2018年2月28日水曜日

【新刊】文庫版『あら、もう102歳: 俳人 金原まさ子の、ふしぎでゆかいな生き方』

【新刊】
文庫版『あら、もう102歳: 俳人 金原まさ子の、ふしぎでゆかいな生き方』

2018年2月27日火曜日

〔ためしがき〕 電話にあてがわれたメモ・パッド9 福田若之・編

〔ためしがき〕
電話にあてがわれたメモ・パッド9

福田若之・編


ここでは「流暢な日本語」で「奉天‐福岡間」の開通式の祝辞が述べられたという点が、電話というメディアの性格を考える上で重要である。電話は発話による同時的なメッセージを耳元で交換するため、通訳が介在する余地がない。「流暢な日本語」で満州‐日本間で会話のやりとりがなされたことは、日本人にとって満州が声によって「つながる場所」にあり、かつ、日本語が利用される影響圏にあることを認識させただろう。しかも、対話相手は本来の母語ではないはずの日本語を利用しているのである。
(白戸健一郎『満州電信電話株式会社――そのメディア史的研究』、創元社、2016年、154頁)



手紙を書くというささやかな満足さえ、われわれには与えられていなかった。事実、一方で、この町はもう通常の交通手段では国内の他の部分と連絡できなくなっていたが、さらにまた、あらたな布告によって、手紙が病毒の媒介となることを防ぐために、いっさいの信書の交換を禁止されてしまったのである。初めのころは、特権的な地位にある二、三の人々は、市の出口で衛兵所の歩哨を抱きこんで、外部への音信を通させてもらうことができた。それもしかし、病疫の初期の、衛兵たちも同情の衝動に負けてしまうことを自然なことと心得ていた時期だけのことであった。しかし、しばらく時がたって、同じ衛兵たちが事態の重大さを十分のみこんでしまうと、その結果がどこまで及ぶか予想もできない、そういう責任をとることを拒むようになった。初め許されていた市外電話も、そのため公衆電話と回線の非常な混雑を引起すに至って、数日間全面的に停止され、次いで、死亡、出生、結婚というような、いわゆる緊急な場合だけに厳重に制限されることになった。そこで、電報がわれわれに残された唯一の手段であった。
(アルベール・カミュ『ペスト』、宮崎嶺雄訳、新潮社、1969年、79-80頁)



国際通話の接続が最近まで交換手によって処理されていたのは、電話料金の振り分けといった技術的な問題もさることながら、既存設備のきりかえに要する莫大な費用にかんがみての判断である。電話番号案内や各種電報のとりつぎがいまだ交換手によるのは、技術水準の限界に規定されてのためといえる。
 交換システムの改式には、右ふたつの問題のいずれか、あるいは両者同時の克服が必須となる。このことを念頭において、いまいちど確認しておこう。通話交換システムにおいて交換手とはいったいどのような存在であったのか?
 単刀直入にいうと、それはじつに矛盾した存在だった。すなわち、手動交換システムにおいて二者間の通話にかかすことのできない中継者たる機能をになうが、同時に確実で迅速な通信の完了という電話の使命達成にたいする障害ともなりうる。交換手はみずからが意識するとしないとにかかわらず、通話そのものを遅らせたり、ときには顧客のプライバシーにさえも干渉した。
(松田裕之『電話時代を拓いた女たち――交換手のアメリカ史』、日本経済評論社、1998年、229-230頁。ただし、ルビは煩雑になるため省略した)


今や電話は家庭に一台どころか、携帯電話の普及により一人に一台という時代になっている。しかし、戦後の電話事情は、電話を引きたくても設備が追いつかず、架設までに長い時間待たされた。その積滞の解消と全国ダイヤル即時通話の実現が戦後の電話事業の大きな課題であった。それらが実現したのは、一九七〇年代に入ってからで、全国即時通話が実現したのは一九七九(昭和五四)年のことであった。
(星名定雄『情報と通信の文化史』、法政大学出版局、2006年、414頁)

2018/1/6

2018年2月26日月曜日

●月曜日の一句〔鈴木章和〕相子智恵



相子智恵






柳絮とぶ山河やにはにふりきつて  鈴木章和

「春の暮」(「俳壇」2018.3月号 本阿弥書店)所収

一読、みるみる上空へと飛んでいく柳絮が、下界を見下ろしているかのような視点を感じた。現代的に言えばドローンになって撮影をしているような気持ちと言ったらよいだろうか。それは〈山河〉という言葉の大きさが航空写真のような視点をくれるからだろう。上田五千石の〈渡り鳥みるみるわれの小さくなり〉ほどの分かりやすさではないのだが、同じような感覚を呼び覚ます。

〈やにはに〉でパッと舞い上がる柳絮の勢いや、その一瞬が強く印象付けられる。さらに〈ふりきって〉からは、写生対象である柳絮と自分が同一視されているような強い意志のようなものさえ感じる。写生からさらに違う次元に開けたような句だと思った。

