2024年5月13日月曜日

●月曜日の一句〔中嶋鬼谷〕相子智恵



相子智恵






汚職・邪宗・病む国に立つ黴煙  中嶋鬼谷

句集『第四楽章』(2024.2 ふらんす堂)所収

ストレートな句だ。今の日本に住んでいれば、説明は要らないだろう。あとがきから少し引こう。

〈俳句の世界は概ね平和であり、この国の社会や世界で何が起ころうが関わりを持たないことを俳人の「心得」とするような風潮がある。しかし、そうした「心得」を持った俳人達が、先の大戦中には、最も思想的で最も政治的な「日本文学報国会」に雪崩れを打って参加していったのであった〉

季語は〈黴煙〉である。季語をこういう形で働かせることを嫌がる向きもあるかもしれないが、そんな人々に対しては、上記のあとがきこそが、氏の答えだ。とはいえ、こういう句にどんな季語を選ぶかは難しい。〈黴煙〉ではなく黴が生えた状態、つまり目に見える黴を描くこともできたのだ。

しかし、黴くささと胞子の気配が満ちているものの、実際にはっきりとは目に見えない〈黴煙〉という季語の選択によって、直球の上五、中七が生きるのではないかと思った。「何となくの空気」として、もやもやと立ち上ってはいても、全貌が見えてこない気味の悪い後味が残るのである。

 

2024年5月11日土曜日

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2024年5月10日金曜日

●金曜日の川柳〔月波与生〕樋口由紀子



樋口由紀子





羽根生えるまでははんぺんらしくする

月波与生(つきなみ・よじょう)

関西人なので「はんぺん」はあまり食べない。一度おでんにはんぺんを入れたら、他の練り物を圧倒するほどの、そのあまりの場所取りの、膨れ上がり方にびっくりした。その割には味はいたって淡白。見た目よりはおとなしい食べ物だと思った。

「はんぺんらしく」だから「はんぺん」なのだろうか。それとも別のなにものかがなのか。「はんぺん」ならいつまで経っても羽根は生えないはずだが、人の見方はひとりひとり違う。ここから飛び立つためのそのときまで、飛び立とうなどとは考えていないふりをして、鍋の底におとなしく沈んでいるのだろう。たしかな独自の毒がある。『ライムライト』(2024年刊 満天の星)所収。

2024年5月9日木曜日

【新刊】小川軽舟『名句水先案内』

【新刊】
小川軽舟『名句水先案内』


2024年4月30日/KADOKAWA

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2024年5月7日火曜日

●ナイター

ナイター


運河よりナイターの灯へ蚊喰鳥  水原秋櫻子

雨もよひなるナイターの灯りけり  清崎敏郎

ナイターに見る夜の土不思議な土  山口誓子

ナイターのみんなで船にのるみたい  三宅やよい

ナイターのゆつくり落つるホームラン  前北かおる

遠空にナイター明り亀乾く  秋元不死男

除草機を押すナイターの余光負ひ  伊丹三樹彦

みんな空見てナイターの帰り道  阪西敦子〔*〕


〔*〕阪西敦子句集『金魚』2024年3月/ふらんす堂

2024年5月3日金曜日

●金曜日の川柳〔中内火星〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



桜餅それとは別にマヨネーズ  中内火星

別じゃなかったら、かなりたいへんなことになる。口の中が。

考えてみれば、桜餅とは、桜でつくった餅ではないのに(おおむね、という意味。桜の葉という衣裳部分は除いて、という意味)、季節の添え物として、華やか、かつ、かわいらしい。一方、マヨネーズがわが国において万能ドレッシングとしてすっかり定着したのは、このカタカナ語のもつ、うねうねとした語感と、チューブから絞り出すときの物理的うねうね感が、みごとに一致したから、とも言えるような気がする。

句の構造はシンプル。句意明瞭。結果、ほどよく可笑しい。

掲句は『What's』第6号(2024年4月)より。

2024年5月1日水曜日

西鶴ざんまい #59 浅沼璞


西鶴ざんまい #59
 
浅沼璞
 
 
和七賢仲間あそびの豊也  打越
 銅樋の軒わらひ捨て   前句
神鳴や世の費なる落所   付句(通算39句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
 
【付句】二ノ折、裏五句目。雑(当時、神鳴は雑。『最新俳句歳時記』では「俳句の季題」に分類)。
や=軽い間投助詞(ウラハイ = 裏「週刊俳句」: 西鶴ざんまい 番外編9 浅沼璞)。
費(つひえ)=損失    落所(おちどころ)=落雷発生地点

【句意】雷や、(よりにもよって)世の損害となる落下場所である。

【付け・転じ】打越・前句=和賢人の目線(無常観)から上層階級の贅沢(銅樋)を冷笑する付け。前句・付句=銅樋への冷笑から、そこに落ちた神鳴への嘲笑・迷惑感情へと転じた。

【自註】神のまゝにも仏のまゝにも成がたき物は、神鳴の落所ぞかし。人にかまはぬ広野(ひろの)大海(だいかい)もあるに、住家に落て軒端を崩し、植込の大木を引割き、国土の費なる物なり。人、皆、其の落ける跡を見物して、「太鼓わすれてあらぬか」、「竜の駒の爪はないか」と大笑ひせし。目に見えずして、是はおそろしき物、桑原(くはばら)/\。*
*桑原=雷除けの呪文。神鳴―桑原(類船集)。

【意訳】神の心のままにも、仏の心のままにもならないのは、落雷の発生地点である。人間と無関係な広い野原や大きな海もあるのに、人の住家に落ちて軒端を壊し、植込みの大木を引裂き、世の損害となるものだ。人はみな落雷の跡を見物して、「太鼓を置き忘れてないか」「神鳴龍の駒の爪痕はないか」と大笑いしたりするが、目に見えないから、じつは怖ろしいもの、くわばら、くわばら。

【三工程】
(前句)銅樋の軒わらひ捨て
  神鳴や太鼓わすれてござらぬか  〔見込〕
    ↓
  神鳴や目に見えずしておそろしき  〔趣向〕
    ↓
  神鳴や世の費なる落所      〔句作〕

笑いの対象を軒へ落ちた神鳴へと転じ〔見込〕、世間において神鳴はどんな存在かと問いながら、人々の本音(迷惑感情や恐怖心)へと目を向け〔趣向〕、社会インフラの損失を詠んだ〔句作〕。

 
そういえば『日本永代蔵』にも年末決算のころ、家でたった一つの釜に冬雷が落ち、それを買い替えた分だけ赤字になったっていう笑えない話がありましたね。

「そや、迷惑な話やろ」
 
『西鶴諸国ばなし』では旱魃がらみで神鳴様が出てきましたね。
 
「あれは夜這い星に戯れた神鳴様が精液を出しきって日照りになってな、困った村人が牛蒡の供物で神鳴様の精力を回復するいう話やで、おもろいやろ」
 
でも、けっきょく神鳴様は性病ぎみでオシッコが出にくくなってしまったというオチで。
 
「そや、尿が出にくいいうことは、降っても小雨いうことやで、おもろいやろ」