学部数学科」「六月の母を背負うて二階にあがる」「冬の夜の絵本で熊が殺される」などが面白かったです。特に「冬の夜の絵本で熊が殺される」の取り返しのつかない宿命的な哀感みたいなもの。
「五月」「六月」「冬の夜」等、わりと大まかな季語が多いのと、物語性・情景性への傾斜(「女ばかりの形見分け」「河童は公民館の裏」)は踏み込むか捨てるはっきりさせたほうがよさそうな感じも。
秀彦さん>いやいや、20の人に罪はない。
サザエさんの句も、サザエさんらしさがあっていいですよ。おそらく永遠に繰り返される、年をとらないサザエさんたちの一年を、時間の経過の産物である「飽きる」というアニメの外側にいながら、それでも見続ける、という。
春の暮見飽きても見るサザエさん
は、おもしろいと思いました。
半面
春行くや巫女は理学部数学科
は、「作者がおもしがっている」感じで、読者が置いてけぼり、に感じました。
堅苦しく言えば、「物語性の可否」みたいなことにもなるのでしょう。
BGMはボブ・ディランに移行。
はい10番は無罪ですw
この場合の「サザエさん」は、さっきのちびまる子ちゃんとは違って、作品世界やキャラを流用するということではなくて、番組を題材にして外から見てます。
【21 魚眼望遠鏡】は、関さん○、五十嵐さん○。2点の作品です。
ひらがなの攝津幸彦(例えば〈めきしこはしちみまみれの父である〉など)というか、あるいは、ちょっと阿部完市ぽくもあります。
いかがでしょうか?
【21 魚眼望遠鏡】は私は先週コメント済みです。
関さんのコメントを再録すると、
【21 魚眼望遠鏡】
非意味と児童文学的なポエジーの両方があってその比率が、例えば阿部完市に比べると後者が重くなっている分わかりやすい。
「まぼろしの鱏のうらがわ頭脳線」からの後半4句が面白かった。
尻上がりに採る句が増えるというか、まとまってくるにつれて方法意識が明確になってくる感じ。
タイトルの「魚眼望遠鏡」も凝っていて、遠い非在のものを円型の視界の真ん中に引き寄せてみせる方法の説明にもなっている。
…ということです。
じゃぁ、次は「笑点」で。
これはぼくも前回コメントしました。
以下のとおり。
【21 魚眼望遠鏡】
ひらがなを多用しながら読みにくくないことに少し感心しました。
採った句は
○めきしこはしちみまみれの父である
なぜ◎でなかったか。
技巧的な印象があったからかなぁ。
私は、平仮名で書かれた句は、平仮名で書く必要性を感じませんでした。
中では「象たおれ少年少女合唱団」これはいいです。
どこか遠くで、象が倒れた。死んだのかもしれません。一方で、少年少女合唱団は、なんのためにか(もちろん象のためではない)、一生懸命、口を開けて歌っている、その行き違う感覚が好きでした。ここに「少年少女合唱団」の本質的なものを感じると言っても過言ではなく。
【21 魚眼望遠鏡】
ぱっと見たとき、読みにくそうだなぁと思ったのですが、実際はそんなことはない。
これはなかなかできない。
【21 魚眼望遠鏡】は、
もっと作り込んだ迫力が欲しい気がします。
一般論になりますが、伝達や了解性に重きを置かないなら、そのぶんイメージやことばの練り上げへの腐心が要るように思います。
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