2018年2月25日日曜日

〔週末俳句〕白猫がにゃあと 西原天気

〔週末俳句〕
白猫がにゃあと

西原天気


著名人の訃報が相次ぎました。金子兜太(2月20日逝去)、大杉漣(2月21日逝去)、左とん平(2月24日逝去)。

金子兜太は句集『両神』(1995年)、ライブ感溢れるこの句集を当時とても好いていたことを思い出します。

 白猫にやーと鳴けば厠の僧驚く  兜太

大杉漣はテレビ東京『バイプレイヤーズ~もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら』を楽しみに観ていたので驚きました(同番組ロケ中の変調だそうです)。

左とん平は、名曲「ヘイ・ユウ・ブルース」(1973年)を貼っておきます。



 世の中、擂り鉢だよ、人生は擂り粉木なんだよ♪(作詞郷伍郎)

じつに。

それにしてもバックトラックが素晴らしい。



追悼に水を差すようですが、大作家が亡くなると、かならず「巨星堕つ」とか言っちゃう媒体や人。新人の登場には「彗星のごとく現れ」(彗星のごとく消えるとはなぜか言わない)。紋切り型はしかたないとしても、これが口をついて出る媒体/人は、誰かなにかの表現について「陳腐」とか「使い古された」とか評したりしないことです。「どの口が言ってるのか」になっちゃいますから。



このところよく目にする若者ことば(?)が「エモい」。エモーショナル(感情的)というだけでなく、なんらかのニュアンスが加わったっぽい。よく理解できないままに、そういえば、『オルガン』第12号(2018年2月3日)の「対談・外山一機×福田若之」は、エモい対話だなあ、と思いました。

両氏とも評論等、示唆的ではあるが、あまりに迂遠(迂遠の質は違いますが)との印象を抱くことが多い。この対談も、対象/テーマの周りを腕組みしたままぐるぐる歩き続けるかんじで、ちょっといらいらする。そこに魅力的なものがあるなら飛びかかって、押し倒せばいいのに(エモいならぬエロい喩えです、オッサン臭くてすみません)、魅力的でないなら無視すればいいのに、語って有意義なのかそうじゃないのか判然としないテーマを前に、1メートル離れた円周を腕組みしたままぐるぐるぐるぐる。

ただ、このとき感じてしまう距離、持ってまわった感じは、彼らの知性というより、「エモさ」が作り出す距離や態度なのではないかと思い始めました。

福田若之をエモいというのはわかるにしても(『自生地』はエモい句集です)、外山一機はどうなのか?と訝る向きもございましょうが、外山の批評の根源(ラディカル)性は、とてもエモいと思っています。

まあ、これはもっとていねいに論じるべきで、片言ではいけないのですが、許してちょんまげ(昭和的にお茶を濁す)。



本日はこれから句会。梅を観に行きます。

 二もとの梅に遅速を愛す哉  蕪村

それではみなさま、健やかにお過ごしください。

2018年2月23日金曜日

●金曜日の川柳〔海地大破〕樋口由紀子



樋口由紀子






父の部屋に父の平均台がある

海地大破 (うみじ・たいは) 1936~2017

昨年は私が影響を受けた川柳人がつぎつぎと亡くなった。海地大破もその一人である。ハスキーな声と含羞のある笑顔が思い出される。

一般家庭には平均台はない。まして、父専用の平均台が部屋に置いてあることはない。しかし、掲句を読んで、父が自分の部屋で黙々と平均台を歩いている姿は決して意外でもなく、まして怪ではなく想像できた。

他人には決して見せない父の姿が平均台の上にある。バランスを取りながら、無心に平均台をゆく。落ちても、ふたたび上がり、また落ちる。可笑しくもあり、せつなく、哀しい。父というものを象徴している。作者はそのような父であったのだろう。〈満月の猫はひらりとあの世まで〉〈喪の家のうろこを捨てるドラム罐〉

2018年2月22日木曜日

●木曜日の談林〔松尾芭蕉〕黒岩徳将



黒岩徳将







門松やおもへば一夜三十年 芭蕉

わかりやすい句である。門松を見て、年が明けたことを感じる。「一夜のうちに(あっというまに)三十年が過ぎたかのように感じることだ」ぐらいだろうか。

「一夜三十年」は元ネタがある。謡曲の「大江山」に「一夜に三十余丈の楠になつて奇瑞を見せし処に」という一節だ。(「大江山」は、源頼光が酒呑童子という鬼を退治するために山伏に変装して四天王などの家来と大江山に分け入る物語である)「一夜」「三十」を借りて、「年」はオリジナル。この年(延宝5年)、芭蕉は34歳で、この俳諧宗匠として立机した。自分の人生をしみじみと振り返っている。

インターネットでこの句を検索すると、個人のブログで引用しているものがいくつか見られる。社会人には染みるものがあるのだろう。ただ、そのときに感動しているのは「おもへば一夜三十年」であり、季語「門松」の効果に対して言及しているものは見られなかった。(俳句愛好家でないなら当たり前かもしれないが)。この句は、人間の人生に哀愁を持たせる為の装置としては機能しているのだろうが、時空を越えた俳句的価値は、それほどないのかもしれない。私は来年の正月に、門松を見てこの句を思い出すだろうか……。

