2011年11月30日水曜日

〔ネット拾読〕15 天使って一羽二羽と数えるのだろうか(中) 西原天気

〔ネット拾読〕15
天使って一羽二羽と数えるのだろうか(中)

西原天気


前回の続きです。

〔週刊俳句時評52〕相対論の果て スピカ第1号特集「男性俳句」を読む 生駒大祐

この記事で、もうひとつのちょっとした疑問は、生駒氏の使用する「パラテクスト」の範囲です。

「パラテクスト」とは、ものの本によれば、作品に付随する序(俳句で言えば前書・詞書。あるいは句集における「跋」も入るでしょうか)やあとがき(句集にはよく作者自身による「あとがき」があります)、タイトル(俳句で言えば、連作タイトルや句集タイトル)などを指す用語だそうです。

むずかしいこと抜きにして、カジュアルに言えば、句(テクスト)は、そのまわりにいろんなものがくちゃくちゃくっついている、それらを総称して「パラテクスト」と呼ぶのでしょう。作者名は「くっついてくるもの」の最たるものですから、これもパラテクストに含めて、おそらくさしつかえない(生駒氏がこの記事で扱うパラテクストはもっぱら「作者」です。「作者」という項目は、巨大なので、別立てで扱うほうがよいような気も少ししますが、まあ、それはそれとして)。

で、です。「作者」という色濃いスタンプが、句にくっついてくることはわかった。しかし、その先のこと、作者名から導かれるさまざまの情報まで「パラテクスト」と呼んでいいのか、というのが、私の疑問です。

「呼び方だけの問題だから、どっちでもいいんじゃね?」との声もありましょうが、せっかく「パラテクスト」という、俳句世間では耳慣れない用語が登場したのですから、ちょっとはっきりさせておいたほうがいいのではないか、と。

私が思うのは(「思う」ってレヴェルです、あくまで)、「パラテクスト」は、「書かれたもの」にとりあえず限定しておいたほうがいいのではないか、ということです。

生駒氏は、森澄雄の〈妻がゐて夜長を言へりさう思ふ〉という句を読んで、「「この『妻』は生きているのか亡くなっているのかどちらだろう」という疑問を強く抱き、作者の経歴に当たった」と言います。そうして得られた経歴上の情報は「パラテクスト」なのか?

それは、また別のこととしておいたほうがいいと、私は考えるのです。「森澄雄」という作者名まではパラテクストであっても、句の書かれた当時の作者の事実情報は、それが書かれているわけではなく、調べてはじめてわかるかぎりは、パラテクストとはまた別のものだろう、と。

ただし、こうした線引きに、曖昧さが漂うことは、私自身、認めます。「正岡子規」という作者名には、「病臥」という情報は、そこに書かれていなくても、くっついてくるではないか? それはパラテクストに限りなく近い情報だろう?と。

ま、そうかもしれません。「正岡子規」という作者名は、ただ単に4つの漢字にはとどまらない。履歴的事実は、どうしたってついてきます。

このあたりは、程度問題という、きわめてはっきりとない基準しかないかもしれません。けれども、この「程度」というのは、わりあい人と人とで共有され得るものでもあります。

〈いくたびも雪の深さを尋ねけり〉を読むとき、作者の病臥を「抜き」にするのは無理がある一方で、例えば〈雨に友あり八百屋に芹を求めける〉(子規)の句が、その日、訪れた友とは誰か? 子規の病状は?といった情報まで「くっついてくる」とするのは無理がある、と、ふつうは考えます。「ふつう、そうだろ?」と皆で了解し合える「程度」というのは存外多いものです。

「作者名」という情報(パラテクスト)は、いわば、はっきりと目に入る芋の葉や茎です。そこに芋蔓式にくっついてくるものをやたらとパラテクスト(あるいはその延長)に含めないほうがよい気がします。



拾い読みなのに、えらく長くなってますね。まあ、いいか。次、行きますね。

外から見た俳句:スピカ

佐藤文香、神野紗希、野口る理3氏による鼎談記事で、『ユリイカ』2011年10月号「特集・現代俳句の波」と『SPUR』2011年12月号「モードなわたくしがここで一句」を扱っています。

野口氏の発言「作品欄の俳人の俳句、つまり紗希さんや文香さんの句は、いらなかったんじゃないかなって気がしました。(…)まぁそもそも俳句プロパーの人のバランス自体も結構偏ってますよね。」、それを受けての、神野氏の「(…)「現代俳句の辺境」といったほうがあたる(…)」などが、おもしろく読める部分。

