樋口由紀子
富士山が見える向かいの火事のあと
菊地良雄
実際の話がどうかかなり疑わしいが、どきっとする川柳である。向かいの家が火事で焼失し、前がすっぽり空いて、今まで見えなかった富士山が見えるようになった。他人に不幸のおかげで幸せをもらうみたいな、なんと不謹慎な川柳なのかと誰もが思う。
けれども、「富士山」の一語に分別を軽々と踏み込んでいく力を感じる。といっても、悪いことがあっても良いこともあるからというような人生訓ではない。均一化されている思考パターンとはあきらかに違う方向に「富士山」が誘う。よいわるいだけでけりをつけられないものがこの世にはわんさとある。みんなが一斉に走り出す発想や見つけにはまらない強さが掲句にある。
〈恋人をさがす近所の鍼灸医〉〈風刺画の隅に壊れた炊飯器〉〈へとへとになって地球から戻る〉「ふらすこてん」(第58号 2018年刊)収録。