2014年3月31日月曜日

●月曜日の一句〔大関靖博〕相子智恵

 
相子智恵







花筏十字に卍そして渦  大関靖博

現代俳句文庫72『大関靖博句集』(2012.12 ふらんす堂)より。

水面に散った桜の花びらが集まり、渦巻く水に合わせて〈花筏〉の形が変化していく。最初は十字に見えていたものが卍となり、やがて渦となった。花筏の形によって渦巻く水の流れがよく見えてくるのが面白い。その景の移り変わりが主眼であろう。

と同時にもう一つ。十字からはキリスト教、卍からは仏教が思われて、それらが最終的に混沌とした渦となっていくのも、この文字によって得られる面白さだ。実景の側面と言葉の側面の両方からのアプローチがある句。そこに狙いがあるのか、あるいはこちらの深読みなのかはわからないが、その両面からのアプローチが不思議な味わいを生んでいるように思う。散った花びらである花筏が、死と再生のようなものを感じさせるからだろうか。

2014年3月30日日曜日

●不眠

不眠

不眠ノ皆ガ毛深キ瓶ニ靈ヲ插ス   関 悦史

不眠者に深夜とどろく梅雨の雷  相馬遷子

蟇這い出す赤と黒との不眠地図  八木三日女

孤島にて不眠の鴉白くなる  高柳重信


2014年3月29日土曜日

●近未来型家族 山田露結

近未来型家族

山田露結




家族を連れて回転寿司という近未来型ハイパー飲食店に入った。ほほう。昼どきとあって、どの席も近未来型家族でいっぱいである。店内にはいくつかの回転レーンが設置されていて、その上を陽気な音楽に合わせてまぐろ、はまち、真鯛、甘えび、たこ、いか、ほたて、うに、いくら、豚塩カルビ、ローストビーフバルサミコソース、ガーリックソースハンバーグ(さび抜き)、チーズハンバーグ(さび抜き)、杏仁豆腐(さび抜き)、などなどのネタを乗せた寿司が次から次へと流れて来る。ポップだ。カラフルだ。アートだ。しかも、すべて一皿90円。まるで、夢の世界に紛れ込んでしまったようでクラクラする。若い女性店員に案内されてボックス席に座る。女性店員はにこやかに「こちらから注文して下さい」と言って席に取り付けられている液晶画面を指した。はあ? ん? 私は軽い興奮を覚えながら「とりあえず、ビール下さい」と画面に向かって話しかけてみたが、何も反応がない。それを見た女性店員が「指で触れてメニュー画面に進んで下さいね」と言ってクスッと笑った。なるほど、そういうことか。私がしばらく液晶画面に戸惑っていると、目の前をいわしの一群が通り過ぎて行った。私は、感慨深くその一群を見送った。ああ、これで、ようやくウチも近未来型家族になれるのだ。

2014年3月28日金曜日

●金曜日の川柳〔福島真澄〕樋口由紀子



樋口由紀子






祝歌を水児がのぞく母は新嫁

福島真澄 (ふくしま・ますみ) 1929~

衝撃的な内容の句である。花嫁はかって子どもを堕胎している。その子どもが母である新婦を、お祝いの歌が歌われている祝宴を、どこからか覗いているというのである。

三面記事にでもなりそうな意味ありげなドラマなのに、「祝歌」「水児」「新嫁」の言葉の展開は妖しい雰囲気を漂わせ、物語を紡いで、それでいて、不思議に格調のある一句に仕上がっている。「新嫁」は幸福の絶頂にあり、誰もが望んでいる姿とは限らない。「祝歌」を複雑な思いで聞いている人もいる。何を訴えているのだろうか。

〈開けゴマ 盗まれた小銭 蜂になれ〉〈喚きたい涙ならば魚語よ光れ〉〈百八つ吸うた口ほどすみれ摘む〉 『福島真澄集』(短詩型文学全書 昭和48年刊)