2018年2月20日火曜日

〔ためしがき〕 電話にあてがわれたメモ・パッド8 福田若之・編

〔ためしがき〕
電話にあてがわれたメモ・パッド8

福田若之・編


今日、普請道楽の人が純日本風の家屋を建てゝ住まはうとすると、電気や瓦斯や水道等の取附け方に苦心を払ひ、何とかしてそれらの施設が日本座敷と調和するやうに工夫を凝らす風があるのは、自分で家を建てた経験のない者でも、待合料理屋旅館等の座敷へ這入つてみれば常に気が付くことであらう。独りよがりの茶人などが科学文明の恩沢を度外視して、辺鄙な田舎にでも草庵を営むなら格別、苟くも相当の家族を擁して都会に住居する以上、いくら日本風にするからと云つて、近代生活に必要な煖房や照明や衛生の設備を斥ける訳には行かない。で、凝り性の人は電話一つ取り附けるにも頭を悩まして、梯子段の裏とか、廊下の隅とか、出来るだけ目障りにならない場所に持つて行く。
(谷崎潤一郎「陰翳礼讃」、『谷崎潤一郎全集』、第17巻、中央公論新社、2015年、183頁)



電話のベルを発明したのは誰だろう? 音楽家でないことはまず確かだ。電話のベルという名称は、その発明者の名前をへたにしゃれただけのものだろうか? あるいは電話はあのようにずうずうしい装置だから、その音も耳障りなものがよいということかもしれないが、ともかくこの問題についてはより一層の考慮が必要である。いずれにしてもわれわれが毎日、十回や二十回、この電話の音で気をそらされなければならないのなら、どうしてそれをもっと気持ちのよい音にしないのだろう?
(R.マリー・シェーファー『世界の調律――サウンドスケープとは何か』、鳥越けい子ほか訳、平凡社、2006年、485頁)




 土産屋にも煙草はあるが、アーミテジやリヴィエラと口をきくのは、ぞっとしない。ロビーを出たら、自動販売機のありかがわかった。幅の狭い窪みの、ずらりと並んだ公衆電話の奥にある。
 ポケットいっぱいのリラ貨を探って、小さな鈍色の合金コインを次々にスロットにほうりこむ。この時代錯誤の手順がなんとなく面白い。いちばん近くの電話が鳴りだした。
 無意識に、それをとりあげる。
「もしもし」
 かすかな調音、どこかの軌道リンクをわたる小さな聞き取れない声、やがて風のような音。
「やあ、ケイス」
 五十リラのコインがケイスの手から落ち、一度弾んでから転がって、ヒルトンのカーペットのどこかに見えなくなった。
「冬寂だよ、ケイス。話しあう時分だろ」
 素子の声だ。
「話したくないのかい、ケイス」
 ケイスは電話を切った。
 煙草が念頭から去って、ロビーに戻る途中、ケイスは一列に並んだ電話の前を歩かなくてはならなかった。各電話機が、ケイスが通るたびに、一度だけ鳴った。
(ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』、黒丸尚訳、早川書房、1986年、163-164頁。原文では「調音」に「ハーモニクス」、「冬寂」に「ウインターミュート」、「素子」に「チップ」とルビ)

2018/1/6

2018年2月19日月曜日

●月曜日の一句〔岩淵喜代子〕相子智恵



相子智恵






伸びるだけのび啓蟄の象の鼻  岩淵喜代子

句集『穀象』(ふらんす堂 2017.11)所収

象の長い鼻はつくづく不思議な進化だと思う(もちろん象から見たら人間だって不思議な進化だろうが)。〈伸びるだけのび〉は、今現在、目の前にいる象が伸ばしきっている鼻のことを詠みながらも、そのような長い進化の過程をも思わせる。

地中の虫がみな動き出して外に出てくる頃という「啓蟄」という季語が〈象の鼻〉の前にいきなり挿入されることで、鼻は象に寄生し、意志をもって伸びていった別の生き物のようにも感じられてくるのが面白い。鼻の意志が、鼻を伸ばせるだけのばしたのだ。そんな不思議な味わいが、啓蟄という季語によって生まれているように思う。

2018年2月18日日曜日

〔週末俳句〕キャッスルウォーク 岡田由季

〔週末俳句〕
キャッスルウォーク

岡田由季


参加しているネット句会の投句の締め切りが、週末に重なるので、土曜日は、まとまった句数の俳句を作ることになります。今週は、それに加えて日曜のリアル句会に持って行く句も必要。

お題が出て、締め切りに追われて、作る。創作の態度として、いかがなものかと思いますが、私の場合、天から俳句が降ってきたりしませんから、そのように自分を追い詰めないといけないのです。