辺境を「フロンティア」と解するか「マージナル」と解するかで、神野氏の指摘のおもむきは異なりますよね(おそらく両方に足をかけておくのがよいのです)。

一方、女性誌『SPUR』の俳句記事は、この鼎談で好ましく受け止められています。私、実は、書店で立ち読みしましたが(すみません、増田書店さん)、ピンと来ませんでした。この媒体のなかで、奇妙な違和のざらつきを発すると同時に、そこに掲載された俳句のインフレ感(あるいは、包装紙の中から、包装紙で想像したもんとはずいぶん違ったものが出てくる感じ)を感じました。句の価値が、写真等含むのページ構成に劣る、ということではないです。それぞれの句がうまく収まる場所はここではないな、という感じです。

それは、早稲田漫研OBが今年出した本(雑誌スタイル)の中で、俳句のページを見たときの違和感ともまた違う。ひょっとしたら、俳句と女性誌がお互いにフィットしよう(させよう)として、かえって微妙な違和を醸したのかもしれません。

俳句って、周囲を忖度せず、忖度されず、すっ、とそこにあるのがいちばん居心地のよい置かれ方だったりします。カレンダーに印刷された句は、どんなに素晴らしくても駄句に見えてしまうのと逆の作用。そのへんが関係しているのかもしれません。

(明日に続く)


2011年11月29日火曜日

〔ネット拾読〕15 天使って一羽二羽と数えるのだろうか(上) 西原天気

〔ネット拾読〕15
天使って一羽二羽と数えるのだろうか(上)

西原天気


ひさしぶりです。前回は2009年8月16日、2年以上前ですね。

さて。

調べることは大事です。

〔週刊俳句時評52〕相対論の果て スピカ第1号特集「男性俳句」を読む 生駒大祐

俳句愛好者全体では女性が多数派(ある試算では6割。もっと多いような気がします。実感としては)であるにもかかわらず、
「「諸家自選五句」という記事に載っている俳人695名の中の女性率」はたった3割だったそうです。

生駒氏は角川『俳句年鑑』をめくり、数えてみたわけです。

この、とりあえず数えてみるということが、とても大事だと思います。ワケのわからん抽象論の堂々めぐりをやってるよりもはるかに。

全体では多数派の女性が
、「諸家自選五句」欄に選ばれた俳人700名(これ、いわゆる「俳壇」を一例として表象するものと、まえまえから思っています)という枠組みでは逆に少数派であるという、例えば昔ながらのフェミニズムには恰好の社会的事実が、生駒氏の「数えてみる」という仕事によって、はっきりと確認されたわけです。

この時評の最大の功績は、ここでしょう。私も、数的にはどうなんだろう?と思っていたので、これはうれしかったです。

ただ、この記事、疑問に思うところもありました。



まず、ひとつは、「男性俳句」という捉え方(それが同時に「女性俳句」という捉え方の因習性を衝いていることはこの時評にあるとおり)と、俳句に作者名が貼り付いてくる事情(生駒氏が「パラテクスト」と括ったもの)とは、また別の問題であるような気がします。

「男性俳句/女性俳句」とは、

A 男性(が詠んだ)俳句/女性(が詠んだ)俳句

という意味も、あるにはありますが、問題となるのは、

B 男性(性を成分として含む)俳句/女性(性を成分として含む)俳句

という意味でしょう。言い換えれば、男性/女性っぽいネタ、男性/女性っぽい語り口…等々、俳句そのもの(=テクスト)の事情。それは、作者名を抜きにしても充分に論じることができるように思います。

もっと言えば、作者の性別とは離れて(作者という性別の署名がなくても)、句(テクスト)に表出する〈男性〉性/〈女性〉性というものがあり、それが論題のはずです。

(作者の性別を論じるに終始すれば、それは文芸を論じるというより、むしろ社会学的なアプローチ)

すこし話を戻せば、生駒氏言うところの「パラテクスト」抜きで、テクストにおける〈男性〉性/〈女性〉性を分析なり批評の対象にするほうが、稔り多かろうと思います。

そのうえで、署名された「作者」の内容へと射程を広げるのもよいのですが、例えば「女性である作者」が詠んだという事実をスタート地点に、句(テクスト)における〈女性〉性を考えるというのでは、従来の評伝的作家論、作者ブランド依存型観賞と、それほど変わりがないことになってしまいます。

(明日に続く)

2011年11月28日月曜日

●月曜日の一句〔中村光三郎〕 相子智恵


相子智恵








寒の耳ひとつひとつが右の耳  中村光三郎

句集『春の距離』(2011.11/らんの会)より。

たいそうヘンな句である。

読者が好き勝手に読める、ヘンな句である。

たとえば、この世のどこかに「耳の製造工場」があると思ったって、よいのである。

私は〈寒〉の一語の寒々しさと「KAN」という硬質な響き、そして〈右の耳〉だけの整然とした世界に、機械にプレスされて右耳ができあがる様子を、ふと夢想する。

プレスされた〈右の耳〉たちは、ベルトコンベアーに乗せられて、一定方向に粛々と、列をなして流れてゆく。やがてコンベアーの最後で、ぽとり、ぽとりと、ひとつひとつが箱に落ちる。