2014年3月27日木曜日

●本日は植木等忌

本日は植木等忌




2014年3月26日水曜日

●水曜日の一句〔若井新一〕関悦史



関悦史








かまくらの奥で手招きしてゐたり   若井新一

手招きしているからには親密な相手であろう。それを覆すような不穏な要素も特に見当たらない。

だが普通のことを描いていながら、それだけでは片付かない何かが句に漂う。

「奥」と「手招き」に由来するものなのか、ことさら大上段にその地特有の霊性など言上げしてなどいないにもかかわらず、代々の古人も同じ動作をしていたのだろうという連想が働き、「手招き」の柔和さも手伝って、人とも地蔵ともつかない何かに呼び止められたような懐かしさを感じさせるのである。

この奇妙な懐かしさは、「奥で手招き」という要素だけではなく、何ものが手招きしているのかが明示されていないことからくるものだ。主格のない、非人称ゆえの空白がもたらす自在感が、そのままかまくらの中に籠もっているところが味わい深い。分厚いかまくらも、やがて融けて消えることを思えばなおのこと。


句集『雪形』(2014.3 角川学芸出版)所収。

2014年3月25日火曜日

〔人名さん〕檀蜜

〔人名さん〕
檀蜜


2014年3月24日月曜日

●月曜日の一句〔松村昌弘〕相子智恵

 
相子智恵







花冷えに何か忘れし思ひする  松村昌弘

句集『白川郷』(2014.2 角川学芸出版)より。

私は忘れっぽいので〈何か忘れし思ひする〉は季節を問わずたびたびあるのだが、この句の〈何か忘れし思ひする〉は日々の物忘れのような単純なことではなく、もっと深いものが感じられる。それはひとえに〈花冷え〉の季語のせいであろう。

桜の花の咲く頃、急に寒さが戻る〈花冷え〉。その言葉の響きの美しさや、夢のような桜に酔った心が、急にハッと引き戻されるような寒さであること。それが夢の世界に何かを忘れてきたような感覚にさせるのである。季語が活きた一句である。

2014年3月23日日曜日

●もがく

もがく

モガキツツ薔薇鐵皿ニ燒キアガル   関 悦史

枯蔓をもがき抜けたる鶲かな  水原秋桜子

もがき出て水際に熱す薔薇の芽は  赤尾兜子

蜂もがく生きるためにか死ぬためにか  橋本多佳子




2014年3月22日土曜日

●手品

手品

呑で吐く炭団の嘘や辻手品  会津八一

買つて来てなまじ手品の種夜寒  久保田万太郎

香具師の手妻の電光石火四月盡  塚本邦雄

長兄の手品はいつも薔薇が出る  仁平勝

2014年3月21日金曜日

●金曜日の川柳〔山本芳伸〕樋口由紀子



樋口由紀子






花鰹風があるとは思われず

山本芳伸 (やまもと・ほうしん) 1909~1983

ほうれん草にかけた花鰹か、お好み焼きの上にのった花鰹か、ふわっと揺れたのだろう。日常茶飯事の、どうってことない、たったそれだけのことである。花鰹が揺れたって、あらためて何かを思うことなんてふつうはない。あれっと思って、風があるのかなと思ったことを素直に表現していると最初は読んだ。しかし、何度も読むうちに解釈がつかない出来事のようで、なにやら不思議な余韻が残った。

この世は目に見えるものだけがすべてではない。よく考えても原因や結果のわからないことが多い。死生観に繋がっていく。花は花でも花鰹というのもいかにも川柳的である。

〈死ぬものは死ぬさ俺の知ったことかい〉〈七十の下駄ひびかせて死にとうない〉『老い』(昭和58年刊)所収。



2014年3月20日木曜日

●空間

空間


空間ノ裂目ヨリ手ガ垂レ下ガル   関 悦史

自殺系空間きりんうるむなり  摂津幸彦

馬出生してすぐ空間に入りにけり  阿部完市

国境過ぐ岩と蛇との空間澄み  中島斌雄



2014年3月19日水曜日

●水曜日の一句〔田中百榮〕関悦史



関悦史








ふいに出て真昼の影をひく蜥蜴   田中百榮

一句の肝になるのは「真昼の影」だろう。

蜥蜴の不意の出現は、まずくっきりした影の出現として見てとられ、そこから真昼の日差しの鮮烈さが浮き上がる。

「影をひく」も間然するところがない。

「影をもつ」でも「影のある」でもない「ひく」によって影は軟体とも液体ともつかない奇妙な実在感を帯び、それと反比例するかのように蜥蜴は非実体感をまとう。そして両者が不即不離のまましなやかに地を這うこととなり、観念臭はほとんどないにもかかわらず、抽象的な生気そのものが肉体を得たかのような、存在論的な何かをかすめた句となっている(強いていえば「真昼」が観念への扉にはなるのだろうが)。

