2020年12月30日水曜日

◆2021年 新年詠 大募集

2021年 新年詠 大募集


新年詠を募集いたします。

おひとりさま 一句  (多行形式ナシ)

簡単なプロフィールを添えてください。

※プロフィールの表記・体裁は既存の「後記+プロフィール」に揃えていただけると幸いです。

投句期間 2021年11日(金)0:00~18日(金) 12:00 正午

※年の明ける前に投句するのはナシで、お願いします。

〔投句先メールアドレスは、以下のページに〕
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2007/04/blog-post_6811.html

2020年12月28日月曜日

●月曜日の一句〔マブソン青眼〕相子智恵



相子智恵







僕が僕に道を聞くなり銀河直下   マブソン青眼
Je demande à moi-même / Mon chemin à haute voix / Sous la Voie lactée

句集『遥かなるマルキーズ諸島 L'île-sirène』(2021.1 参月庵)所載

句集に挟んであったエッセイによれば、作者は2019年7月から今年の6月まで、フランス領ポリネシア・マルキーズ諸島ヒバオア島で、一人で暮らしたという。画家のゴーギャンや詩人のブレルが最晩年を過ごし、眠る島だ。そこで作られた俳句と短歌を纏めた一冊より引いた。

〈銀河直下〉の島で、たった一人の僕が僕に、これから進むべき道を問う。頭上には大きな天の川がまるで一本道のようにあって、僕の進むべき道と響きあう。なんと大きく美しく、孤独で、それでいてまったく寂しくない句だろう。

神を信じるしかない島よ崖しかない
Ô île où on est obligé / De croire en Dieu Ô île où il n'y a / Que des falaises

そんなヒバオア島で、作者は新型コロナウイルスに罹患した。病院も酸素ボンベもない島で、肺が開かないまさに絶体絶命の状況の中、仮住まいの小屋に寝たきりで籠りながらこのような句も詠み、帰国を余儀なくされる。

立小便も虹となりけりマルキーズ
Même mon urine / Devient un arc-en-ciel doré / Aux Marquises

自らの体と島が一体となるような句が多い句集だが、中でも掲句は特に好きな句のひとつ。自分の尿に小さな虹が生まれる。その虹もこの島で生まれては消える数多の虹のひとつになるのだ。上記のような極限状態に置かれることもありながら、自らの肉体と島のあれこれが絡み合うような祝祭的な気分が一冊を覆っていて、孤独なのに賑やかな句歌集である。

来年はどのような年になるのか、これほどまでに先が見えないこともめずらしい。〈僕が僕に道を聞くなり〉しかないのだろう。ひとり一人のゆく道は孤独だが、寂しくはない。落ちてきそうなほど見事な銀河の、それこそ星の数ほどの光の下ならば。

2020年12月25日金曜日

●タオル

タオル

春分の湯にすぐ沈む白タオル  飯田龍太

屈強のタオルを運ぶ潜水艦  攝津幸彦

硬きまで乾きしタオル夏日にほふ  篠原梵

あるだけのタオルを積んで夜の底  樋口由紀子〔*〕

〔*〕樋口由紀子『めるくまーる』2018年11月/ふらんす堂 ≫版元 ONLINE SHOP

2020年12月24日木曜日

【人名さん】ルイ・アームストロング

【人名さん】
ルイ・アームストロング

サッチモの鼻の穴から聖夜来る  今井 聖



掲句は今井聖句集『九月の明るい坂』(2020年9月/朔出版)より。




2020年12月23日水曜日

●北斗

北斗

夜を帰る枯野や北斗鉾立ちに  山口誓子

凍てし夜の松の中なる北斗の尾  田川飛旅子

倒れ来る北斗に春の声あげぬ  山田みづえ

暁や北斗を浸す春の潮  松瀬青々

ふらここを漕ぐに北斗の傾けリ  秦夕美〔*〕


〔*〕秦夕美句集『さよならさんかく』2020年9月/ふらんす堂 ≫版元ONLINE SHOP


2020年12月21日月曜日

●月曜日の一句〔津川絵理子〕相子智恵



相子智恵







断面のやうな貌から梟鳴く   津川絵理子

句集『夜の水平線』(2020.12 ふらんす堂)所載

梟は、全身は丸っこいのに、貌は確かにそこだけがザックリと切り落とされたかのように平面的だ。ただ平面というのではなく、何かを断ち落とした時に生まれる〈断面〉という言葉が選ばれていることにドキリとする。まるで神によって彫刻のように彫り出された梟が、最後に顔の部分をザックリと鑿で切り落とされたかのようだ。梟のまだらな羽根の色が石目のようにすら思われてくる。