箱の中に山盛りの、寒々しく淋しい〈右の耳〉たちに、私の心の言葉はぐんぐんと吸い込まれ、心が無音のからっぽになる。

そしてそれはなぜだか少し、安らかなのである。


2011年11月27日日曜日

〔今週号の表紙〕第240号 させないでください

今週号の表紙〕
第240号 させないでください



いわゆる掘っ建て小屋。

むこうに海があるのが、この写真でわかるだろうか。


撮影場所:千葉県南房総市千倉町白子

(西原天気)

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2011年11月25日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







電熱器にこつと笑ふやうにつき


椙元紋太 (すぎもともんた) 1890~1970

暖房器具が恋しい季節になった。電熱器をにこっと笑うようについたとは上手く言い当てたものだと感心する。同時にそのように見た作者に温もりを感じる。電熱器がつくとそのまわりも人の気持ちも暖かくなったのだろうと想像する。そう言えば、昔はテレビの映りが悪かったら叩いて直していた。

今の暖房器具はにこっと笑うようには起動しない。スピードと機能性が何よりも求められているのに、笑っていたのでは売れ残ってしまう。にこっと笑うようにつき、にこっと笑うように感じ、にこっと笑うことに共感するようなのんびりした時代は終ってしまったのかもしれない。

椙元紋太は昭和4年「ふあうすと川柳社」を創立し、その代表、編集発行人になった。「ふあうすと」はゲーテの代表作からの命名であるらしい。『椙元紋太川柳集』(1949年刊)

2011年11月24日木曜日

●帽子

帽子


三島忌の帽子の中のうどんかな  攝津幸彦

冬帽子とれば絶壁名にし負ふ  中原道夫

炬燵にて帽子あれこれ被りみる  波多野爽波

春遠しピアノの椅子に帽子置き  加倉井秋を

はまひるがほ空が帽子におりて来て  川崎展宏

鉢巻が日本の帽子麦熟れたり  西東三鬼

夏帽子吹かれ吹かれてつひに脱ぐ  岸本尚毅


2011年11月23日水曜日

●ハイヒール

ハイヒール

朧より朧へと去りハイヒール  久野雅樹〔1〕

絨毯を深々と刺すハイヒール  竹岡一郎〔2〕

ハイヒール呆然と提げ大干潟  櫂未知子

微熱あり黒く輝くハイヒール  久保純夫

銀座明るし針の踵で歩かねば  八木三日女


〔1〕『超新撰21』(2010年・邑書林)所収
〔2〕竹岡一郎句集『蜂の巣マシンガン』(2011年・ふらんす堂)所収

2011年11月22日火曜日

●イージーアクション 中嶋憲武

イージーアクション

中嶋憲武


目覚めるとテレピン油の匂いがした。イーゼルに二十号のカンヴァスが架かっている。夕べ、描きかけで眠ってしまったらしい。アルバイトから帰ってきて、イーゼルの前に座り、つづきを始めたのだけど疲れていたのだろう。寝てしまったのだ。嫌な客がいた。わたしはバニーガールのアルバイトをしている。同席は無いが、飲み物を持って行ったとき、お客と軽く会話をすることがある。その客は、わたしの胸の谷間をみて、ひどく下劣な言葉を吐いた。わたしはその客が最も嫌がるであろう一言を低く言った。客は血相を変えて、わたしに掴みかかろうとした。その時、間に入ってきたのがシズオ君だった。シズオ君はその名の通り静かな物腰で、わたしの非礼を詫びた。客の怒りが収まると、何事も無かったかのようにフロアーに戻った。シズオ君はわたしのダビデだ。いつかシズオ君の裸身を描いてみたいと思っている。

スカイセンサーのスイッチを入れた。黒沢久雄がスカシた喋りで曲を紹介している。ジャカジャカジャカジャカジャン、ヘイ!ヘイ!ヘイ!ああT・レックス。甘ったれたダックスフンドがキャンキャン鳴いて駈けずり廻っているような音楽。日曜の朝の、もう昼に近いけれど、気分は台無し。階下からシチューの匂いがしてきた。母のシチューは絶品だ。下へ行ってごはんを食べようか、カンヴァスに向かって課題を仕上げてしまおうか。来年は四年だし就職の問題もある。就職?美大生を雇ってくれるところなんて、あるんだろうか。フランスにでも行ってしまおうか。取りあえずバニーを続けようか。うるさいよ、マーク・ボランってば。もうちょっと寝よう。

