2025年2月28日金曜日

●金曜日の川柳〔兵頭全郎〕樋口由紀子



樋口由紀子





白騎士でよかった引っ越しが終わる

兵頭全郎(ひょうどう・ぜんろう)1969~

そもそも「白騎士」でなにがよかったのかさっぱりわからない。「で」がやっかいで、意識的にいたずらに読み手を路頭に迷わす。引っ越しが終わるという一つの成果を謳歌しているようでもある。タイプの異なる空間と時間の流れを独自の定義で一度に見せる。

兵頭全郎の川柳はいつも少し変わっていて、さまざまな意匠を凝らす。難しい言葉を使っているわけでもなく、内容もさっぱりしているのだが、文脈の組み合わせがヘンで、違和感をあえて残す。川柳は説明しすぎるとよく言われているが、彼の川柳は説明することで余計にわけがわからなくなるというからくりを見せる。書かれていないことをいかに読むかではなく、書かれていないことは無理して探さないでほしいと言われているような気がする。『白騎士』(2025年刊 私家本工房)所収。

2025年2月26日水曜日

西鶴ざんまい #75 浅沼璞


西鶴ざんまい #75
 
浅沼璞
 

師恩しる枕に替る薬鍋     打越
 願ひに秋の氷取り行く    前句
吉野帋さくら細工に栬させ   付句(通算57句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・表7句目。 栬(もみぢ)=秋。 吉野帋(よしのがみ)=奈良吉野産の和紙(楮)。  さくら細工=「作り花」と記せば雑の正花だが、次の定座は三ノ折・裏なので、「さくら細工」と記して非正花にしたか。また「細工」と「魔法」(53句目)は同趣向だが、三句去りで許容範囲か。

【句意】吉野紙の桜の作り花(造花)を、紅葉させる。

【付け・転じ】前句の世にもまれな秋の願望を受け、さくら細工を紅葉させた。

【自註】此の付けかたは、前句に世にまれなる物を爰に請けて、作り花にして、春を秋に見せし也。近年は物の名人細工(めいじんざいく)出来て、*銀魚を金魚に照らし、鯉に紋所を付け、両頭の亀、**山の芋のうなぎになる事も其のまゝに、作り物ぞかし。
*銀魚=色の白い金魚。  **山の芋のうなぎになる=あり得ないことも名人の細工では可能だという諺。

【意訳】ここでの付け方は、前句の世に珍しい物(秋の氷)を受けて、手作りの造花によって春を秋にしてみせたのである。近ごろは細工の名人が現れ出て、白い金魚を紅くして照り輝かし、鯉に紋所のような模様を浮きだたせ、頭が二つある亀、「山の芋のうなぎになる」という諺もそのままに、作り物とする。

【三工程】
(前句)願ひに秋の氷取り行く

  世にもまれなる造花とて細工して 〔見込〕
     ↓
  名人の作り花とて秋にみせ    〔趣向〕
     ↓
  吉野帋さくら細工に栬させ    〔句作〕

前句の世にもまれな物への願望を名人細工の造花に託し〔見込〕、〈どのような名人芸なのか〉と問うて、春の作り花を秋に変化させてみせるとし〔趣向〕、「吉野紙の桜細工」を紅葉させると具体化した〔句作〕。

【先行研究】=*疎句の認識
①    付け方は自註に明らかで、「氷取行」の部分は無視して、「願ひ」と「秋」に対応、具体化した疎句付。(加藤定彦『連歌集 俳諧集』小学館、2001年)
②    前句(56句目)では「世にまれ」であった物が、付句(57)では「作り物」として世に出回っているという対比のなされている点が注目される。(中略)故事を背景にしたいわば人の〈実〉に近い行為を示す前句(56)と、当代の人々のさかしい俗なる行為を映した付句(57)とは、それぞれうまく照応し、この疎の付合を成立させている。(中略)「雪の笋」が現実にあるなしにかかわらず、それを古典の〈実〉の心で探すのも、細工で作り出す当代人のさかしい営為も、同じく「**世の人心」なのである。(水谷隆之『西鶴と団水の研究』和泉書院、2013年)
*疎句(そく)=付合語に頼らない内容主義的な心付。
**世の人心(ひとごゝろ)=西鶴晩年の浮世草子のテーマ。遺稿集『西鶴織留』巻三以降は、「世の人心」のタイトルのもとに執筆されていた。

2025年2月24日月曜日

●月曜日の一句〔佐山哲郎〕西原天気



西原天気

※相子智恵さんオヤスミにつき代打。




亀五匹鳴かず動かず梅日和  佐山哲郎

梅と亀をセットのように思うのは、きっと天満宮(あの「東風吹かば」の菅原道真が祭神)で亀を見ることが多いせいだ。天満宮と亀の関係は、浅学にして知るを得ないが、「見ることが多い」のは気のせいばかりではない気がする。東京の三大天満宮とされる、湯島、亀戸、谷保の社内には、たしかに亀がいる。

