2024年12月23日月曜日

●月曜日の一句〔青木ともじ〕西原天気



西原天気

※相子智恵さんオヤスミにつき代打。




湯豆腐の波に豆腐のくづれけり  青木ともじ

俳句のほかに、わざわざこんなことを言ったりしない。俳句以外は見向きもしない素材・題材をたいせつに扱う、ていねいに一字一句、設える。それは俳句というジャンルの大きなアドヴァンテージであり美徳だと信じているのですが、同じ句集にある《葱に刃を入れて薄皮切れ残る》も、そう。

二句並べると、素晴らしい夕餉の一品、という幸福感のことはともかくとしても、湯豆腐の句は、豆腐に始まり豆腐に終わるその構造で、この世にはこの鍋しか存在しないかのように狭く閉じた世界が現出し、葱の句では、半径1センチメートルの視野へとクローズアップされる。手のひらの大きさの範囲、せいぜい肩幅に収まる範囲で、くずれたり、切れ残ったりといった、多くの人々にとっては「どーでもいい」ことが、奇跡でも天啓でもなく、起こる。その起こること・起こったことの積み重ねとして、暮らしや世界があるのだなあ、と、冬のなんでもない時間に思うのですよ。

掲句は青木ともじ句集『みなみのうを座』(2024年11月/東京四季出版)より。

2024年12月20日金曜日

●金曜日の川柳〔金築雨学〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



謝らぬ女のあれこれも楽し  金築雨学

謝らなければいけないようなことをしない女、つまり不手際のいっさいない女は、たいへん素晴らしい女性だが、きっと楽しくはない。ミスをして、すぐに素直に謝る女性も、素晴らしい人だが、それもきっと楽しくはない。

ただし、こうした仮定・想像は、すべて、自分との距離による。距離の遠い人、例えば友だちの友だちの恋人や奥さんなら、不手際が少なく、なにかあればすぐに謝る人がいい。いわゆる「いい人」がいい。ところが、距離の近い人、例えば一緒に暮らす人には、「楽しさ」、それも、一筋縄ではいかないよううな愉しさ、ひりひりするような愉しさ、という贅沢を求めてしまう。

自分にひどいことをする、非常識でむちゃくちゃで、嘘はつくし、万事にだらしない。ところがまるで謝らない。こういう人を楽しめる暮らしは、最高なんじゃないかと思う。あくまで想像・空想ですけれど。

金築雨学(かねつき・うがく)「短編小説」:『現代川柳の精鋭たち』(2000年7月/北宋社)所収

2024年12月19日木曜日

〔俳誌拝読〕『ユプシロン』第7号(2024年11月)

〔俳誌拝読〕
『ユプシロン』第7号(2024年11月)


A5判・本文28頁。同人4氏、各50句を掲載。

ともすれば昨日の噓のように鹿  仲田陽子

白生地の異なる織目冬来る  中田美子

風鈴に眠り誘はれ邪魔もされ  岡田由季

足一本どうしても浮く茄子の馬  小林かんな

(西原天気・記)



2024年12月18日水曜日

西鶴ざんまい #71 浅沼璞


西鶴ざんまい #71
 
浅沼璞
 

那古の浦一商ひの風もみず    打越
 鰤には羽子がはえて飛ぶ年   前句
魔法にもせよ不思議成る隠れ蓑  付句(通算53句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・裏3句目。 雑。 隠れ蓑=鬼ヶ島の宝物。着ると身を隠せるという。

【句意】魔法だとしても、不思議な隠れ蓑である。

【付け・転じ】前句の慣用表現を魔法による「実」とみて、同じく不思議な〈隠れ蓑〉へと飛ばした。小学館・新編日本古典文学全集61では対付(たいづけ)とある。

【自註】「鰤に羽子のはえたる」を魔法にしての付かた也。*「天野川」といふ目くらがしは、思ひもよらぬ所より鯉・鮒を出し、又、*「隠れみの」といふには、座敷に嶋を見せ、数々のたから物を出だしける。是、皆種あつていたす事也。此の程、塩売長次郎と申せし**ほうか師、さまざまの事を仕出しける。中にも、ちひさい口へ馬を呑みける、「きのふは誰が見た」「けふは我が見た」といふ。是も『つれづれ』に書きし、***応長の比(ころ)の鬼なるべし。
*「天野川」「隠れみの」=ともに奇術のネーミング。 **ほうか師=マジシャン。 ***応長の比の鬼=『徒然草』50段に紹介された女の鬼に関するフェイク情報。

【意訳】前句「鰤には羽子がはえて飛ぶ」というのを魔法に見立てての付け方である。「天野川」という目眩ましの奇術は、思いもよらぬ所より鯉・鮒を取りだし、また「隠れ蓑」という術では、座敷に鬼ヶ島を出現させ、数々の宝物を取り出した。これはみな種があって致すことである。このほど塩売長次郎と申す奇術師、さまざまの術を工夫しだした。なかでも小さな口へ馬を呑みこむという術、「昨日は誰それが見た」「今日は自分が見た」という。これも『徒然草』に書かれた応長の頃の鬼の噂の類にちがいない。