〈断面〉という言葉のもつすべらかな感じを思えば、最初、梟は目を閉じていたのではないだろうか。つるんとした断面から、ふいに目と口が開き、鳴いた。断面が動き、命が動いた。

おそらく写生の句であるのだろう。しかしながらこの不思議な趣は、見たものをただそれらしく俳句に刻み付けるだけでは決して生まれない。

柱よりはみ出て蟬の片目かな

日蝕の風吹いてくる蠅叩

近づいてくる秋の蚊のわらひごゑ

濡れ砂を刺す夏蝶の口太し

日短か雀が雀ねぢ伏せて

火の中の釘燃えてゐる追儺かな

水に浮く水鉄砲の日暮かな

写生の筆致の確かさ、それだけではない。このような透徹した目で対象を見て、不思議を摑みだすことは、何よりも心が自由でなければできないのではないか。取り合わせの妙も同じである。

 

2020年12月19日土曜日

●タイプライター

タイプライター

花の雨オリベッティでFを打つ  草野早苗〔*〕

手をとめて春を惜しめりタイピスト  日野草城

洋梨とタイプライター日が昇る  髙柳克弘


〔*〕草野早苗句集『ぱららん』2020年11月/金雀枝舎



2020年12月18日金曜日

●金曜日の川柳〔堀豊次〕樋口由紀子



樋口由紀子






眼をとぢると家鴨が今日も歩いてる

堀豊次 (ほり・とよじ) 1913~2007

家鴨の歩く姿は愛嬌があり、のんびりしている。見ている方もゆったりとした気分になる。しかし、「眼をとぢると」である。ということは、眼をあけているときは家鴨の姿は見えないことになる。家鴨は眼をとじなければ見えない。

眼をあけているときは忙しくて、あるいは雑多なものが邪魔をして見ることができないのだろうか。しかし、眼をとじると今日も無事に家鴨はいつも通りに歩いているのが見える。だから、安心して、また眼をあけることができ、日常をつつがなく遣り過すことができる。眼を開けているときは現実社会、眼を閉じているときは心象風景なのだろうか。どちらも自分であることには違いない。精神の表裏のようである。

2020年12月16日水曜日

◆週俳の記事募集

週俳の記事募集


小誌「週刊俳句」は、読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っています。

長短ご随意、硬軟ご随意。

お問い合わせ・寄稿はこちらまで。

※俳句作品は現在のところ募集しておりません(記事をご寄稿ください)。

【記事例】

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

句集全体についてではなく一句に焦点をあてて書いていただく「句集『××××』の一句」でも。

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌、同人誌……。必ずしも網羅的に内容を紹介していただく必要はありません。ポイントを絞っての記事も。

そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。


紙媒体からの転載も歓迎です。
※掲載日(転載日)は、目安として、初出誌発刊から3か月以上経過。



2020年12月14日月曜日

●月曜日の一句〔草野早苗〕相子智恵



相子智恵







改札を鬼が抜けゆく師走かな   草野早苗

句集『ぱららん』(2020.11 金雀枝舎)所載

もう師走も半ばとなってしまった。テレワークをする人も多くなった今年の師走は、電車に乗る人は減ってはいるものの、私が普段利用する路線は、時差通勤をしてもまあまあ混んでいる。改札の人の流れも途切れることはない。以前が混み過ぎていたのだ。

掲句、改札を抜けてゆく〈鬼〉とは、そんな忙しい師走の日々を送る人間たちの形相の暗喩のようにも読めるけれども、〈師走かな〉があるために本物の鬼であるとも違和感なく読めて、不思議で面白い句となっている。新暦と旧暦がずれてしまって、今や節分のものとなっている「鬼やらい」はもともと年末の行事だし、最も太陽の力が弱まる冬至もあって、師走はやはり鬼の存在が近いように思われるのだ。

そもそも鬼と人間は、ほぼ同義なのではないか。改札を颯爽と抜けてゆく鬼は、大津絵の「鬼の寒念仏」のようにどこかユーモラスで、人間とも見分けがつかないのである。

 

2020年12月12日土曜日

●絵草紙

絵草紙

絵草紙に鎮おく店や春の風  高井几菫

春雨や傘さして見る絵草子屋  正岡子規

ひらがなの地獄草紙を花の昼  恩田侑布子

絵双紙をぬけでる雷のごときもの  秦夕美


秦夕美『さよならさんかく』2020年9月/ふらんす堂 ≫amazon

2020年12月11日金曜日

●金曜日の川柳〔山村裕〕樋口由紀子



樋口由紀子






胸のアフリカ見知らぬ魚の眼と出会う

山村裕 (やまむら・ゆう) 1911~2007

「胸のアフリカ」という言葉のセンスに惹かれる。そんなアフリカを見知らぬ魚の眼と出会わせている。「胸のアフリカ」で切るのではなく、「が」が省略されて叙述されているのだろう。