たいした信心のない私が神社に立ち寄るのは、正月、それに梅の頃なので、この句の《梅日和》にはよくよく得心する。日和なので、池のまんなかあたりの岩の上に《五匹》が集まって甲羅干しすることにも納得。得心/納得ばかりでは、俳句として味が足りないぶん、《鳴かず》として、季語「亀鳴く」へと手を伸ばす。読者サービスが行き届いている点、この作者、この句集の大きな美点、と、私などは思うが、その過剰さに鼻白む人もいるかもしれない。

なお、同句集の5ページうしろには、こんな句もある。

再度亀鳴いて麻酔の醒めにけり  佐山哲郎

実際には鳴かないらしい亀の鳴き声が聞こえるのは、藤原為家の時代なら川越の夕闇、現代なら例えば病院のベッドなのかもしれない。

掲句は佐山哲郎句集『和南』(2024年12月/西田書店)より。

2025年2月21日金曜日

●金曜日の川柳〔久保田紺〕樋口由紀子



樋口由紀子





グリーンの全身タイツ着て逃げる

久保田紺(くぼた・こん)1959~2015

「グリーンの全身タイツ」で「逃げる」は非常口の標識に描かれている「ピクトさん」を思い浮かべる。しかし、掲句は作者自身を戯画化している。そんな目立つ格好をして、本気で逃げる気はあるのかとツッコミを入れたくなるが、「グリーンの全身タイツ」の突飛さがかえって作者の切実さを意識させる。今居る場から抜け出す唯一無二の手段で、エネルギーなのだろう。

奇行で奇抜であればあるほど人物が鮮やかに浮かびあがる。その姿はしたたかであるが、脆さが見えて、痛々しく、ナイーブさを際立たせる。それが本当の「私」なのだと言っているようで、おかしみとかなしみが同時にやってくる。『大阪のかたち』(川柳カード叢書)所収。

2025年2月17日月曜日

●月曜日の一句〔青木ともじ〕相子智恵



相子智恵






一応は在る花貝の蝶番  青木ともじ

句集『南のうを座』(2024.11 東京四季出版)所収

〈花貝〉は桜貝のこと。小さく薄い桜貝に、これまたちぎれそうに儚い蝶番がある。そう、〈一応は在る〉のだ。桜貝の貝殻を拾う時、蝶番が残っているもののほうが少ない。

掲句、〈蝶番〉を見つけたのが発見である。もちろん写生的な〈一応は在る〉という発見が優れているというだけではない。「花」と「蝶」という言葉のつながりの発見でもあるのだ。そう考えてみると掲句は「桜」ではなく、やはり「花」であるべきなのだな、と思う。

掲句の前の句は、次の一句だ。

 干す漁具の中に花貝残りけり

この句の実直さがあるから、掲句の発見が上滑りしない、という句集の妙味もあった。

 

2025年2月14日金曜日

●金曜日の川柳〔森中恵美子〕樋口由紀子



樋口由紀子





白菜をたっぷりと切る冬のおと

森中恵美子(もりなか・えみこ)1930~2025

1月4日に森中恵美子が亡くなった。女性川柳人の先駆者で、明るく、可愛く、逞しく、私たちを引っ張った。川柳を勢いづけてくれた功労者である。

冬野菜を刻む音はいろいろあるけれど、白菜をざくざく切る音は大根や葱とは一味違う。今夜は鍋なのだろう。それも「たっぷり」だから、いつもの一人鍋ではない。誰かがやってくる。冷たい、寂しい「冬の音」ではなく、楽しく、わくわくする、この音が森中恵美子にとっての「冬のおと」なのだろう。『仁王の口』(1996年刊 葉文館出版)所収。

2025年2月12日水曜日

西鶴ざんまい #74 浅沼璞


西鶴ざんまい #74
 
浅沼璞
 

 眠る人なき十七夜待      打越
師恩しる枕に替る薬鍋
      前句
 願ひに秋の氷取り行く
     付句(通算56句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・表6句目。 秋の氷(秋)=季節外れの氷。三ノ折・表の月の座(秋)を意識したか。なお二オ一句目(23句目)に氷の音(春)があるが、同字は三~五句去り。

【句意】(病人の)願いに従い、秋の氷を取りにゆく。

【付け・転じ】前句の看病する人たちが、病人の求めに従い、季節外れの氷を探しに行くと想定した。

【自註】*長病の人、かならず食物に時ならぬを好む事也。**唐土の親仁も雪中の竹の子このまれし。是、***八十三の三つ子のごとし。前句、病人も口中のねつにして、「秋の氷もがな」といはれしを、思ひ/\に手分けにして、名山・高山にたづね入り、願ひをまゐらせたる****心行也。人、まことあれば、天、是をめぐみ給ひ、たとへば****二月の松茸にても世にないといふ事なし。
*長病(ちやうびやう)の人=長期療養の患者。  **唐土(もろこし)の親仁も~=『二十四孝』「孟宗」の故事。老母のために雪中の筍を求めた。親仁は誤り。  ***八十三の三つ子=子供のように耄碌した態の諺。  ****心行(こゝろゆき)=内容主義の心付(今栄蔵著『初期俳諧から芭蕉時代へ』笠間書院、2002年)。  *****二月の松茸=季節外れの食べ物の例。