お腹が空いたので、下へ降りてシチューとトースト。下でも同じラジオ番組を聞いていた。ギルバート・オサリバンのアローン・アゲインね。まあ許せる。シズオさん元気?出し抜けに母が聞いた。シズオ君に一回家まで送ってきてもらったことがある。一目見て、母はシズオ君が気に入ってしまったようだった。シズオ君もあとで、自分はたいてい人に気に入られるのだと言っていた。シズオ君のそんなちょっと尊大なところがいい。逆三角形の体もいい。この居間のテーブルに全裸で立ってもらって、わたしがデッサンする。でも何て言って頼んだらいいか。弟は、そんなわたしには目もくれず、テレビジョッキーを観ている。


2011年11月21日月曜日

●月曜日の一句〔井上井月〕 相子智恵


相子智恵








酒さめて千鳥のまこときく夜かな  井上井月

句集『井月全集 第四版』(2009.9/井上井月顕彰会)より。

酒が醒めた、極寒の野宿の夜だ。
千鳥の声が聞こえる。チチチチとか弱い、真実の声。
頭上にはおそらく満天の凍星、雪を戴いた中央アルプスが月に照る――。
井上井月は幕末から明治にかけて、長野県の伊那谷を放浪した俳人。
芭蕉を慕い、放浪の旅に生きた彼のバイブルは「幻住庵の記」。それまでの36年間の前半生を一切語らず、まるで生き直すように伊那谷を歩き続ける。
家々で俳句を詠み、流麗な書を書いた。最初は人々に慕われながらも、戸籍がないことが許されなくなった明治に入ると、だんだん疎まれ、石を投げつけられ、しまいには酒が体を蝕み、ぼろぼろになって糞まみれで行き倒れる。
井月が主人公のドキュメンタリー&フィクション映画「ほかいびと~伊那の井月」が、伊那旭座で公開を迎えた。
田中泯主演、樹木希林の語り、あとの登場人物はすべて伊那の住民という異色作だ。
雪原を白装束で踊る、死に際の田中泯は圧巻である。


2011年11月20日日曜日

〔今週号の表紙〕第239号 多肉植物

今週号の表紙〕
第239号 多肉植物



多肉植物とサボテンとは当然違うものなのですが、きほん水をあまりやらなくていい(やりすぎるとダメらしい)点は同じ。

部屋の中だったので、赤をバックに撮ってみました。赤い色がほしくて、何を置いたのか。何かのケースだったかファイルだったか鞄だったか。もうさっぱり忘れましたが、画像はパソコンのハードディスクの片隅に残っています。

(西原天気)

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2011年11月19日土曜日

●ゆぶね

ゆぶね

霧は霧に飲まれ ゆぶねの母は鱶  山田耕司

原子心母ユニットバスで血を流す  田中亜美

あれは三鬼星バスタブ溢れだす  金原まさ子

夢夢(ぼうぼう)と湯舟も北へ行く舟か  折笠美秋


2011年11月18日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







鍋一つ遺書のかたちに置くときも


村井見也子 (むらい・みやこ) 1930~

この句を読んだ男性諸氏はどきりとするのではないだろうか。一日の終わり、夕餉のかたづけを済まして、洗い終えた鍋を遺書のかたちに置くときがあるという。何事もないように振舞い、そしらぬ顔で生活している妻が死を見据えている。

男性目線ではない、それでいて女性の自立、社会進出などとは別の位置からの女性ならでは川柳である。物腰はやわらかいが、言葉が鋭く使われている。

町を行く人も電車に乗っている人も、みんななにくわぬ顔をしている。この中には遺書のかたちに鍋を置いた人も置こうとしている人もいるはずである。人は強いのだろうか。〈哀しいときは哀しいように背を伸ばす〉『薄日』(1991年刊)所収。

2011年11月17日木曜日

●スカート

スカート

スカートを敷寝の娘きりぎりす  瀧井孝作

寝押したる襞スカートのあたたかし  井上 雪

霜を掃くや犬がスカートに首つつこむ  田川飛旅子


2011年11月16日水曜日

●煮凝

煮凝

煮凝やうつけ泪のにじみくる  石原八束

スナックに煮凝のあるママの過去  小沢昭一

煮凝へ赤ちゃんが来て沈みます  坪内稔典

煮凝の途中なれども嗚呼をかし  嵯峨根鈴子


2011年11月15日火曜日

●青春

青春

青春の只中の黴諾へる  中原道夫

斑猫やわが青春にゲバラの死  大木あまり

せいしゆん に こくる ちくる や あけやすき  高山れおな〔*〕

冬銀河青春容赦なく流れ  上田五千石


〔*〕『豈』第52号(2011年10月)