【三工程】
(前句)鰤には羽子がはえて飛ぶ年

 魔法にて宝取りだす目眩まし  〔見込〕
   ↓
 天野川てふ魔法にて目眩まし  〔趣向〕
   ↓
 魔法にもせよ不思議成る隠れ蓑 〔句作〕

前句を魔法に見立て〔見込〕、〈どんな魔法があるのか〉と問い、流行の〈天野川〉なる術とみて〔趣向〕、同じように不思議な〈隠れ蓑〉という奇術へと飛ばした〔句作〕。

 
もともと〈隠れ蓑〉は鬼の宝物といわれてましたが、〈鬼〉はすでに出てますよね。

「夏の夜の月に琴引く鬼の沙汰、やろ」
 
そう裏の月でした。たしか〈鬼〉は*一座一句物だったかと。
 
「そやな、連歌では千句物いうけど、俳諧では百韻に一句やろ」
 
では〈隠れ蓑〉は〈鬼〉の「抜け」ってことですか。
 
「そやな、〈鬼〉が抜けたら「隠れ遊び」はでけへんけどな(笑)」
 
あぁ、隠れんぼ、たしかに……。
 
*一座一句物=『連歌新式』(1452年)。

2024年12月17日火曜日

◆週刊俳句の記事募集

週刊俳句の記事募集


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これはガッツリ書くのはなかなか大変です。それでもいいのですが、寸感程度でも、読者には嬉しく有益です。



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2024年12月16日月曜日

●月曜日の一句〔大畑等〕西原天気



西原天気

※相子智恵さんオヤスミにつき代打。




流星群来よ大根を煮ておくから  大畑等

この12月13日の夜から14日夜明けにかけて、ふたご座流星群が出現のピークだたそう。流星の光の尾が夜空のひとすみにすっと現れてすっと消える。流星を見るときはだいたいそのように一瞬だし、光量もかすかなものだが、この句のように《来よ》と言われると、《流星》が文字どおり《群》なして大挙地球に押し寄せてくるかのようにも思えてくる。実際にそんなことあ起きれば映画『ドント・ルック・アップ』どころではない大災害、地球の最期なのだろうけれど、この句ではあくまでロマンチック。ただし、《大根を煮ておく》というからには、ロマチックばかりではない。なんだかおおらかで、市井の可笑しみも漂う。

流星群のニュースを見るたび大根を思い出し、大根を食べるたびに流星群を思う。この句を知って以来、そういう冬を重ねるようになった。

大畑等(1950-2016)。掲句は句集『ねじ式』(2009年2月)より。

2024年12月13日金曜日

●金曜日の川柳〔なかはられいこ〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



「ち」と読めばすこしかわいくなる地声  なかはられいこ

ちごえ。

どうだろう。すこしはかわいくなっただろうか。

「地」には、天との対概念である「地」、地面なんかがそうだけど、そこから派生して(比喩的に)いろいろな意味や脈絡で使われる。「地声」は、生まれついて持ってしまった声、あるいは、裏声との対比で、そのまま自然に出る声、のような意味だろう。と、地声について、うだうだ語っている場合ではない。この句の眼目は「かわいくなる」にあるから、そちらに話を進める。

ところでこの句、何が「すこしかわいくなる」というのだろうか。

A 読み方を言っているのだから、まずもって「地声」という語がかわいくなる。

B あるいは、地声がかわいくなる、と、読めないこともない。

候補がふたつあがった。どちらと決める必要はない。「地声」という語は、どこかしっかりしていて、このままではかわいくない。「じ」ではなく「ち」と読めば、なるほど、あんまりしっかりしなくなる。そのせいで、かわいくなる。ついでに「ご」じゃなくて、「こ」と読めば、もっとへなへなする。

ちこえ。

一方、地声が、かわいくない人はたくさんいる。いや、かわいい人も、少なからずいる。それにそもそも、「じごえ」という語の音質と、人それぞれの声質、このふたつには関連がないので、「じ」と読もうが「ち」と読もうが、かわいくない声はかわいくないし、かわいい声はかわいい。

と、なんだか、ややこしくなってしまう。つまり、この句には、そこはかとない「ねじれ」があるのだ。そのねじれが、以上のような愚にもつかない駄言駄弁をもたらすわけなので、ゆめゆめ「ねじれ」を軽んじてはいけない。