【意訳】長患いの人はたいてい季候外れの食べ物をほしがるものである。支那の『二十四孝』のおやじ(正しくは老婆)も雪中の筍を所望した。これは耄碌して三歳児になったようなものだ。前句の病人も、口中の高熱によって「秋の氷があれば」と言ったのを、みな思い思いに手分して、名山や高山に訪ねて行き、願いの氷を進呈した(そんなことを想定した心行の)付け方である。人に誠意があると、天はこれをお恵みくださり、たとえば二月の松茸でも浮世に得られないということはない。

【三工程】
(前句)師恩しる枕に替る薬鍋

  時ならぬもの好む病人  〔見込〕
   ↓
  口中さます秋の氷を   〔趣向〕
   ↓
  願ひに秋の氷取り行く  〔句作〕

前句の病人が季候外れの食べ物を欲しがると見なし〔見込〕、〈どのようなものを欲しがるのか〉と問うて、口中の熱をさます秋の氷とし〔趣向〕、その季節外れの氷を看病する人たちが探しに行くと想定した〔句作〕。

 
鶴翁は浮世草子『本朝二十不孝』で「雪中の筍」は八百屋にあると書いたり、独吟『大句数』で〈どこにあらうぞ雪の筍〉と口語で詠んだりしてますね。そういえば近代でも〈約束の寒の土筆を煮て下さい〉という口語の名句がありますよ。
 
「なるほど、えー句やな。わしやったら、〈約束の二月の松茸手にもがな〉、〈約束の秋の氷を口元へ〉とかやろ」

やはり上五を使いたくなりますか。
 
「そやな、むかし女房が病で亡うなった折、約束を果たせんかったよってな……」

2025年2月8日土曜日

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週刊俳句の記事募集


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イベントのレポート

これはガッツリ書くのはなかなか大変です。それでもいいのですが、寸感程度でも、読者には嬉しく有益です。



そのほか、どんな企画でも、ご連絡いただければ幸いです。

2025年2月7日金曜日

●金曜日の川柳〔榊陽子〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



なお父はテレビの裏のかわいそうです  榊陽子

「裏で」ではなく《裏の》。《父》はテレビの裏にいてかわいそう、なのではなく(それもじゅうぶん悲惨だが。だってテレビの裏は、すくなくとも我が家のテレビの裏は、ホコリだらけで、配線はこんがらがっているわ、いつの虫だかわからない虫が死んで乾いていたりで、居心地のいい場所ではないので)、この《父》は、《テレビの裏のかわいそう》そのものなの。です。

なんて、かわいそうな存在!

上五は「父さんは」とでもすれば、《なお》という切り込み方はしなくていいのだけれど、「父さん」ではいい意味でも悪い意味でも緩いし、《なお》という導入の変則具合は、「変」を愛する人たち(私も含む)に愛される導入。それに、この言い方のほうが、あらたまって告げるっぽい。つまり、「父さんは」が醸す口語的空気から遠のく。

下五は、どうだろう。「かわいそう」で終われば、ぴったり五七五。《かわいそうです》の5音からはみ出た《です》は、例えば、言い終えてから、「あ、この人とは、そんな間柄じゃなかった、あまり知らない人だ。目上だ」といったぐあいに、あわてて《です》を言い足して、ていねいにしたのかもしれません。それにまた、《なお》とあらたまって始まった以上、《です》と締めるのが自然だし、礼儀にかなっている。です。

2025年2月3日月曜日

●月曜日の一句〔草子洗〕相子智恵



相子智恵






うにやうにやとしやべりだす猫明日は春  草子洗

句集『由布久住』(2024.5 飯塚書店)所収

今年は昨日の2月2日が節分、3日の今日が立春となった。

掲句、節分である。明日は立春だな……と思っていたところに猫が〈うにやうにや〉と、まるで喋り出したかのように鳴いた。

〈しやべりだす〉は擬人化で、俳句の技法としてはあまり好まれないところだが、猫の鳴き声が人間のように聞こえるというのはよく経験することで、実感があった。猫の鳴き声が、赤ちゃんの泣き声に似ていてドキッとしたことが、筆者にも何度もある。

〈うにやうにやとしやべりだす猫〉の語呂や平仮名表記もよく考えられており、〈明日は春〉の下五も相まって「ア」の母音が多くて全体が明るい。猫も浮かれているように感じられてくる。そういえば、春は猫の恋の季節でもあるのだ。