未開の、広大で、混沌としていて、どう形容したらいいかわからない「胸のアフリカ」。それが見知らぬ魚の眼と出会った。生まれも育ちも形も大きさもまったく違う二つが出会った。アフリカも魚もいままで実際に知る機会がなかったモノ同士だったに違いない。

偶然出会ったのか。それとも出会うべくしての出会いだったのか。そのとき、胸のアフリカはぞっくとするような生の実感がよみがえってきたはずである。魚の眼はエキゾチックで存在感があり、なんともいえぬ高揚感と緊張感をもたらしてくれたのだろう。

2020年12月10日木曜日

【名前はないけど、いる生き物】 夢の現実 宮﨑莉々香

【名前はないけど、いる生き物】
夢の現実

宮﨑莉々香

鹿と目がつながる車ガラスの窓
やがて虫だけの手ぶらの夜が来るぞ
かまきりとくちびるかたくながうつる
カンナの赤目覚めればカップヌードル
毛虫手すり手すりがごはごはの手毛虫
秋の日の眼鏡の友とわからん木
秋の眼の夢の植物園の羊歯
今日までの羊歯の向かうのさやうなら
来世なるなら羊歯がいい足首でもいい
木の実降る九時ごろのどつかにも降る
干されての洋服柚の木は黄色
空に頭をひつぱられるコスモス畑


2020年12月9日水曜日

【俳誌拝読】『トイ』第3号

【俳誌拝読】
『トイ』第3号(2020年12月1日)


A5判・本文16頁。以下、同人諸氏作品より。

ハツユキと言葉にだして一人寝る  池田澄子

その日からアリスの横に野茂英雄  樋口由紀子

夕花野風の毀れてゐたるなり  干場達矢

野分立つ朝や遠くに住むひとを  青木空知

(西原天気・記)



2020年12月8日火曜日

●神様

神様


修奈羅峠のお金の神様肩まで雪  小澤實

冷房の神様が居て頭痛かな  瀬戸正洋〔*〕

蟷螂やいぼ神様の腹具合  二村典子

カミサマはヤマダジツコと名乗られた  江口ちかる


〔*〕瀬戸正洋句集『亀の失踪』2020年9月/新潮社 ≫amazon

2020年12月7日月曜日

●月曜日の一句〔神野紗希〕相子智恵



相子智恵







もう泣かない電気毛布は裏切らない   神野紗希

句集『すみれそよぐ』(2020.11 朔出版)所載

作者のエッセイ集の題名にもなっており、口誦性に富んでいて一発で覚えた好きな句。泣きながら過ごす眠れぬ夜、ひとしきりウジウジと悩んで泣いた後、電気毛布の安定した温かさにくるまれると気持ちもほぐれ、〈もう泣かない〉と、きっぱりと決意したのだ。

〈電気毛布は裏切らない〉とは、なるほどなあと思う。寒い夜、普通の毛布は、入った瞬間はまだ冷たい。自分の体温と混ざり合ってようやくぬくぬくと温かくなってくるものだ。ところが電気毛布は、眠る前に温めておけば布団に入った瞬間から温かい。そしてその温かさはいつも一定で、人の体温や環境によって左右されることもない。まさにいつでもどこでも〈裏切らない〉のだ。

〈電気毛布は裏切らない〉の裏側には、裏切ったり裏切られたりする人間関係特有のままならなさがあって、人間相手だから、電気毛布よりも温かい気持ちになる感動的な瞬間もあれば、一方で氷のように冷える瞬間もあるのは当然だ。こうした生の感情や関係の波とは真逆の、予想通りで、いつでも一定で、自分を絶対に裏切らない象徴である〈電気毛布〉。

〈もう泣かない〉のきっぱりとした宣言は、泣くことによるカタルシスを経てスッキリした気分もあるにはあるのだけれど、一方で「泣く」という自然な感情を理性で閉じ込めて、自分が「電気毛布化」することを決意する態度でもあるのだから、究極はやっぱり自分の感情を殺すことになってしまうだろう。これは自己暗示のような強がりであって、それでもなお、泣いてしまうのが人間である。まあ、泣いたらまた電気毛布に癒されればよいのだ。電気毛布とは、なんとまあ偉大な発明であることよ。

 