2011年11月14日月曜日

●月曜日の一句〔今井豊〕 相子智恵


相子智恵








すれちがふ少女寒気のつぶてめく  今井 豊

句集『草魂』(2011.6/角川書店)より。

このところ、忙殺されていて毎日の記憶が薄い。そしていつの間にか、冬が立ってしまっていた。なんということだろう、万事が速すぎる。

……とはいえ、この句の颯爽とした速さには生き返る。冬らしい強さと楽しさがある。

少女が駆けてきて、作者とすれ違ったのだろう。すれ違う一瞬、少女が起こす風を感じる。その〈寒気のつぶて〉を投げるようなスピード感。

ランドセルで駆け抜けた小学生か、あるいは足早に闊歩する女子高生でもいいかもしれない。

言葉の感触は冷たいのに、この句には熱さがある。それは〈寒気のつぶて〉に、少女の生命の熱が込められているからだ。

大人になってからの「記憶の薄い速さ」と、少女の「生命が熱い速さ」は、真逆である。
記憶が薄い速さはいやだ。生命の熱い速さがいい。

空気がキリッと澄む冬はなおさら、そういう速さがいい。



2011年11月13日日曜日

〔今週号の表紙〕第238号 蔵 山田露結

今週号の表紙〕第238号 蔵

山田露結


我が家に「蔵」がありました。いわゆるなまこ壁のいかにも「蔵でございます」という風情の建物ではないのですが、ウチの家族は皆その建物を「蔵」と呼んでいました。

我が家は呉服店を営んでいて「蔵」には店の在庫やら備品やらがたくさん仕舞ってありました。ようするに倉庫ですね。何でも「蔵」は築百年以上は経っているらしくて私は物心ついた頃から毎日「蔵」を目にしながら育ちました。でも、私が実際に「蔵」の中に入ることは滅多にありませんでした。

小学生の頃のある日、ひとつ年下の弟が突然行方不明になってしまったことがあります。夜遅くまで家に帰らず、どこを探しても見つからないために両親が警察に通報し、夜中に警察官が何人も家にやって来て弟の捜索をはじめました。

警察が家に来るなんてただ事じゃないと思いながら私も一緒に弟を探しました。捜索がはじまって数時間後、弟は「蔵」の屋根裏で熟睡しているところを発見されました。すると母親がすかさず弟のところに駆け寄って行って涙を流しながら無事だった彼を抱きしめました。弟はどうしてそんなところで寝ていたのかを繰り返し聞かれていましたが、結局何も答えませんでした。私はこんな妙な騒ぎを起こして家族を心配させる弟をなぜか少し羨ましいと思いながらその光景を眺めていました。

今年、あちこち傷みの激しかった「蔵」を取り壊すことになりました。それでふとこの弟の一件を思い出したのです。「蔵」の思い出といっても私にはこの一件以外にはほとんど何も思いあたらなかったのですが、それでも「蔵」がなくなると思うと何だか急に切ない気持ちになりました。そして「蔵」は解体業者によってあっけなく取り壊されてしまいました。

馴れ親しんだ建物が無くなってしまうときには、大切な人と別れるときと同じような感情が起こるものなんですね。今回、そのことをはじめて知りました。


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2011年11月12日土曜日

【俳誌拝読】『や』第57号を読む

【俳誌拝読】
『や』第57号(2011年10月30日)を読む

西原天気


発行人・戸松九里。本文52頁。同人諸氏それぞれ10句ずつを掲載。ほかに、外部から「『や』56号を読む」の寄稿(この号は今井肖子氏)、同人・関根誠子第二句集『浮力』特集、「や」15周年関連の記事など。

同人諸氏10句より。

花火咲ぐたあだそれだげで泣ぐ泣ぐ泣ぐ  菊池ゆ鷹

方言(東北弁のひとつ?)で10句。

真つ直ぐな煙三尺瓜の馬  久能木紀子

クチナシの花の仰山母細し  石井 和

八月やお腹が減ると見る時計  遠藤きよみ

見ますね、たしかに。

暑さ蒸し蒸し家計簿のぼうぼう  吉野さくら

「ぼうぼう」の感興。

通学の後の通勤朝曇り  中村十朗

我画雅餓蛾偽妓疑義愚解夏吾伍後誤語  関根誠子

雷鳴や原稿用紙の薄きマス  松田磨女

大西日富士を見やうと崖の上  小山 渚

めりめりと割れば西瓜の呵々大笑  のら

蔓あぢさゐ見あげる鼻の穴涼し  三輪初子

炎天のベンチに正座無精ひげ  中沢 春

毒りんごめきて大暑のりんご飴  菊田一平

あんまりなのけ反りやうや今年竹  矢島哺陀

八月の夫婦茶碗の底に月  柏原空見子

実柘榴の天変地異の入歯かな  豊田美根

天変地異!