家で考えてばかりいても煮詰まってしまうので、気分転換と、句材を拾いに、出かけることにしました。4月に吟行を企画しているので、下見も兼ねて岸和田城へ。

電車に乗るのは、ほんの10分の上、俳句も考えなくてはならないので、出先で本を読む時間が無いのはわかっているのですが、なんとなく、読むものは持って行きたい。そんな時、句誌は便利です。薄くて軽い。手近にあった
『晴』を鞄に入れました。1月に創刊された川柳誌です。

岸和田城の天守閣に上るのは10年以上ぶり。昭和に再建されたコンクリートの城ですが、細かなことは気にしない。堀にキンクロハジロとホシハジロがいました。二の丸には、以前猿が飼われていたのです。あの猿はどこへ行ってしまったのか・・。






岸和田を散策すると、最後はスターバックスコーヒーに寄るのが習慣となっていました。海が見えるスタバ、景色が気に入っていたのです。ところが、商業施設ごと改装工事に入ってしまい、あまりに長く改装中が続いているので、いつの日か
本当に、リニューアルオープンされることがあるのか、心配しているところです。

結局、『晴』も開かず、句もたいして作れずに、ただただ歩き回って帰宅しました。タブレットの万歩計アプリを見ると、一万九千歩、歩いたことになっています。

柳誌『晴』の編集発行人は樋口由紀子。最初に樋口さんの川柳を読んだときには、俳句に近いと感じて、その後、いやいや、川柳は全然違うんだ、と思いなおしたり。『晴』創刊号には、こんな句が。

爺さんの帽子明日へまっしぐら  松永千秋

風の強い中を歩き回った、今日の気分に合っています。

ところで、『晴』の表紙絵を描いているのは、野口毅さん。昨年末、句集『のほほんと』を上梓された野口裕さんの、御子息です。『のほほんと』の表紙のゴリラも毅さん画。






何回か、野口毅展を見に行ったことがあります。その印象で言うと、『晴』の表紙絵の方が、ぱっと見て、すぐに毅さんの絵だとわかる感じ。

俳句に関しては、当たり前のことを言わない野口裕さんですが、息子さんの話題になると、当たり前のお父さんの表情になることは、ここだけの話です。



2018年2月16日金曜日

●金曜日の川柳〔二村典子〕樋口由紀子



樋口由紀子






百メートル道路に平行しへんけい

二村典子

「平行しへんけい」の字面に停止した。「平行四辺形」と書くのがフツウなのに、視覚的効果抜群である。違う表情が見えたような気がした。「平行四辺形」は無理矢理押えられて歪んでいるみたいで、それでいて相対する辺は律儀にもそれぞれ互いに平行を保っている。以前からへんな形だと思っていた。

名古屋の二本と広島の一本が知られている戦災復興の都市計画に基づいて建設された「百メートル道路」に時空を超えて、そんな「平行しへんけい」がずっと横たわっているのか。あるいは「百メートル道路に平行し、へんけい(変形)」と読み、「百メートル道路」の歴史的意味合いをひっかけて、ゆがみを表出しているか。読みは広がっていく。〈土星は水に浮かばないない〉<一体全体ほうれんそうゆでたてで〉<かきつばた角と隅とがかきづらい〉 どの句も抒情は置き去りにしていて、かっこいい。「川柳ねじまき#4」(2018年刊)収録。

2018年2月14日水曜日

●タクシー

タクシー

タクシーのぬくき充満双子の歌  和田悟朗

タクシーの無線飛び交ふ花火の夜  大島民郎

心の隙に夜霧のタクシー近寄り来  岸田稚魚

人日やタクシードライバーの背中  瀬戸正洋〔*〕


〔*〕瀬戸正洋句集『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』(2016年10月/邑書林)

2018年2月13日火曜日

〔ためしがき〕 電話にあてがわれたメモ・パッド7 福田若之・編

〔ためしがき〕
電話にあてがわれたメモ・パッド7

福田若之・編


電話や、携帯電話というもっとも新しいその化身は、人類の歴史の中で他に類を見ない特有の位置を占めている。自動車と飛行機が馬車や鳥によって予示されたように、適切なテクノロジーが見つかれば、次に待ち受けるものが何であるのか、人々は少なくとも熟知していたのである。それに対して、動物の世界の中に、電話によって授けられるパワーを人々が予想することができるものは存在しなかった。人間の想像の歴史の中で、遠距離でのリアルタイム相互作用のオーラル・コミュニケーションのパワーは、最も神聖な存在でさえ不可能であると考えられてきたほど偉大なパワーであった。ギリシャ神話の神々の王であるゼウスとパンテオンの神々は、メッセンジャー・ボーイであるマーキュリーに頼らなければならなかった。今日、かなり多くのメッセンジャー・ボーイたちが、自分の携帯電話を持っているのである。
(ジェームズ・E・カッツ、マーク・A・オークス「序論――議論の枠組み」、ジェームズ・E・カッツ、マーク・A・オークス編『絶え間なき交信の時代』、立川敬二監修、富田英典監訳、NTT出版、2003年、4頁)