2020年12月6日日曜日

◆週俳の記事募集

週俳の記事募集


小誌「週刊俳句」は、読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っています。

長短ご随意、硬軟ご随意。

お問い合わせ・寄稿はこちらまで。

※俳句作品は現在のところ募集しておりません(記事をご寄稿ください)。

【記事例】

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

句集全体についてではなく一句に焦点をあてて書いていただく「句集『××××』の一句」でも。

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌、同人誌……。必ずしも網羅的に内容を紹介していただく必要はありません。ポイントを絞っての記事も。

そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。


紙媒体からの転載も歓迎です。
※掲載日(転載日)は、目安として、初出誌発刊から3か月以上経過。



【俳誌拝読】 『猫街』第2号

【俳誌拝読】
『猫街』第2号(2020年10月)


A5判・本文26頁。発行人・三宅やよい。

以下、同人諸氏作品より。

とみさんのおはぎせきはんわすられず  今泉秀隆

遠泳のうなじばかりが見えている  近江文代

秋の浜アンモナイトの身の部分  沈脱

去年今年袋の中は麿赤兒  ねじめ正一

ががんぼと出会ってからのプロボーラー  藤田俊

蠅が棲むうすくらがりの電子辞書  三宅やよい

風という重さがあって花芒  諸星千綾

死ぬまでに千の歯ブラシ愛鳥日  山崎垂

梅干を見るとうんこのでる法則  芳野ヒロユキ

気絶してチェリーブラッサムひとひら  きゅうこ

かたつむりつむじの渦に囲まれて  静誠司

また明日セロリになってもう寝ます  赤石忍

(西原天気・記)



2020年12月5日土曜日

【俳誌拝読】『滸(ほとり)』第2号

【俳誌拝読】
『滸(ほとり)』第2号(2020年11月23日)


A5判・本文56頁。詩、短歌、俳句の作品と論評を掲載する同人誌。俳句に引き寄せると、特集のひとつで安里琉太『式日』を取り上げる(安里は同誌同人)。西村麒麟による抄出、生駒大祐、酢橘とおる(同誌同人)、福田若之3氏による句集レビューより成る。


(西原天気・記)



2020年12月4日金曜日

●金曜日の川柳〔根岸川柳〕樋口由紀子



樋口由紀子






窓、しばらく鼻を遊ばせる

根岸川柳 (ねぎし・せんりゅう) 1888~1977

「鼻を遊ばせる」とはまるで犬を原っぱで遊ばせている飼い主のようである。たぶん、同じような心境なのだろう。車窓か、ショウウィンドウか、ぼんやりと映る顔を見ていて、遊び心が湧いてきて、鼻をぴくぴく動かしたのだろう。

鼻は紛れもなく自分の鼻で、自分の意志で動かしているのだが、窓にうっすらと映る顔は自分のものであっても、自分ではないようで、つい気を許して、いろんなポーズをしてしまう。特に鼻は最も油断できる、安心のパーツである。普段決して人には見せないような顔をあれこれとしている。その様子を思い浮かべると可笑しくなる。作者は眼光の鋭い、かなり気難しい人だったらしいが、茶目っ気のある、照れ屋さんだったのだ。「窓、」の表記は当時としはかなり斬新で、窓に敬意を払っているように感じる。『考える葦』(1959年刊)所収。

2020年12月2日水曜日

【評判録】生駒大祐『水界園丁』

【評判録】
生駒大祐『水界園丁』(2019年7月9日/港の人)


≫東郷雄二 枯蓮を手に誰か来る水世界 生駒大祐『水界園丁』

≫西村麒麟 生駒大祐句集『水界園丁』

≫伊舎堂仁 生駒大祐「水界園丁」を読む

≫田中槐 『水界園丁』と連句の話

≫三島ゆかり 『水界園丁』を読む ほか

≫第11回 田中裕明賞 関連

≫上田信治 プレテキストと複雑 生駒大祐『水界園丁』の方法について(前編)

≫上田信治 死と友情 生駒大祐『水界園丁』の方法について(後編)

≫西原天気 生駒大祐の行方 句集『水界園丁』の一句

≫『水界園丁』(生駒大祐)の造本解説:佐藤りえ氏(歌人・俳人・造本作家)による



2020年12月1日火曜日

【俳誌拝読】『鷹』2020年12月号

【俳誌拝読】
『鷹』2020年12月号


A5判・本文118頁。通巻676号。

主宰詠より。

長き夜のメイド喫茶のオムライス  小川軽舟

俳句時評として柏木健介「俳句の新しさ 田中裕明賞を読む」。

主宰インタビューでは、7頁にわたって同人・会員の質問に答える。冒頭、「鷹・馬酔木系以外で好きな俳人は?」の問いに川端茅舎との回答、以降、地名等固有名詞の扱い、口語俳句の未来、句集を出す意味……等々、カジュアルな問答が続く。

(西原天気・記)