学校にいうれい話麦の秋  麻里伊

目の前のバッタ大腿四頭筋  石川ひろ子

笑ふ眼に涙滲みて秋の蝶  田中由つこ

一面の空と瓦礫と秋近し  三瓶つなみ

月の無い夜を背負うてカブト虫  田沼塔二

蝿生れて障子を叩く命かな  戸松九里

2011年11月11日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







後手で夕焼けを閉めポルノでも見にゆこ


奥室數市 (おくむろ・かずいち) 1923~1986

夕焼けは鮮やかである。夕焼けを直視できないやましさがあったのだろうか。「後手」がなんともやるせない。しかし、さらにやましさとやるせなさを加速させるように「ポルノ」を見にゆこうとする。「夕焼け」という美的なものと「ポルノ」という通俗的なものの並列によって屈折した男の心情を出している。

數市氏とは一度だけ川柳大会でお会いしたことがある。大正生まれの人にしては大柄で、といっても太っているのではなく骨格が大きく、手もびっくりするほど大きかった。聞けば、元力士さんだったらしく、わざわざ四股を踏んで見せてくださった。やさしい人柄がにじみ出ていて、このやさしいが力士寿命を短くしたのかなと思った。〈胃の中で暮しの蝙蝠傘押しひろがり〉

『奥室數市集』(川柳新書・第二十三集)所収。

2011年11月10日木曜日

〔今週号の表紙〕第237号 電飾

今週号の表紙〕第237号 電飾


田舎育ちの特徴。

贈り物には、手作り(手編みのセーターなど)よりも既製品(洒落た小物やブランド品)のほうがいいと思っている。

自分の部屋にカーテンではなくブラインドを付けたがる。

ネオンを見ると、ドキドキする。


私儀、すべて当てはまります。恐縮です。

(西原天気)


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2011年11月9日水曜日

●「豆の木」合宿記 2/2 近恵

「豆の木」合宿記 2/2

近 恵

※同人「豆の木」の合宿(10月末)の様子を
近恵さんにレポートしていただきました。



部屋の窓からは海じゃなくて山が見える。新幹線の熱海駅も見える。だから朝から新幹線の始発なんかも見えた。ちょっと曇っている。

こしの組長の部屋からは海から昇る朝日が見えたらしい。

昨晩3時までネットラジヲに勝手に出演し、寝たのがおよそ3時半ちょっと前。

眠い。けど6時過ぎになんとか起き出す。金曜の夜も3時間くらいしか寝てないから眠い。
ぼーっとしつつ顔を洗い化粧をし、7時の朝食へ。

ちゃんと食べる。米は少なめ。鯵のぺらぺらの干物と納豆、味噌汁、生野菜など。牛乳を飲む。9時に出句。部屋に戻って考える。

同室のぽぽにゃんと、ちょっとした家庭のことなんかも話す。


集合し、句会。朝一はやっぱり頭が冴えない。どうにもつまらない句ばっかり。

それから海にいっておさかなフェスティバルというのに行ってみる。七厘で色々と焼いて食べられるらしいが、なにせまだお腹が減っていないので諦める。

ぶらぶらと露店を物色していたら、田島氏を囲んでなにやら交渉中。講談社版のカラー図版日本大歳時記が、新年の欠けた4冊で1000円!と、こしの組長の押しでもって露店のおじさんが粘り負け。おおー、ええ買物しましたなあ。

その露店は他にも分厚い画集やなんかが積んであって、かなり興味があったのだけれど、なにしろ分厚くて大きな画集なんか持って歩くのは大変なので買うのはやめた。

秘宝館のあたりをとおり、海沿いにずーっと歩く。ええーと、スコットという有名な老舗の洋食屋さんで昼食を食べるのだ。

天気は悪くない。程よく晴れていないので、汗ばむほどでもない。海で晩秋だというのにちっとも寒くない。オイラの実家の方のこの季節の海とは大違い。さすが熱海。

洋食屋さんへは開店の五分くらい前に着いたが、入れてもらえず店の前に並ぶ。すぐ傍にその店の本店があり、開店時間が30分遅いそうなのだが、そこには行列が出来始めている。私たちはこじんまりとした旧館の方に入るのだ。

店の中は古いけれども清潔にしてあって、テーブルクロスも刺繍をしたものにビニールが重なっている。お料理は美味しかった。ビーフシチュー、ミートコロッケ、牡蠣フライ、チキンステーキ、えーっと貝の入れ物に入ったチキングラタン。どれもちゃんと美味しい。

幸せな気分で店を出て、宿に戻り荷物を持ってバス乗り場のホテルに移動。

途中、試食品につかまるご婦人方多数。

ホテルについて、少し時間があったからぶらっと散歩に出る。ちょっと行くと川沿いに遊歩道が海の近くまで続いている。両脇にはスナックやら小料理屋やら、小さな店が軒を連ねる小路がいくつか。ああ、昔の繁華街なんだ。

泊まったホテルは駅の近くだったけど、昔は海に近い方がメインの温泉街だったのだなというのがよくわかる。昼の2時前だというのに、カラオケスナックみたいなところから歌が聞こえてきたりして。なんとも香ばしい感じ。