掲句は『川柳ねじまき』第10号(2024年1月)より。

2024年12月11日水曜日

〔俳誌拝読〕『オルガン』第39号・2024年秋

〔俳誌拝読〕
『オルガン』第39号・2024年秋


同人諸氏の俳句作品のほか、〔特集〕池田澄子(座談会、池田澄子句集を読む)、福田若之・鴇田智哉による「往復書簡」(「主体」について)など。

眇めると引つ掛かりくる彼岸花  鴇田智哉

紙の民のように秋の野を抜ける  福田若之

山脈はうごきながらに雲に月  宮﨑莉々香

寝返りを打てる真昼や鹿遠し  宮本佳世乃

雨が楽しい茸のデザイン誰の仕事  田島健一

テーマ詠「広角」

鬱蒼とカンナの凝る海の駅  鴇田智哉

聴きたくて波止場を思う秋の蝶  福田若之

洗濯機まはる敗戦日お早う  宮﨑莉々香

間取図広し一息に行く秋ぞ  宮本佳世乃

樹が消えるとき蟷螂の眼は冷える  田島健一

中嶋憲武・記/写真


2024年12月9日月曜日

●月曜日の一句〔西村麒麟〕相子智恵



相子智恵






綿虫の吹き飛んで行く浮御堂  西村麒麟

句集『鷗』(2024.7 港の人)所収

下五の〈浮御堂〉への展開に唸る。綿虫の頼りなさと、少しの風にあおられて吹き飛んでいってしまう様子はよくわかるなあ、と思って読み進めていくと、そこは浮御堂であり、琵琶湖の風だというのである。極小の綿虫と、湖上の堂との寄る辺なさのつながり。その向こうに見えてくる琵琶湖の波の光の中に消えていく綿虫の光。

〈さみだれのあまだればかり浮御堂 阿波野青畝〉は音の名句だが、掲句も同様に「虫」「吹き」「行」「浮」あたりの音の運びも考えられているように思う。青畝の句が浮御堂の雨の名句であるのに対して、こちらは風だ。芭蕉も青畝も詠んだ浮御堂という拝枕に、また一句が加わったように思った。

 

2024年12月6日金曜日

●金曜日の川柳〔坪井政由〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



つぶやいても叫んでもここはあぜ道  坪井政由

説明がなくてもはっきりと浮かんでしまう景色がある。読みとして適切か不適切かは別にして。

すでに稲が刈り取られた田圃が幾枚も広がり、そこにいるのはその人だけ。

つぶやきは誰にも届かず、かといって叫んでも同じ。その状態が広漠を強調する。あくまで広漠なので、水田でも稲田でもなく、刈田なのだ。すでにちょっと寒くなった時期の。

さびしいとか孤独とか、それはそうではあっても、そんなものでもない。つぶやいたり叫んだりして、なんだか可笑しい。可笑しいと言っては叱られるかもしれないが、あぜ道で何やっているんだか。

なお、技法的には、「ここは」がとても巧み。

掲句は『水脈』第67号(2024年8月)より。

2024年12月4日水曜日

西鶴ざんまい #70 浅沼璞


西鶴ざんまい #70
 
浅沼璞
 

 松に入日ををしむ碁の負(け) 打越
那古の浦一商ひの風もみず    前句
 鰤には羽子がはえて飛ぶ年   付句(通算52句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・裏2句目。 鰤(冬)=正月の必需品にて歳末の贈答品。 羽子=片仮名のネを「子」とする当時の表記。

【句意】鰤に羽根が生えて飛ぶような売れゆきの年末。

【付け・転じ】前句の風向きさえ気にしない愚かな商人にも歳末商戦がくるとみて、鰤のバカ売れへと飛ばした。

【自註】前句、海の事なれば「鰤」を付けよせける。その年の暮によりて、*伊勢海老のすくなき事も有り、*代々の**年ぎれする事も有り。数の子、門松、家々のかざり道具、一品もなうてはならず。何によらず、其の年、世間にすくなき物を、「羽子がはえて飛ぶ」とは商人の申せし言葉也。
*伊勢海老 *代々(橙)=ともに蓬莱飾りの品。越年しても実がつくので「代々」と縁起をかつぐ。
**年ぎれ=その年によって品薄になること。

【意訳】前句が海を場としているので「鰤」を題材として付け寄せた。その年その年の暮によって、伊勢海老が品薄のこともあれば、橙が払底する年もある。数の子、門松などは家々の飾り物で、一品とてなくてはならない。そこで何によらず、世間に出まわらない正月用品は「羽子がはえて飛ぶように売れる」と、これは商人が申した言葉なのである。

【三工程】
(前句)那古の浦一商ひの風もみず

 年切れの品気にも止めずに  〔見込〕
   ↓
 右も左も鰤の高買ひ     〔趣向〕
   ↓
 鰤には羽子がはえて飛ぶ年  〔句作〕

愚かな商人に対し、年切れの商機を向かわせ〔見込〕、〈品薄の商品は何か〉と問い、前句の「浦」から鰤とみて〔趣向〕、「羽子がはえて飛ぶ」という慣用句をサンプリングした〔句作〕。

 
『永代蔵』や『胸算用』に、年ぎれ対策が載ってますね。伊勢海老の代わりに車海老とか、橙の代わりに九年母とか、廉価なもので間に合わせるという。

「そやな。それも俳諧の知恵やで」
 
……? ていうと。
 
「〈代わり〉いうことは、〈見立てる〉いうことやろ」
 
なるほど、そういえば見立て作家の田中達也氏も〈見立てて補う力〉みたいなことを言ってましたね。
 
「見立て作家いうのは俳諧師のことかいな」
 
いや、ミニチュア写真家でして。
 
「みにちあ、なんや知らんけど、転合な感じでよろしいな」