「ふいに出て」きたのは、影と実体との違いについて、深い惑乱へと誘い込むなめらかな亀裂そのものなのだ。


句集『夢前川』(2014.3 ふらんす堂)所収。

2014年3月18日火曜日

●雑巾

雑巾


満月に吊るす雑巾より雫  依光陽子〔*〕

暗がりに雑巾を踏む寒哉  夏目漱石

雑巾が人の顔して凍ててをり  雪我狂流〔**


〔*〕『クプラス ku+』創刊号(2014年3月)より。

〔**『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2014年3月17日月曜日

●月曜日の一句〔佐藤文香〕相子智恵

 
相子智恵







愛して た  この駅のコージーコーナー  佐藤文香

俳句雑誌『クプラス』第1号(2014.3 クプラスの会)「あたらしい音楽をおしえて」より。

「コージーコーナー」という洋菓子チェーン店は、いま住んでいる町の駅前にもあるし、前に住んでいた町の隣駅にもあった。そういえば、前の前に住んでいた町の駅ビルにも入っていた。このチェーン店の名を出すことで、都会(特に首都圏)のとある一風景を切り取りながらも、首都圏に住む多くの人たちもまた「自分に馴染みのあった駅」を思い出すのではないだろうか。つまり〈この駅の〉は「どの駅にも」になりうる。それだけ共感も広がりやすいといえる。

分かち書きが、漫画のコマ割りのような効果を生んでいる。〈愛して た〉と〈この駅の〉は意図的にかなり離されていて、もちろん愛していたのはこの店なのではなく、その店のあった駅にまつわることすべてであり、たとえば今は別れてしまった恋人と、昔一緒に住んでいた町の駅の思い出だったり、恋人に対する〈愛して た〉であるのだろう。

「愛してた」はかなり直球な言葉で、「“愛してた”と言わずに、愛していたことを表現する」のが俳句の常であろうし、一冊の小説は、それを言うために何百ページも費やしていたりするものだ。それがここでは堂々と書かれている。

この直球さは、たとえばかつて通り過ぎてきた少女漫画や歌謡曲のストレートな台詞や歌詞に似ていて、それと同じ類の切なさを感じさせる。それが成功しているかどうかはわからないが、ストレートな青春の句として、恥ずかしいようなキラキラしているような、うじうじしているような、独特の感情を抱かせる。そこにもわかりやすい共感があるだろう。

2014年3月16日日曜日

●背広

背広


あたらしき背広の内に家禽棲む  堀込 学〔*

雛の間よ背広吊すも飯食ふも  岸本尚毅

ぶらんこに背広の人や漕ぎはじむ  林 雅樹〔**

夜桜に背広の冷えて帰宅せり  正木ゆう子

みづすまし背広すまして死に給ふ  攝津幸彦


〔*堀込学句集『午後の円盤』(2013年7月/鬣の会)より。

〔**『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2014年3月15日土曜日

●歴史

歴史


貯水池も既に歴史や鴨が来る  深見けん二

ひぐらしに歴史は常にかなしくて  京極杞陽

金魚玉明日は歴史の試験かな  高柳重信

2014年3月14日金曜日

●金曜日の川柳〔三條東洋樹〕樋口由紀子



樋口由紀子






ひとすぢの春は障子の破れから

三條東洋樹 (さんじょう・とよき) 1906~1983

春の訪れを感じるのはいろいろである。掲句を読んで、ああ確かにと一本やられた感をもった。障子が貼られている部屋は陽が当たる場所がほとんどだ。陽を遮るための障子、一部でも破れたら当然光はそこから入ってくる。それは発見であり、大きな出会いであった。