世界最長寿者のジャンヌ・カルマンが、この一二〇年ほどの間にいちばん驚いた技術上の出来事は何かと訊ねられた時、彼女はためらうことなく「映画でも飛行機でもないわ。電話よ」と答えた。あらゆる発明の中で電話が最も驚くべきものであったのは、それが最も超自然的なものであるからだ。映画は、写真や万華鏡の延長線上にあった。飛行機は、凧や鳥の飛行を観察することから生まれた。しかし、目の前にいない数十キロ先の人間の声を聞くこと、距離を隔てた場所にいる人にそこにいない自分が言葉を伝え会話をすること、そして話相手から自分の肉体が見えなくなり自分の肉体を消滅させること、こういったことはここ一〇〇年ほどの時代が経験した、日常生活とは全く違う性質のものだった。
(ポール・ヴィリリオ『情報エネルギー化社会――現実空間の解体と速度が作り出す空間』、土屋進訳、新評論、2002年、88頁。太字は原文では傍点)



一八八〇年代から一九二〇年代までの電話セールスマンは、住宅用電話では緊急時の有用性をこそ勧めていた。今やその機能は自明のこととみなされている。彼らはまた、電話は買物にも役に立つと主張した。この機能も残ってはいるが(「あなたの指でお散歩を」という広告)、住宅電話加入者にはあまり重要な機能とはならなかった。明らかに社交性こそが、今日の電話利用法の主流となった。電話の歴史で最初の半世紀というもの、業界はこれを無視あるいは敵視してきた。
(クロードSフィッシャー『電話するアメリカ――テレフォンネットワークの社会史』、吉見俊哉ほか訳、NTT出版、2000年、112頁)



眠る肉体やシャーマンの体験をとおして、人類はすでに電話の発明を予知していたのだ。目覚めている肉体のままに体験される、テレプレゼンス現象。その神秘は、ぼくたちの机の上に、なにげなく放置されてある。電話はぼくたちの時代における、もっとも謎にみちた発明品なのだ。
(中沢新一「テレプレゼンス――電話・夢・霊媒」、中沢新一『幸福の無数の断片』、河出書房新社、1992年、77頁)



ぼくには電話友達がいる。電話の関係がもう6年も続いている。ぼくはマンハッタンの上の方で彼女は下の方に住んでいる。うまい組み合わせだ。朝相手の口臭を嗅がずに、幸せな夫婦みたいに朝食は一緒。ぼくは台所でイングリッシュマフィンを狐色のカリカリに焼き、マーマレードをのせ、ペパーミントティーを入れる。彼女はコーヒーショップに電話注文してミルク入りコーヒーと丸パンをトーストしたのに蜂蜜とバターをつけてもって来てくれるのを待っている。ミルク多め、蜂蜜とバターはたっぷり、丸パンはゴマがいっぱいついてるのよと念を押す。ぼくたちは朝のきれいな時間、受話器を頭と肩のあいだにのせて喋って過ごし、そのまま放っておいてもいいし、切ってもいい。子供はないし、延長コードだけを気にかけていればいい。ぼくたちは理解し合っている。彼女はホッチキス狂のおかまと12年前に結婚して別居し、早く時効になればいいのにと勝手に思ってるらしいが、訊いてくる人には土砂崩れで死んだわと言っている。
(アンディ・ウォーホル『ぼくの哲学』、落石八月月訳、新潮社、1998年、66-67頁)



「きみがイくのを聞いたら、ぼくもすぐにイッちゃったよ」と彼は言った。
「ヒュウ! どれくらい話したかしら?」
「何時間もだよ、きっと」
「何時間も何時間もよ」彼女は言った。「もう口の中がカラカラ。イきすぎたせいね」
「声がかれた?」
「ほんとに。ふう! これで明日も仮病つかわなくちゃ。そして一日じゅう眠るの。ウーン、気持ちよさそう。ねえ、電話の雑音がすごく大きくなったと思わない? 心がなごむ、いつもの音。電話の終わりぎわにはいつも、この音が大きくなるような気がするわ」
「ああ、もう終わりなのかな?」彼は言った。「このままずっとしゃべりつづけて、フェイドアウトできたらいいのに。一生ぶんの貯金をこれに使えたら、こんなに素敵な使い道はないのにな。もちろん、そんなに貯蓄能力があるわけじゃないけれど」
「でも、電話能力は最高よ」
「きみこそ! いや、真面目な話、今日のは、ぼくが今までにした会話のベスト3に入るよ、きっと」
(ニコルソン・ベイカー『もしもし』、岸本佐知子訳、白水社、1996年、176頁)

2018/1/6

2018年2月12日月曜日

●月曜日の一句〔武藤紀子〕相子智恵



相子智恵






万太郎の寒の蜆のやうな文字  武藤紀子

シリーズ自句自解2 ベスト100『武藤紀子』(ふらんす堂 2018.01)所収

なるほどと笑ってしまった。たしかに久保田万太郎の、小さくて丸っこい点々とした文字は蜆みたいだ。

自解によれば、桑名の料亭「船津屋」の句碑を見ての作だという。万太郎は泉鏡花の『歌行燈』の戯曲化の構想を練るためにこの料亭を訪れた。

どこにも切れがなく、ずるずるっと流れて〈文字〉に着地する表現も内容にふさわしい。また、これがただの蜆でもいいかというと、やっぱり寒蜆がいいような気がする。それはなぜだろうと考えるに、栄養価が高い云々ということよりは、まとっている情緒による。ただの蜆だと面白みが勝ってしまうように思うのである。