雨がぱらついてきた。ほどなくバスが到着し、一行は上野へ向かう。
…眠くて起きていられない。席題が出ているのだが、まったく考えられない。

小田原で鈴廣の巨大なかまぼこの館が風祭の駅から直通でいけるようなのが出来ていた。いつの間に。

いやあ、館内練物三昧。あれもこれも欲しくなる。これはまた来たい!素敵なところだ。

うとうとしつつ、俳句を作り、上野のカラオケボックスに入って最後の句会。

それから数曲歌って解散。

か、体を休めねば…。とか思いつつ、実は家に帰ったら、友人から大量の海産物が、ダンナの実家から大量の野菜が届いているのである。だからお土産は鈴廣の竹輪が一本だけ。

とりあえず疲れは残ってしまったけれど、合宿は楽しかった。

もう3時間とか2時間の睡眠ではもたないのだ。老化ちう現実…。

ま、いっか。もう47歳だもんね。20代のときと同じ様に遊ぼうと思ったって、そんなふうにはできないよね。お肌にも良くないし。

あ、でも温泉につかったので、とりあえずお肌はすべっとしていたのでありました。

2日目は30句。2日間で80句ばかり作ったけれど、目標の100句にはとどかなんだ。そりゃーあんなに眠くっちゃあしょうがないよね。

でも楽しかったし美味しかったからヨシ!とするのであります。

( 了 )

2011年11月8日火曜日

●「豆の木」合宿記 1/2 近恵

「豆の木」合宿記 1/2

近 恵

※同人「豆の木」の合宿(10月末)の様子を
近恵さんにレポートしていただきます。


総勢10名。はるばるNYから参加のぽぽにゃんもいる。お菓子係のイチローさんも初参加。

今年も集合場所をきちっと確認せずに行ってしまうが、駅で組長とうさぴょんに遭遇したので難なく集合場所にたどり着く。そうか、駅前集合じゃなかったんだ。どうりで誰もいないと思ったよ。

ことしはおおるりじゃなく伊東園グループ。バスが広々としてるよー。

豆の木賞の選評を読みつつバスは進む。ベイブリッジを渡り、川崎の工業地帯を通り、結構スムーズに行く。今年も矢羽野鬼軍曹が采配をふるい、ほどなく題詠スタート。基本とにかく駄句しかできないので、だばだばと作る。詠み捨てて詠み捨てて詠み捨てていく…とかいってきっちり短冊に書いて出句してるわけだが。それでもスタートしたばかりのは、自分で読んでもダメダメすぎる。

11時にドライブインで1時間の休憩。そう、高速道路じゃないからPAじゃないのねん。バスが止まったドライブインと道路を挟んで向かい側の海鮮料理屋へ入る。海が目の前にどばばーんと広がる座敷で、今朝捌いたばっかりなのでお勧めですという戻り鰹のたたき定食を食べる。おおおおー、この鰹は美味い!大きい鰹だったらしい。もう今回の旅はこれでいいや…とか思うほど。これには舌の肥えた朝様も満足の様子。カメラマンのヨン様はここで一発目の集合写真を撮る。

バスはだいたい予定通り熱海へ到着。熱海館ちうホテルのロビーのラウンジで清記する。ええーとA3で3枚。5時15分の夕食まで近所を酒屋探しがてら散歩。戻ってきて作句して食事。

食事はバイキングにもかかわらずビールも飲み放題。参加が叶わなかった今年の豆の木賞受賞者の宮本佳世乃ちゃんへカンパイを捧げつつ、などどいってもカニの足が出てきたとたんに目の色を変えてカニに突進するこしの組長。カニさえ与えておけばあとはどうでもいい的な勢い。どうやらお祝よりもカニの方が重要事項らしい。ひとしきり食べて落ち着いたようである。

温泉に入って背中の流し合いをし、7時に部屋に集合。更に1枚清記し、地酒を飲みながら句会スタート。終了は12時過ぎ。1日目は50句駄句を生産してしまった。

前日3時間しか寝ていなかったのだが、句会終了後がまだあった。田島氏がインターネットラジオをやるというのだ。トリオ・ザ・レモン(とっさに今命名。昨年の豆の木賞受賞者うさぴょんと、一昨年の豆の木賞受賞者ぽぽにゃんと、来年の豆の木賞受賞予定者が一人)と今年の豆の木賞一句賞の葉月さん、ヨン様と5人で田島氏を盛り上げる。どうやらあの人もこの人も聞いていたようであるが、そんなことお構いなしにオールナイトニッポンのオープニングソングを歌って盛り上げるトリオ・ザ・レモン。

なんだかんだと俳句や豆の木賞や角川賞の話など、酔った上に半分眠りつつもがやがやと話して3時に終了。おやすみなさい。明日の朝起きられる自信が全くありません…

てな感じで1日目が終ったのであります。

(明日に続く)