川柳は言葉の斡旋とか組み合せよりも実生活上の「見つけ」に重きをおくところがある。それは言葉を見つけたとは違う。「障子の破れ」を見つけた、目のつけ所を評価する。

障子の破れは原因も結果(見た目)もよくない。けれども、春の陽射しは意外とそんなところからでもまっすぐに射し込んでくる。それが人生なのだろう。と、人生観も少し含ませているところにも価値を認める。

三條東洋樹は昭和32年時の川柳同好会(現在の時の川柳社)から「時の川柳」を創刊した。〈子を抱いて我も凡夫の列に入る〉〈てっちりを囲んで右派も左派もなし〉『ひとすぢの春』(昭和53年刊)所収。

2014年3月13日木曜日

●古墳

古墳


からつぽの春の古墳の二人かな  夏井いつき

鶯のこゑ前方に後円に  鷹羽狩行

枇杷咲くや足の踏み場のみな古墳  百合山羽公

炎天の色香いざなふ古墳かな   澤好摩

夏とはいへ君甕棺にもぐるなかれ  関悦史

花野かと踏み入り古墳又古墳  恩田侑布子

2014年3月12日水曜日

●水曜日の一句〔打田峨者ん〕関悦史



関悦史








地平線けふも跨がず五月の巨人   打田峨者ん

大きな空気感が捉えられた句。

地平線を跨がずにいる「五月の巨人」は実体を持った巨人というよりは、「五月」そのものの形象化ととるべきだろう。実体がいつまでもその辺に居るのでは鬱陶しいばかりとなり、「地平線」の見晴らしの良さにそぐわない。

同じ「五月」を通じて人間以上の何かと通じ合う句でも、《目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹》寺山修司のピンと張りつめた自恃のようなものと比べると、こちらは大分寛いでいる。

「跨げず」ではなく「跨がず」であり、ここには数日にわたって続く広大な初夏の自足がある。


句集『光速樹』(2014.2 書肆山田)所収。

2014年3月11日火曜日

●芝不器男俳句新人賞の最終選考会のお知らせ

芝不器男俳句新人賞の最終選考会のお知らせ


本日3月11日(火)16:00から、芝不器男俳句新人賞の最終選考会が産業技術大学院大学で行われます。最終選考会を一般公開しています。

会場へ来られない方は、ぜひustreamでの配信をご視聴ください。
http://www.ustream.tv/channel/haiku-drive

選考会:16:00~
授賞式:19:00~


2014年3月10日月曜日

●月曜日の一句〔佐々木貴子〕相子智恵

 
相子智恵







天泣や土偶の洞が火(ホ)と叫ぶ  佐々木貴子

句集『ユリウス』(2013.11 現代俳句協会)より。

〈天泣〉は上空に雲が全くないにもかかわらず雨や雪が降る現象。天気雨、狐の嫁入りのことだ。それと響き合うのは目や口が洞になった土偶である。土偶の多くは女性をかたどったとされ、農耕社会では豊穣の神として、地母信仰の呪術用、護符のような役割を持っていたといわれている。

土偶が「ホ」と叫んでいる。ホは「火」だ。そこに雲ひとつない空から天気雨が降ってくる。火と水、そして土偶の土が出会う。火と水と土は渾然一体となり、原初の力強さとなってこちらに迫ってくる。「土偶」「洞」「ホ」のOの音が畳み掛けてくるのも、何かに飲み込まれるような気持ちになるのだ。不思議なパワーを持った一句である。

2014年3月8日土曜日

●週俳の記事募集

週俳の記事募集


小誌「週刊俳句が読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っているのは周知の事実ですが、あらためてお願いいたします。

長短ご随意、硬軟ご随意。お問い合わせ・寄稿はこちらまで。


【記事例】

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

句集『××××』の一句」というスタイルも新しく始めました。句集全体についてではなく一句に焦点をあてて書いていただくスタイル。そののち句集全体に言及していただいてかまいません(ただし引く句数は数句に絞ってください。

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌から同人誌まで。必ずしも内容を網羅的に紹介していただく必要はありません。