2018年2月11日日曜日

〔週末俳句〕ほら、好きなものリストとか 西原天気

〔週末俳句〕
ほら、好きなものリストとか

西原天気


パソコンで俳句を作らない、つまり手で書く。こう決めているのは、タイピングだと「作業」みたいだから。それと、字を書くのが嫌いではないから。

書くという動作・行為は、そぞろ感があって、いいじゃないですか。もちろん集中はするのですが、それと同時に、蛇行や道草がある。まっしぐらに書くことは、そんなにない。




これはカート・コバーン(1967 - 1994)がリストを書いているところ。集中とそぞろ感の両方が伝わってくる。この写真、ほんとうに良い、というか、深く愛してしまう。

で、この写真を見て、思いついたのですが、「好きなもの」リストみたいな調子で、俳句がつくれると、きっと愉しいにちがいない(むりやり俳句へと話題を戻す)。



俳句を読むのは、音楽を聞くのと似ています。といっても、みなさんが想像するタイプの相似と、私がこれから言うのとは、きっと違います。

つまりですね、曲をアルバムで聴く。これは句集で句を読む感じ。

そうじゃない曲の聴き方もある。ラジオから流れてきたり、なにかのコンピレーションアルバムだったり、iPodのランダム再生だったり。俳句も、句集から切り離されて、単独に、あるいはアンソロジーで。

どちらも楽しめます。どっちかじゃなきゃダメということはない。

なので、そのへんにあったレジュメから、

 日月や走鳥類の淋しさに  三橋敏雄

という句が目に飛び込んできたりもするわけです。



日曜日0時更新の『週刊俳句』、個人的にはいつもなんらかに積み残しが出ます。きょうの号には、句集レビュー2本(うち1本は転載)を寄稿しましたが、ほかにも間に合わせたかったものがいくつかあります。頭の中で何割か出来上がっていた西村麒麟『鴨』レビューほか。

ちなみに、散文は手で書きません。最初からタイピングです。ただ、句の抜き書きは手なので、手とパソコン、どちらも使うのが句集レビューです。



みなさま、すこやかにお過ごしください。



2018年2月10日土曜日

◆週俳の記事募集

週俳の記事募集


小誌「週刊俳句は、読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っています。

長短ご随意、硬軟ご随意。

お問い合わせ・寄稿はこちらまで。


※俳句作品以外をご寄稿ください(投句は受け付けておりません)。

【記事例】

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

句集全体についてではなく一句に焦点をあてて書いていただく「句集『××××』の一句」でも。

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌、同人誌……。必ずしも網羅的に内容を紹介していただく必要はありません。ポイントを絞っての記事も。


そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。


紙媒体からの転載も歓迎です。

※掲載日(転載日)は、目安として、初出誌発刊から3か月以上経過。

2018年2月9日金曜日

●金曜日の川柳〔守田啓子〕樋口由紀子



樋口由紀子






座布団を頭にのせて待っている

守田啓子 (もりた・けいこ) 1961~

その姿を想像して吹きだしてしまった。なぜそんな恰好をして待っているのか。何か理由がありそうな気もするが、待つ以外に何もすることがないから、なにも手につかないから、ただそうしているだけのような気がする。誰を待っているのか。きっととても会いたい人に違いない。約束の時間はまだまだ先なのに、そのずっと以前から、早く来い、まだ来ないのかといらいらしている。いらいらしているだけならまだいいが、あろうことか、頭には座布団をのせている。

ユーモアのあるおおらかな川柳で人物が滑稽に浮かびあがる。待たれていた人もその姿を見て、びっくりするだろう。帰ってしまうかもしれない。人間って、おかしいし、面白いし、かわいい。川柳「杜人」(2017年刊)収録。

2018年2月8日木曜日

●木曜日の談林〔井原西鶴〕浅沼璞



浅沼璞







皺箱や春しり㒵に明けまいもの 西鶴

『犬の尾』(天和2年・1682)

言うまでもなく「春」は旧暦の新春。前に書いたように、当時の年齢は数え年で、元旦はみんなの誕生日。とはいえ人生50年という時代、41歳を過ぎればハッピーバースデイトゥーユーってわけにはいかない(この年、西鶴も41歳)。

皺箱(しわばこ)とは、皺のよった紙とか皮とかをはった小箱で、浦島伝説の玉手箱のイメージにひっかけてある。だから「年が明けてまた老いる」ってのと「玉手箱を開けて皺だらけになる」ってのが「明け」「開け」と重なる。知ったかぶりのドヤ顔で玉手箱をあけた浦島を、すでに皺のよった西鶴がおちょくってる感じだ。あけなきゃいいものを、年の瀬も皺箱も……。

