浅沼璞
埋れ木に取付く貝の名を尋ね 西鶴(五句目)
秘伝のけぶり篭むる妙薬 仝(六句目)
『独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
六句目も雑。「秘伝の黒焼き製法のその煙をこめた妙薬なり」といった感じの薬師(医者)の口上です。
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自註に曰く「石花(かき)がら・さるぼ、かゝる貝類を黒焼きにして妙薬さまざまに世に売り広め、新竹斎坊と名に、長羽織、長口上をかし……」。
「かき」は牡蠣、「さるぼ」は赤貝に似たもの。「黒焼き」は薬用のため動植物を炭化するまで蒸し焼きにすることです。
「新竹斎坊」とは藪薬師・竹斎の世継。つまり仮名草子『竹斎』(1623年?)を受けた『新竹斎』(1687年)の主人公・荀斎(じゅんさい)のこと。「長羽織」は当時の医者のトレードマークでした。
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本家の竹斎といえば、つぎの一句が知られています。
狂句木枯の身は竹斎に似たる哉 芭蕉(『野ざらし紀行』1685年)
ご承知のように、これは『冬の日』(1684年)巻頭歌仙の発句でもあり、尾張の連衆への挨拶吟。竹斎も東海道を下る途次、尾張に滞在したので、それに引っかけた挨拶です。
かような風狂精神とは無縁な西鶴も、同時代人としてロングセラー『竹斎』に影響を受けたのは間違いなく、竹斎が古畳・古紙子を黒焼きにし、さる侍の瘧を治したという尾張のエピソードなど、『西鶴諸国ばなし』(1685年)のルーツかと見紛うばかり。
もっとも牡蠣殻&寝汗は『類船集』(1676年)でも付合とされ、焼き牡蠣殻の粉末に寝汗止めの効用あり、というのは確かなようです。
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そんなこんなで、自註と最終テキストとの落差を埋める過程を想定すれば――
牡蠣の黒焼き伝授致さう 〔第1形態=黒焼きくん〕
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秘伝のけぶり篭むる妙薬 〔最終形態=妙薬さん〕
前句の「お尋ねさん」から第1形態「黒焼きくん」の伝授へ。そして秘伝の「妙薬さん」へ、という飛ばし形態。つまりは「黒焼きくん」の抜けです。
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ところで新編日本古典文学全集『連歌集 俳諧集』(小学館)には「やや物付の気味がある」と加藤定彦氏の指摘があります。言葉の連想による「物付」という親句……。
「なんや学者はんのツッコミかいな。談林は古いゆうたかて、疎句オンリーやったら疲れる。疎句・親句のバランスも肝心やで。よーく読んでや」
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では次回、打越へ取って返し「三句目のはなれ」をよーく吟味させて頂きます。