そのほか、どんな企画も、ご連絡いただければ幸いです。

2014年3月7日金曜日

●金曜日の川柳〔岡橋宣介〕樋口由紀子



樋口由紀子






切符売りのおばあさんの切符はぬくいな

岡橋宣介 (おかはし・せんすけ) 1897~1979

首から布切れの袋をぶら下げて、指先のあいた手袋をして、切符を売っていたおばあさんがいたような記憶がおぼろげながらある。掲句から人と人とのつながり、人のぬくもりがじんわりと伝わってくる。

しかし、今は切符のぬくさを嬉しいと思うような感覚を失ってしまっているように思う。映画館でぬくいチケットもらっても、コンビニでぬくいおつりを受け取っても、なんとも思わない。それよりも気持ち悪いと思うかもしれない。おばあさんから手渡されたぬくい切符に、ぬくい気持ちを感じて、心が温かくなったのは、遠い昔の出来事になってしまった。

先日、券売機の前で立ちつくしておじいさんに出会った。みんな、急いでいるので、どんどんと追い抜かれていく。切符売りのおばあさんがいたらそんなことはなかった。

岡橋宣介は新興俳句の理念に共鳴して、日野草城の「旗艦」の同人でもあった。昭和24年川柳誌「せんば」を創刊し、多くの川柳人に影響を与えた。

2014年3月5日水曜日

●水曜日の一句〔加根兼光〕関悦史



関悦史








鳥類に小さき頭蓋日雷   加根兼光

「鳥類」は博物学か生物学の分類を示す語彙であり、花鳥趣味や、個別の鳥の生命感とは一端ひややかに距離を置いている。

そして「小さき頭蓋」でひややかな手つきのまま個体の肉感に分け入り、「日雷」で生命が宿る。生命の誕生には雷が一役果たしたとの説があることを思えば理に近づくが、「日」の明るさが空間的な見晴らしを確保しており、一句は雷一閃の劇性にばかり集中することはない。

鳥は自分の頭蓋が小さいことも知らないし、雷と生命の関わりを思惟することもない(はずだ)。

一度距離を置いた後で生命感を引き出すことで、鳥類の無垢さと可憐さが浮き彫りになる。さらに、死にやすさ、死なせやすさへのやや偏執性を帯びた視線も、この句は同時に感じさせる。図鑑や解剖図、死体標本のコレクションに魅入られたとき特有の、不気味さを経た生命への接近の魅惑を捉えた句といえる。


句集『句群po.1―半過去と直接法現在として、あること』(2014.2 マルコボ.コム)所収。

2014年3月4日火曜日

●羽化

羽化


人参を擂るおとうとの羽化のため  佐藤鬼房

父の忌に羽化する蝉のうすみどり  橋本薫

耳鳴りのあの夕暮は蝶の羽化  柿本多映

羽化のもの遠くへ犀の革ごろも  中島斌雄

2014年3月3日月曜日

●月曜日の一句〔染谷佳之子〕相子智恵

 
相子智恵







男雛火のいろの舌覗きゐる  染谷佳之子

句集『橋懸り』(2014.1 角川学芸出版)より。

雛人形は口を閉じているものばかりではなく、よく見ると歯が見えていたり、舌が覗いているものもある。私がかつて持っていた雛人形は、笛を吹いている五人囃子や左大臣などは口が開いていたような記憶があるが、男雛はどうだったか、記憶にない。

「男雛の舌が覗いている」というだけでもなんだか薄気味悪くドキリとするのだが、それが〈火のいろ〉だというから、情念さえ感じる。雛人形は「形代」としての役割を持っている。人間の災いを代わりに背負ってくれるのだ。その人形への後ろめたさというか、潜在的な怖さがあるから〈火のいろ〉が強く響くのかもしれない。ハッとさせられる写生句である。

2014年3月1日土曜日

●三月

三月


三月の豚の耳からはじめよう  岡村知昭〔*

三月やモナリザを売る石畳  秋元不死男

蝌蚪曇りなほ三月の日のごとき  山口誓子

三月の雑誌の上の日影かな  前田普羅

三月や水をわけゆく風の筋  久保田万太郎

いきいきと三月生まる雲の奥  飯田龍太

世の中に三月十日静かに来る  岡野泰輔〔*


〔*『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より