そーいえば談林期の芭蕉にも〈年は人にとらせていつも若夷〉って句があった。これは夷(恵比須)さまをおちょくってる。やるね、芭蕉も。

ちなみに初出の『犬の尾』は天和2年(1682)戌年の大坂談林による歳旦発句集。人をおちょくった句がワンさかある。

2018年2月7日水曜日

●過去

過去

過去は過去透きとおるまで百合根煮て  花谷和子

スナックに煮凝のあるママの過去  小沢昭一

人の世の過去へ過去へと雪降れり  三村純也

黄昏の白梅過去となつてゐし  角谷昌子

炎天にいま逢ひそれも過去のごとし  目迫秩父

百合の香と小過去吾を眠らせず  相馬遷子

今つぶすいちごや白き過去未来  西東三鬼

2018年2月6日火曜日

〔ためしがき〕 電話にあてがわれたメモ・パッド6 福田若之・編

〔ためしがき〕
電話にあてがわれたメモ・パッド6

福田若之・編


電話にたいしては、こちらはまったくお手あげなのだ。相手は、言いたい放題のことをどなりちらすこともできるし、受話器を置くことだってできる。ということは、せっかくの大切な道を遮断されてしまうことになる。
(フランツ・カフカ『城』、前田敬作訳、新潮社、1971年初版、2005年改版、46頁)



「あんたは忘れるかもしれない。わたしたちは忘れない」
「だからさ、よくわかんないけど、人違いだって……」と高橋は言う。
「逃げ切れない」
 電話がぷつんと切れる。回線が死ぬ。最後のメッセージが無人の波打ち際に置き去りにされる。高橋は手にした携帯電話をそのまま見つめている。男の口にする「わたしたち」というのがどのような人々のことなのか、本来その電話を受けるはずの人間がどこの誰なのか、見当もつかないけれど、男の声は後味の悪い、不条理な呪いのような残響を彼の耳に(耳たぶが変形した方の耳だ)残していく。手の中に、蛇を握ったあとのようなぬめぬめとした感触がある。
(村上春樹『アフターダーク』、講談社、2006年、263-264頁)



ここで記しておく必要がある、一九七九年八月二十二日の朝、十時頃だった、私がこのページをこのような形で出版するためにタイプしていたとき、電話が鳴った。こちら合衆国です、マルティン(彼女は「マルティヌ」あるいは「マルティニ」と発音する)・ハイデガーさんからの「コレクトコール」(P.c.v.〔paiement contre vérification〕〔相手の真偽を確認したうえでの支払い〕とフランス語訳されたい)をお受けになりますか、とアメリカの電話交換手が私に尋ねる。私自身、コレクトコールをかなり頻繁にかけなければならないので、こうした状況には相当慣れているが、よくあるそうした状況と同じように、誰からなのか聞き分けられるだろうと思って、私は国際電話の反対側の声を聞いていた。誰かが私の話を聞いている、私の反応に注意を凝らしている。マルティンの幽霊ないし精神=亡霊を利用して、彼はどうするつもりなのだろうか? すぐに私に受けるのを拒否させた謎めいた部分のすべてをここで要約することはできない(「これはジョークです、受けません」)、断るときに、私はマルティン・ハイデガーの名を何回も繰り返させた、いたずらの張本人がついに名乗るのではないかと期待しながら。では、要するに、誰が支払うのか、電話を受けたほうか、電話したほうか? 誰が支払わなければならないのか?とても難しい問題だ、だが今朝、私はこう考えた、私が支払うべきではないだろう、こうした感謝の注=領収書を追加する形をとらないのであれば。
(ジャック・デリダ『絵葉書I――ソクラテスからフロイトへ、そしてその彼方』、若森栄樹、大西雅一郎訳、水声社、2007年、35-37頁。原文では「幽霊」に「ゴースト」、「精神=亡霊」に「ガイスト」、「注=領収書」に「ノート」とルビ)



君に電話するためにまた出かけた、君は驚いていた、そして、あの陽気な笑い、あれほどにも近く、あれほどにも私の声に、私が小さな声で君に言った「そう」に身を任せたあの陽気な笑い、私は、約束したように、それをもって帰った、それこそ私が乞食のように物乞いしていたもの、そして君が最初の言葉よりも先にまず与えてくれるものだ、私はそれと一緒に寝た、それは君だった。
(同前、308頁。原文では「そう」に「ウイ」とルビ)

2018/1/5

2018年2月5日月曜日

●月曜日の一句〔黄土眠兎〕相子智恵



相子智恵






バレンタインデー軽量の傘ひらく  黄土眠兎

句集『御意』(邑書林 2018.01)所収

どんどん軽量化されるものの一つに、そういえば傘がある。特に折り畳み傘はずいぶん軽くなったものだ。

掲句、雨のバレンタインデーに軽量の傘を開いている。バレンタインデーと軽量の傘の取り合わせは偶然性を持ちながらも、「軽さ」が共通しているので一句がしっくりくる。

バレンタインデーという、少なくとも日本では軽薄な一日(かつてはチョコレートのプロモーションであったとしても「この日をきっかけに女性から愛の告白をする」という、それでも重みのある概念があったが、それも古くなり、もはや百貨店などでは単純に美味しいチョコレートに行列を作る「チョコレートの祭典」的な軽いイベントに変化している)その人為的で意味も流動し続けている記念日の軽薄さが、進化し続けて軽量化して小さくなった傘と響き合う。