2011年11月7日月曜日

●月曜日の一句〔西原天気〕 相子智恵


相子智恵








アンメルツヨコヨコ銀河から微風  西原天気

句集『けむり』(2011.10/西田書店)より。

「アンメルツヨコヨコ」という、肩こり・筋肉痛に効くスーッとする塗り薬。この商品名、よく見ると不思議な文字づらだ。

「アンメルツ」はちょっと「アンドロメダ」に似ている。「ヨコヨコ」は何かの信号みたいだし、「ワレワレハ、ウチュウジンダ」みたいな感じも、ちょっとする。

それはもちろん〈銀河から微風〉が取り合わされたことで読者にもたらされる気づきであり、こう書かれなければ、決して肩こりの薬の名前が、宇宙からの交信と結びつくことはない。心地よく楽しい言葉のワープだ。

〈糸屑をつけて昼寝を戻り来し〉〈枝豆がころり原稿用紙の目〉〈しまうまの縞すれちがふ秋の暮〉

読者をどこにも連れて行かず、とどまらせる俳句がある(もちろん良い意味で。じっくり着実な)。逆に、読者の首根っこをつかみ、急に世界の反対側に引きずり込む俳句もある(こちらも良い意味。独創的な)。それらの俳句を読むのには、集中力と体力がいる。だから、こちらが疲れているときは、少しだけ躊躇する。

『けむり』という句集がくれるのは、そのどちらでもない「小さな心のワープ」だ。赤坂見附の地下鉄入り口に入ったはずなのに、ホームに出たら永田町だった、というくらいの小さなワープ。

『けむり』の俳句は、だから、元気のないときでも読める。むしろ元気のないときに読むと、ほっと疲れが取れて、少しだけちがう場所に出られる。

それはちょっと肩が凝ったときに塗る「アンメルツヨコヨコ」に、そういえば似ていなくもない。


≫西田書店ウェブサイト

2011年11月4日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







わたくしがすっぽり入るゴミ袋


新家完司 (しんけ・かんじ) 1942~

近頃のゴミ袋は大きくなった。人間一人ぐらいはやすやす入りそうである。人間もゴミもたいした違いはないのかもしれない。私も用が済めば、ゴミのようにこの世から消えていく。

川柳は発見と認識の文芸でもある。平易に平明に書かれているが、人の存在そのものを問うているように思う。自分も含めて人とはなにものなのだろうかと考えさせられる。

新家完司は一貫して現実を詠む。彼は現実のくだらなさやつまらなさを知っている。だからこそ、現実を見つめて、人の豊かさを探し求めている。〈横丁を曲がれば住所不定なり〉〈岬から先はあの世でいつも明るい〉『平成十年』(私家版 1998年刊)

2011年11月3日木曜日

●文化の日

文化の日

草の戸や天長節の小豆飯  正岡子規

菊の香よ露のひかりよ文化の日  久保田万太郎

明治節乙女の体操胸隆く  石田波郷

うごく大阪うごく大阪文化の日  阿波野青畝

2011年11月2日水曜日

●ガム

ガム

首吊りにみとれてガムを踏んじゃった  江里昭彦

かなかなかな別れるときにくれるガム  中山美樹

にっぽんチャチャチャもう味のしないガム  なかはられいこ


2011年11月1日火曜日

●角川俳句賞受賞作品一読

角川俳句賞受賞作品一読

野口 裕


久しぶりに角川「俳句」を購入した。昨日、大阪に所用があり、その帰りの電車でうつらうつらしながらの読書だったのであまり読めてはいないのだが、とりあえず角川俳句賞の「ふくしま」(永瀬十悟)を読んでみた。賞は、かなり偶然が左右する世界だと思っているせいか、それほど違和感がなかった。おもしろいと思った句

  蜃気楼原発へ行く列に礼  永瀬十悟

ちょっと前に見た「ブリーチ」だったか「ナルト」(愚息の要望に応えて見に行ったが、もともとそういう世界に疎いのでごっちゃになっている)に、死者の群れがシャボン玉のように消えていくラストシーンがあった。後日読んだ、「ゲド戦記」最終巻に似たシーンがあったので、その援用だろう。その映像を思い出した。同じ趣向の、

  陽炎の中より野馬追ひの百騎  同

の方が出来上がり具合はすっきりしているが、やはり句の迫力は蜃気楼の方が上回っている。この句、蜃気楼が夢幻世界のような現実世界のような不思議な雰囲気を醸し出している。「礼」が私の趣味には合わないが、それはそれとして、句にいちゃもんを付けるほどのことではない。

ここまで書いてきて、この感想は原発事故のあるなしに関係なく成り立つなあと気づいた。俳句とはそういうものなのかも知れない。