近刊の『江古田文学』111号「特集・小栗判官」において「『をぐり絵巻』大和言葉の変奏――連歌ジャンルとの類似性を視野に」という小論をこころみました。
大和言葉とは、主に和歌の言葉(雅語)を用い、その意味を解く謎ことばの一種で、『をぐり』をはじめとする説経浄瑠璃の、その恋文において多く変奏されています。
その変奏が軍記物における連歌の変奏と類似性を持っていることを、時衆との絡みであれこれ考えてみました。
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じつは大和言葉や連歌の変奏は、近現代的ジャンルにおいても、それぞれ継承されているのですが、論の拡散をおそれて敢えてふれませんでした。
ここで具体例を一つずつあげてみましょう。
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まずは連歌の継承。
西鶴と芭蕉を隔てなく享受した幸田露伴の『評釈 続猿蓑』(岩波書店、1951年)を繙いてみます。
日は寒けれど静(しづか)なる岡 芭蕉
水かるゝ池の中より道ありて 支考
この支考の付句について露伴は、〈飯盛城の連歌の会に、すゝきに交る蘆の一むら、の句あり、三好長慶これに、古沼の浅き方より野となりて、と付けて人々の称賛を博したり。此句長慶が句を云直したるまでなり〉と評釈しています。
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前述の拙稿では、飯盛城の連歌の逸話について、『常山紀談』『群書類従』『翁草』などの近世資料にあたりながら、そのルーツを『朝倉始末記』(1577年頃)に探ってみました。
その『朝倉始末記』からほぼ四世紀を経ての露伴の指摘はとても貴重なものと思われます。
しかし芭蕉研究の第一人者・佐藤勝明氏によると、この露伴の見方は最近の諸注にほとんど踏襲されていないとの由(『続猿蓑 五歌仙評釈』ひつじ書房、2017年)。
劇作家・演出家である白石征氏の『小栗判官と照手姫――愛の奇蹟』(あんず堂、1997年)を取りあげます。
本書は1996年9月、藤沢遊行寺(時宗本山)の本堂で遊行舎により上演された同名作品の脚本です。
中盤、小栗の恋文を読みあげる三人の女房と、その謎をとく照手の掛け合いは、大和言葉の変奏をみごとに再現しています。
引用しましょう。
〈女房たち〉
弦なき弓に羽ぬけ鳥、この恋、謎と申するは、
〈照手姫〉
思いそめたるその日より
弦なき弓のごとくにて
射るに射られぬわが心
羽ぬけ鳥のごとくなり
拙稿では、羽ぬけ鳥について「飛び立つに飛び立てず」と註しておきました。
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なお本書には「恋の謎とき」と題されたJ・A・シーザー作曲の楽譜も掲載されています。
1996年の初演は見逃してしまいましたが、昨年10月、運よく湘南台市民シアターで遊行舎による再演を観ることができました。
かの演劇実験室「天井桟敷」を髣髴とする抒情的なシーザーのメロディーにのり、大和言葉の謎はみやびやかに解かれ、胸に迫るものがありました。
がしかし、これまた残念ながら、遊行舎の最終公演との由。パンフレットの表紙にも「さよなら記念公演」と記されていました。
以上ふたつの貴重な継承が、決して忘れ去られぬよう、今は願うばかりです。
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