この軽量化された傘は、色合いも軽みのある明るい色を想像させる。明るい傘の色がパッと開く一瞬や、傘の軽さという体感が、概念だけでなく具象的ですっと入りやすい。

明るくて軽薄で、俳味があって、景もよく見えてくる好きな一句である。

2018年2月4日日曜日

〔週末俳句〕散歩散歩散歩 西原天気

〔週末俳句〕
散歩散歩散歩

西原天気


別々の作者の2句ないし数句を勝手に並べて楽しむという遊びを「組句(くみく)」と名付けているが(≫例)、これにはもっといいネーミングがありそう。

似ているということではない。類句ということでもけっしてない。たいていは本歌取りではなく、別々の場所・別々の意図でつくられた句。それを読者として勝手に隣り合わせに並べて楽しむ。読みのカスタマイズというか、私的コレクションというか。

例えば、2句が会話する。

ヒヤシンスしあわせがどうしても要る  福田若之

ヒヤシンスじゃあどうすればよかったの  八上桐子


福田若之『自生地』2017年8月31日/東京四季出版(≫amazon
八上桐子『hibi』2018年1月18日/港の人(≫こちら)(≫amazon


もうひとつ。こちらは時間の経過。

硝子戸を隔てて冬の深きこと  黄土眠兎

もう春が来てゐるガラス越しに妻  山田露結


黄土眠兎『御意』2018年1月/邑書林(≫こちら
山田露結『永遠集』2017年12月12日/文藝豆本ぽっぺん堂(私家版)



俳句を始めたおかげで散歩が好きになりました。吟行で散歩を覚え、やがて吟行には消極的になりましたが(散歩が楽しすぎて、俳句どころではない)、散歩が私に残ってくれました。

土曜日は、神田駅から室町を抜け、東京駅八重洲口へ。ここまで某吟行句会に便乗。そののち、銀座へ、有楽町へ、電車を使って鶯谷へ、入谷を抜けて浅草へ、戻って上野へ、御徒町へ。半日歩き回る。

途中、純喫茶に入ると、カウンターに文鳥が飛び交い、コーヒーを淹れるマスターの腕にとまったり、餌をついばんだりという、夢のような光景。でも、あれは、夢ではなかった。

日本橋の和紙店「はいばら」で封筒を3種購入。
包装紙がすこぶるキュート。



『川柳ねじまき』#4(2018年1月15日)をめくると、二村典子による田島健一『ただならぬぽ』評、『街』第129号(2018年2月1日)をめくると、大塚凱による北大路翼『時の瘡蓋』評、『里』2018年2月号をめくると、諸氏による上田信治『リボン』評。



町のところどころに雪が残る節分・立春。みなさま、すこやかにお過ごしください。

2018年2月3日土曜日

●心臓

心臓

心臓のまわりにすみれ集まり来  谷口慎也〔*1〕

桜餅ひとりにひとつづつ心臓  宮本佳世乃〔*2〕

心臓に針はせまりて大西日  中村安伸〔*3〕

蝙蝠の心臓空をふらふらす  大石雄鬼

粉雪や家の心臓聞こえ出す  高野ムツオ

心臓へかへる血潮や去年今年  小川軽舟〔*4〕


〔*1〕『連衆』no.62(2012年1月)
〔*2〕宮本佳世乃 『鳥飛ぶ仕組み』2012年12月/現代俳句協会
〔*3〕中村安伸『虎の夜食』2016年12月/邑書林
〔*4〕小川軽舟『呼鈴』2012年12月/角川書店

2018年2月2日金曜日

●金曜日の川柳〔広瀬ちえみ〕樋口由紀子



樋口由紀子






桃色になったかしらと蓋をとる

広瀬ちえみ (ひろせ・ちえみ) 1950~

「桃色になった」は現象であり、「かしら」はどうだろうかという思いであり、気分でもある。まるで煮物の煮え具合を確かめるように蓋をとる。でも、煮物ではない。たぶん、自分自身の裡だろう。まるで他人事のように、素知らぬ顔で自分の心の蓋をとる。「桃色」はほっとする、やわらかな、ほんわかする色である。そうなっていてほしいと作者の願望である。

「なったかしら」の言い回しに味がある。青く腫れていたものが、痣になって痕が残っているかもしれないのに、たいしたことでもなさそうに見せる。気になることを気にならないようにふるまう。重いものを重くみせない、決して深刻に詠まない。読み手がどのように感じ取るのかをよく考えている。〈その先のソノサキさんの庭の花〉〈ぶよぶよは相当深いところまで〉〈かんぶにもこんぶにもよくいいきかす〉 「晴」(第1号 2018年刊)収録。