相子智恵
雲は雨後輝かされて冷し葛 生駒大祐
句集『水界園丁』(港の人 2019.7)所載
今年は梅雨の6月が長く続いたと思ったら、いきなり晩夏の8月になったような、7月が消えてしまったみたいな夏だ。掲句の美しさに、改めて雨の多いこの夏を思った。
雲は雨の後に〈輝かされて〉しまう。〈されて〉に感情が出ていて、雲自体は変わっていないのに、周囲の変化によって(雲はそれを望んでいないのにも関わらず)いきなり輝いてしまうような感じなのだろう。それまでは灰色の雨雲だったのに、雨後の光に洗われて白く輝く雲は眩しくて、自分との親しさから遠のいていく感じが、ふわっと切ない。
そこに〈冷し葛〉が、〈輝かされて冷し葛〉とつなげて読めるような形で置かれている。〈冷し葛〉という、輝きながらも芯が白く濁っているみずみずしい一皿の菓子に、雨後の輝く雲がすーっと着地していくさまは、抒情的で美しい。いわゆる「取り合わせ」よりも、もっと「世界が滲みあっている」感じがする。
雲は遠くに、冷し葛はすぐ近くにあって、違う世界のはずなのに滲みあいながら自然とそこにある。遠くて近い不思議な水と光に、世界はひたひたと、静かに満たされていく。
ただ、それを見ている自分はその世界からすっと引き離されていくような気がしてしまうのは、〈輝かされて〉と一つだけ現れた感情による。眩しさの中に寂しさが漂うのだ。